不登校だった20年前の自分に「誰のせいでもない」と伝えたい
小学校に入学して程なくして、私は学校に行けなくなった。
ちょうど今から20年前のことだ。
原因はいじめられたとかではない。ただ、とにかく不安だった。
父が帰ってこない家に母と二人。
もし母が死んだら自分は一人でどうやって生きていくのか。
ただただそれが不安で、私は家から一人で出ることができなくなった。
結局夏休みに、およそ800キロ離れた祖父母のもとに母と引っ越した。環境がガラリと変わり、新しい学校には毎日通えるようになった。
不登校の日々
「行きたいけど行けないの」
母としていた当時の交換日記を読み返すと、幼い私の字でそう記されていた。
当時について、正直あんまりたくさんのことは思い出せないけど、行かなきゃいけないのは分かっているけどどうしても行けない、といった感じだったと思う。
母は学校に行けとは言わなかった。それは有難かった。
校長室に短時間だけ母と登校したり、音楽の授業だけ参加して後ろで母に見ていてもらったり。母は本当に大変だっただろうと今となれば思う。当時の私は自分のことで精一杯で、そんな母を気遣う余裕なんて全くなかったけれど。
一番覚えているのは運動会だ。
運動会の練習に参加できるわけもないので、練習しているクラスメイトたちの姿を、グラウンドの端から校長先生と母と眺めていた。
運動会当日は、確か私が学校に行けていないことを知った幼稚園の頃の先生も来てくれて、これまたグラウンドの中心からはだいぶ離れた、誰の目にも触れないくらい遠いところから、大人たちと一緒にみんなを眺めていた。
幼稚園の先生のことは大好きだったので、来てくれて嬉しい気持ちもあった。
でもやっぱり、みんなと一緒に参加したかったという、寂しくて悲しくて悔しい思いは、6歳の私の心の底に確かにあった。
「誰のせいでもない。生きていていい」
母はよく
「家族がこうなってしまったのは、あなたのせいじゃないからね」
と言っていた。
「不登校になったのは、あなたのせいじゃない」
「家族がバラバラになったのは、あなたが不登校になったせいじゃない」
そう伝えてくれた。
その気持ちが有難い反面、その言葉の中に「他の誰かのせい」の存在を感じてしまう自分がいる。この問題は「誰かのせい」で起こってしまった問題なのだ。
そのとき自分はこう感じてしまう。
それってきっと本当は、全部自分のせいだ
と。
どんな家庭環境でも毎日学校に行っている子はたくさんいるし、
いじめられてもそれを跳ね除けて学校生活を送れる子もいる。
環境のせいにしてはいけない。
誰がなんと言おうと全部自分のせいなんだ。
自分がいなければこうならなかったんだ。
自分さえいなければみんなもっと幸せだった。
自分なんていなければいい。
そうやってどんどん認知が歪んでいくことを今の自分はようやく俯瞰で捉えられるようになったが、幼い自分が自分を責める沼にはまっていくのは当然なのかもしれない。
当時の母に伝えたい。
これは誰かのせいで起こった問題ではない。だからどうか自分自身のことも責めないでほしい。
親が幸せであることが子どもをどれだけ安心させるかを想像してほしい。私は親になったことがないのでそんな簡単な話じゃないのかもしれないけど、できるだけ幸せでいてほしい。
そして当時の私に伝えたい。
「誰のせいでもない。あなたは生きていていい」
そもそも不登校の原因は一つではないことが多いし、いじめ等の明確な原因がある場合を除いて、無理に原因を探るのはあまり有効ではないという考え方もある。なぜ不登校になったか原因を考えるよりも、今後どうしていきたいかを考える方が建設的かもしれない。
それに再登校以外にも選択肢はいくつかある。フリースクールだったり保健室登校だったり転校だったり、すぐに答えが出るものでもないし、何か試して無理そうだったらまた考えればいい。
その根底として、「あなたはここにいていい」ということを伝えたい。
「ここ」というのはあなたの好きな場所。
あなたがいたい場所、心地いいと思える場所にいていい。
あなたはどこでだって、好きなように生きていける力を必ず持っているから。
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