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つい尽くしすぎてしまう…ということについて
いつからだろう。気づいたら私は尽くす恋愛をしていた。
私にとって「尽くす」というのをもっと具体的に言うと、
「相手の望んでいる価値を無理をしてまで提供する」
ということ
そしてそれを継続することを意味していた。
「相手の望んでいる価値」というのは、明確に相手からそうしてほしいと伝えられた場合もあれば、相手が望んでいるだろう、と自分で勝手に決めつけた場合もある。「私に期待すること」「私と一緒にいるメリット」みたいなものだ。料理ができる、とか、痩せてる、とか、気が利く良い子、とか。そんな感じ。
そして「無理をしてまで提供する」というのは、「自分は望んでいないけど、自分自身や自分の行動を変容させること」を意味する。それも自覚はなく、無意識に。
尽くす編
もし私と恋愛関係にあった人がここまで読んだら、「自分は尽くされた記憶ないよ!」と言う人もいるかもしれない。でもそれは無理もないことで、尽くすというのはそれに気づかれてしまったら意味がないものなので、あくまでも「私はあなたの望む価値をたまたま持ち合わせていますよ」という涼しげな顔を、これまた無意識でしていただろうと思うのだ。
相手の喜び=自分の喜び
相手が喜んでくれる=自分の存在が認められている
ずっとそう思っていたから、尽くしている間は幸せだし、相手も喜んでくれていたと思う。たぶん。
でも結局いつも私自身の感情がわからなくなっていった。
連絡がなくても夜遅くまで帰りを待ったり、相手の予定に合わせてスケジュールを空け続けたり、頼まれてもいないのにたくさんご飯を作ったり、全部全部勝手にやっていた。
相手からすればそれが当たり前になっていくのは当然のことなのに、いずれ私は限界を迎え、相手はそんなのは頼んでいない、となる。当たり前の話だった。
相手は悪くない。全て勝手に私がして、勝手に苦しくなっていた。相手からすれば本当に迷惑な話だったと思う。
考えてみると、恋愛に限った話ではない。
友人関係ですら私は、
一緒にいて楽しいと思ってもらわないといけない
楽しませられるような何かを用意しないといけない
と思っていたし、
友達がたくさんいるタイプの友人と遊ぶときは、
今日この時間に自分が価値提供できなくても、この人は他の友達と価値ある時間を過ごせるだろうからプレッシャーが少ないな
とまで思っていた。
自分は何かしらの価値を提供しないと、人と一緒にいられない
なぜなら自分はそのままでは価値がない人間だから。
そう信じ続けていた。
尽くさない編
色々あって今のパートナーと出会う。
私が 尽くす=無理をする のを望まない人だった。
「やりたかったらやってもいいけど、やりたいと思わないなら別にやらなくていいよ」と笑っていた。
私の「"本当にやりたいことをやっている姿"を見るのが好き」とも言っていた。
私の頭の中はハテナでいっぱいだった。
んー それは流石に嘘でしょ。
尽くさないと何も価値がないのに?
何も提供していないのに一緒にいてくれる、というのはどういうシステム?
って感じだった。
赤ちゃんだったら、癒してくれたり可愛かったり、そこにいるだけで価値があるのもわかるけど、私は大人だし
仕事だったら、何もしていないのにお金をもらったら給料泥棒になるし
お店で美味しいご飯を食べたのにお金を払わなかったら犯罪じゃん
そんな感覚だった。
何かしないと落ち着かない
自分は愛情を無銭飲食してるんじゃないか?
いつか、「本当に何もしなくていいわけないじゃん」と言われてしまうのではないか
尽くしている方がよっぽど安心する
そんな思いを抱えながらも、結局私は「尽くさない」というのを意識的にやる羽目になった。
それが本当にパートナーの望みなのだと信じられるようになるまでは、不安で仕方なかった。
***
半年くらい経って、
あぁ、ほんとに尽くさなくても大丈夫かも?
と思い始めた。
「尽さなくても」というのは、「無理して相手の望むことをしなくても」
「大丈夫かも」というのは、「私がここにいることを許されるかも」
ということだ。
その経験を積み重ねて1年経った今は、
「価値提供しなければいけない」
みたいな気持ちはだいぶなくなった。
たまに癖で 無理な価値提供=尽くすこと をしてしまいそうになるけれど
「それって本当に自分がしたいと思ってる?」
と自分で自分に確認するようにしている。
その結果、本当に自分がしたいと思うことだけを、少しずつできるようになってきた気がする。
尽くす恋愛=悪いもの だとはあまり思っていない。
「恋なんて ただのゲーム」と竹内まりやが歌っているように(名曲!)
それこそ「楽しめば それでいい」と思う。
尽くす楽しさも知っているし、尽くしたいと思えて、たくさんそんな経験ができたことは財産だと思う。(本当にいろんな人に感謝している。ありがとう!)
でもやりすぎると絶対に辛くなる。そして何より相手に迷惑がかかる。
尽くさなくても大丈夫な関係は必ずある。
つい尽くしてしまう人は、まずは
この世界に無理をしなくても安心していられる場所があるかもしれない
と信じることから始めてみてもいいかもしれない。
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