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〇〇さんって、近所のコンビニに行く感じで高級車買ってくんだよ

 マンションのエントランスに、若い男女二〇人くらい(おおよそ八割が男性)がたむろしていた。それぞれが馴れ合うことなく、スマホをいじったり高い天井を眺めたりして中立状態を保っている。つまり、よそよそしいのだ。
 私はその時、マンション内の友人三人とエントランスのソファに座り、くだらない駄話を貪って楽しんでいるに過ぎなかった。が、いよいよその若い男女集団の存在は見逃せないものになってくる。会話をしつつも、皆の意識がその若者集団に向けられているのを感じていた。
 これみよがしに【BALENCIAGA】のロゴが入ったTシャツを着た男性が、ペライチの名簿(?)のようなものを持ってエントランスに現れる。そのバレンシアガ男に誘われる(「さそわれる」ではなく「いざなわれる」がめちゃくちゃ正しいシーン)ように、若者集団は高層階エレベーターに、次々と吸い込まれて行った。
 ああ、これはあれだ。やはりあれだ。成功者である〇〇さんの住むタワマンの広い部屋に集まって、その方の話を聞くやつだ。「金持ち父さんって読んだことある? ないの? 絶対読んだ方がいいよ」とおもむろにビジネス書をおすすめされるあれだ。「品質は本当にいいんだよね」と念押しされるやつだ。訳知り顔の参加者から「君はぁ、××くんの友達だっけ?」と、カモが被らないようにいちいち確認されるあれだ。“あの組織”だ。
「ねえ、あれってさぁ……。」
私が、すでに全てのカモが吸い込まれ切ったエレベーターを見つめながら呟く。その場にいた一人が「ねえ、やっぱり?」などとおちょくったような目元、そして半笑いで言う。皆まで言わずとも、その場にいた皆が、あの組織の存在をマンションの上層階にビンビン感じ取っていた。
 私はそこで、先出の「ああ、これはあれだ」からスタートする段落の内容を面白おかしく喋った。三人は「えーマジで?」などとなおもおちょくった表情のまま聞いている。
 私がなぜ、あの組織についての情報を知り得たかというと、その理由は簡単だ。妹が、うっかりあの組織のバーベキューに参加したことがあるのだ。当時、妹から、私の知らない世界の話を聞いて「ほおー」なんて、変に感心したのを覚えている。

 この日の出来事をLINEで妹に話した。「古のヤクザの親分とか若頭が住んでるような和風のでかい平家に住みたい。あの組織に入れば住めるかな」なんてどうでもいい願望まで添えて。
「彼らはタワマンを目指してるから。そういう家に住みたいならヤクザの親分になるしかないよ。」
そう冷静に言われた。
 彼らがステータスにしたがるような場所に、流れ流れて、見栄も恥も外聞もない、しがない私が、ワケあって住んでいる。なんだか、引っ越したくなった。

 二十四、五の時だったと思う。私は渋谷のNHKのちょっと手前にあるカフェにいた。サンマルクだったような気がする。もう何年も渋谷には足を運んでいないので、そのカフェが今も現存しているのかどうかはわからない。誰かと一緒だった気がするけれど、誰と一緒に行ったのかも思い出せない。おそらく、飲み会の前に時間を潰すために入ったとか、そんなところだと思う。夕方から夜の時間帯だった。
 私の座る席の斜め前に、男性三人が座っていた。それはもう見た目からビンビンに「俺ら? ラッパー」みたいな雰囲気が漂っていた。私から顔が見える位置に座っている男性は、ラッパーのサイプレス上野さんの偽物みたいな風貌だ。確実に本人ではなく、偽物だった。
「俺さ、お前らには本当に期待してんだよ。」
偽サイプレスさんは二人の男性(後ろ向きで、私からはその表情はうかがい知れない)に向かってそう言った。どうやら偽サイプレスさんは、二人の先輩のようだ。二人の男性は「はい! ざっす!」「っす!」と、「え? テスト勉強? 全然してなーい」と教室でヘラヘラしている野球部員が、部活中にだけ神妙な面持ちでやりそうな合いの手を入れていた。
 「こいつら本当に話聞いてんのか?」とぼんやり考えながら、私はぐるぐる絞られた生クリームが乗ったココアを飲んで眺めていた。で、とりあえず、偽サイプレスさんの勢いは止まらない。
「ゲスト呼べなかったら、自分らでケツ持つくらいのことしないとじゃん。だろ?」
偽サイプレスさんは、そう言った。つまり「クラブでイベントをやって、客を呼べなかったらその分、お前らがハコ代払うくらいの気概持ってラップしろよ。お前らは別に、オーガナイザーじゃないけどさ? でもそれがヒップホップだろ?」端的にまとめるとそういう話だった。
 それがヒップホップかといわれれば、そうじゃない気がする、と私はそう思っていた。むしろ、ヒップホッパーなのに、長いものに巻かれてすごすごと金払うような精神はどうなの? それってむしろヒップホップじゃなくない? 雰囲気的に。そんな世界、超wackじゃない? いや、客呼べないのはだめか。この二人はラップ下手なんだろうなぁー。と、うんこみたいにぐるぐる巻かれた生クリームをぐるぐるかき混ぜながら、ぐるぐる考えていた。まあ、そういった業界のことは何も知らないが。
 そこから偽サイプレスさんはなんやかんやと管を巻いていたが、その内容を私は全く覚えていない。覚えていなくても、なんら問題のない内容だったと思う。ただ、「まあ、クソ野球部みたいな反応の一つもしたくなるよなー」という感じの内容だったという記憶はある。
 この渋谷での記憶と、今回の“あの組織”を私は脳内で繋げてしまった。
 まずは自分で商品を買って、それを売る。自分のノルマがそれとなく決まっていて、それに達する数のゲストを呼べなかったら、下っ端でもハコ代のケツを持つ。ほら……今“あの組織”の説明からラッパーの説明にぬるっとすり替えたのに、あまり違和感がないじゃん。
 なんだか、通じるものがある。「お前らには期待してる」そんな甘い言葉が節々に出てきていた感じも、なんだか似通っている。

 妹から、「そのバーベキューに一緒に行った知り合いが今では、『〇〇さんって、近所のコンビニ行く感じで高級車買ってくんだよ。そういう人生良くない?』って言ってくる」と返信のLINEが届いた。
 そういう人生の何が良いのだろうか。何も良くない。高級車はもっと考えた上で買うべきだと思う。
 高級なものというのは、高級なものを下らないものみたいに扱ったもん勝ちという層にも愛されてしまうものなのだなと感じた。
 「マジか。なんて反応したの?」そう、送った私のLINEに返ってきた妹の返信はこうだった。

「『わかります。うちのお父さんもそうです!』って言ってみた。」

 強い。めちゃくちゃに強い。私の妹は笑顔がとても可愛くて素敵だ。屈託のない笑顔で「わかります! わかります!」そんな言葉を顔面に貼り付けて言ったのだろう。
 成り上がり感を出して張り合う雰囲気を出すのではなく、“金持ち父さん”を持つ根っからの世間知らずの成功者レールにいるかのような無垢さを演じるのは強すぎる。速攻で話が切り替わったらしい。
 ちなみに、うちのお父さんは金持ち父さんなわけではない。自分の好き勝手にお金を使っているだけの道楽父さんだ。
 今、あの偽サイプレスさんはどうしているのだろう。彼に『金持ち父さん 貧乏父さん』をおすすめしたい。きっと、ものすごく感銘を受けるだろう。


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