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今この時を止めて、未来に残すお手伝い。

私は写真の力を信じている。今この時を止めることは不可能だけれど、写真にして思い出として残すことはできる。そして、それを未来の私が見返したとき、どんな気持ちなのか?どう未来へ進んでいくのか?そんなことを今日は考えた。

私の祖父母はもう亡くなっている。でも私には彼、彼女の写真が手元にあって、その写真では私に笑いかけてくれていたり、写真が嫌いだったからか困った顔をしていたりする。二人とも肌ツヤが良く、元気に仕事をしている写真だ。

学生時代、私は祖父母を撮った写真たちで写真集を作った。『にこにこなかむつまじく』というタイトルの写真集。その時期、家の軒下に吊るされていた、干し柿を干すときに柿を何個刺すかの語呂合わせの言葉を、夫婦の仲が睦まじい、にかけてタイトルにした。

(写真お借りしました。外側2つずつ、中6つで刺すので、にこにこなかむつまじく、と言います)


私はおばあちゃん子だった。小さいころの記憶はおばあちゃんと一緒にいる記憶が多く、良く自転車の後ろに乗せてもらってたような気がする。干支も血液型も同じで、それが関係しているかは分からないけれど、仲が良かった。

家を出た後も良く心配してくれて、帰ると涙を流して喜んでくれた。

そんなおばあちゃんは病気で亡くなったので、最後はやせ細ってしまって、見ているのも辛いほどだった。

でも写真のおばあちゃんは笑っている。亡くなって何年も経つと、写真を見ている時間の方が長く、元気なおばあちゃんの思い出しか出てこない。それはきっと、その時を止められたことになるんじゃないかと思う。


写真を撮って、残すことは、未来の私へのプレゼントなのかもしれない。


最近ずっと、私はどうしてカメラマンになったのだろう?なぜひたすら写真を撮っているのだろう?と、撮ることへの執着みたいなものが溢れてくるのは何なんだろうと考えていて、でも、未だ答えが見つかっていない。

今日、ふとしたきっかけで、『止められない時間を残したいと思っているのだ。あり得ない事をあなたは可能にすることができる。そうして未来を残していくのだ。』という言葉をいただいて、なぜだか涙が溢れた。

涙の訳にもまだ到達できていないけれど、何か琴線に触れたのだろう。

このいただいた言葉の意味を、考えながらこれからも写真を撮っていきたいと思う。そして、それと同時に、なぜか分からないけれど、正解とか不正解とかないんだけれど、私がやってきたことは間違ってなかったな、と思えた。変わらず写真を撮っていこう。そして、想いを伝える努力をしていこう、そう思った。

私は写真の力を信じている。



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出張カメラマン 小川美佳
Ogawa photo worksという屋号で家族写真やポートレート撮ってます。
9歳5歳の自由気ままな女子二人の母。子供のいる空間がおもろくて好きです^^笑
インスタ→https://www.instagram.com/opw_official/?hl=ja

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