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やりたいけどやりたくない

ホルモンバランスだと思うのだけれど
毎月定期的にセンシティブになる。
アップダウンが激しくて、生産性や気分に波があるのだ。

それで、今は絶賛もやもや期。
胸がもちゃもちゃっとして、やる気が停滞する。
ちょっとしたことにイライラしたり、落ち込んだり。

でもそんなときだからこそ自分の無意識が出てくるというか
思考を整理する機会になるので
最近のもやもやと気づきをまとめてみた。

相反するきもち


”あ、これやりたい。
絶対にやったほうがいい気がする
ここに行ったほうがいい気がする
この人に会ったほうがいい気がする
今連絡したほうがいい気がする”

そんな直感がピコーンと働くときがあって
私はその第六感を大事にしている。

なぜかといえば、
心が感じるものや違和感は合ってることがとても多いからだ。
逆にそれを無視すると痛い目をみるので
その感覚は大事にするようにしている。

の、だけれど…。
わかってる、やったほうがいいことはわかってるし、やりたい気持ちもある。

でも同じくらいやりたくないと思ってしまうのだ。

しかも『やりたい!』という想いが強いものほど、
同じ熱量でそれに反対する意見が主張してくる。

その反勢力の勢いが強すぎて
どっちが自分の気持ちなのかわからなくなってしまう。

心感覚で言えば
脳と心が争っている状態。


これをやりたいけど…
でも危ない気がするし、今やるのは急ぎすぎな気がするし、もうちょっと時間おいてもいいんじゃない?とか

本当にやりたいのかな?無理にやる必要ないんじゃない?勘違いなんじゃない?とか

いろんな考えが浮かんでは消えて、感情は揺れ動き
最初に感じた直感自体が疑わしく感じられて

新しいチャレンジすることを避け
今までの延長線上にとどまろうとする。

なんとか理由をあてはめて、やらないことを正当化しようとするのだ


現実になるしくみ


人間は基本的に変化を嫌う。
生存本能があるから、今までと違うことをして危険を冒したくないのだ。

「今まで無事生きてこれたんだから、変に新しいことをしないで生命機能を維持しようよ」と主張してくる。

これは生命機能としては正常だが、
人間はただの生命体にとどまっておらず、本来は精神体だ。
命の存続が一番の優先ではなく、精神・意志を存続させることを望んでいる。

ただ生き永らえることよりも、
サムライのように精神を優先させる生き方が人間が本来持つ精神性だったりする。

とにかく、ただ生きてるだけでは満足できない。
自分の命よりも大切なものを見つけそのために命を使いたいと願うもの。


でも、今までにないチャレンジをしようとすると、
生命体としての自分が生命存続の危機を危惧して止めてくる。

なので「やりたい、けどやりたくない…」
と、そんな風に思うのは当たり前のこと。
自分の意志が弱いとかそういうわけじゃなくて
動物の本能みたいなものだ。


そのことが分かった上で、
「それじゃあどっちを選ぶのか?」と決断をせまられると
結局は濃度が濃いほうを選択することになる。


人間がここまで存在として存在するようになっているのは
あるシンプルなしくみですべて成り立っているのだが
意思決定の仕組みもそれと一緒。


有・無
粒子・反粒子
やりたい・やりたくない
相反するものが同時に存在して揺れ動き、
濃度が濃いほうに傾いて形化される。


やるかやらないか、どっちを選択するのか?というのも
自分の想いの濃度が強いほうが形になる。

なので自然と意図的に選択できるようにしたいなら、
形にしたいほうに想いを醸成すればいいだけなのだ。

シンプル。

知行合一


…そんなシンプルな仕組みをわかっていても
いざ自分ごとになると心は荒れくるい
感情が動いて邪魔してくる。


やっぱりやりたくないよーーー
弱音言わせてよーーー
怖いんだよーーー
こわくてこわくて不安な気持ちがあるんだよーーー
それがありながらも自分の気持ちと向き合って、
自分を鼓舞しながらいつも頑張ってるんだよーーーーー
言い訳くらいさせてくれよーーー
やだーーもうなんもしたくないよーーーー
うあーーーーーーー


…と、唸りながらヤダヤダ言ってくる自分が確実にいて
そんな自分も受け入れて認めながら

「うん、でも、結局はどうしたいの?」
と自分自身に確認したときに


…やります。本当はやりたいんです。
ちょっと自信がないしやったことないことだからドキドキするけど
でもやってみたいんです。挑戦したいんです。
…でもこわいからぶつぶつ言わせながらやらせてください…


って自分がしょぼくれて主張してくるので

「まあいろいろ思うけど、そんなもんだからしゃーない。
やりたいんだからがんばってみようかな。」

と結論づけて行動するのだ。

限界を自ら規定して挑戦し続けること


今の延長線上のことを選択し続けることは停滞でしかない。

常に新しいことをチャレンジし続けないと
機械のように同じことを繰り返すことになるし
精神体としての人間の尊厳がつぶされてしまう。


だから意図的に自ら限界を設定し
その限界を突破していく必要がある。



…と、頭ではわかるのだけれど。
葛藤しながらいっこいっこ進んでいくしかないし、
そんな一歩一歩の蓄積が、一番確実だったりする。

ただいま絶賛、葛藤中。
やりたくなくてしょうがない。
チャレンジするのがこわくて逃げ出したくなる。

でも、やるんだよなあ。
へへへーって言いながら、とりあえずやっちゃう。
限界と限界突破しかないのが分かってるから、もうやるしかない。

もし後回しにしてやらなかったとしても、
どうせ同じような課題が姿を変えて目の前に表出してくるんだから。
そんなことは分かっているからやります、やりますとも。

…でも、たまにウジウジ言い訳したくなるけれど。
そういう自分も認めながら、それもいいかなって受け入れながら
今日もちょっとずつ自分のつくりたい形を創造していきたいな、と思う。


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