不知火工務店
不知火工務店の雑記になります。
つい最近、X(旧Twitter)で誰かが呟いていたオカルティックな投稿を目にした。 「死んだ人が誰かの夢に出てくるには相当なコストがかかる」 みたいな内容だったように思う。 つまり、死んだ人間が生きている人間の夢の中に登場するには、神様なのか仏様なのか、誰かしら死後の上層部になんらかの対価を払わねばならず、その対価が結構ハイコストなものなのだ。みたいなことらしい。輪廻の先を明け渡すとかそれ系のものなのだろうか。 このツイートを見たとき、ふと思い出したことがあった。父方の
人身事故の現場に遭遇したことがある。 ホームから電車に轢かれる人を目撃したのではなく、乗っている地下鉄に人が飛び込んだのだ。 たしか、二十三歳くらいの時だったと思う。当時の私は川崎に住んでいて、新橋でJRから銀座線に乗り換えて外苑前にある職場に通っていた。 その日は先頭から二番目の車両に乗ったのを覚えている。珍しく、新橋から座ることができた。眠かった。座ってすぐに首を垂れて目を閉じた。 当時の私は、とにかく生活が荒んでいた。毎晩遅くまで酒を飲んでいた。誰かと飲むこと
マンションのエントランスに、若い男女二〇人くらい(おおよそ八割が男性)がたむろしていた。それぞれが馴れ合うことなく、スマホをいじったり高い天井を眺めたりして中立状態を保っている。つまり、よそよそしいのだ。 私はその時、マンション内の友人三人とエントランスのソファに座り、くだらない駄話を貪って楽しんでいるに過ぎなかった。が、いよいよその若い男女集団の存在は見逃せないものになってくる。会話をしつつも、皆の意識がその若者集団に向けられているのを感じていた。 これみよがしに【B
年端もいっていない頃から一日中、寝てばかりいる。少し動いたと思えば私の進路を妨害するような動きばかりする。どんなに洒落たベッドを買ってあげても、母から送られてきたフルーツが入っていた『くだもの王国 ぶどう』と書かれた入り口がややすぼまった段ボールで寝る。鈍臭い。腹が減ればうるさく喚く。毛並みが良い長毛は艶があり、見た目だけはいい。 そんな猫がうちにはいる。 この猫が我が家にやって来るまで、私は猫を飼った経験がない。両親、妹たちと住んでいる時にはおそらく、「猫が飼いたい」
息子が先日、焼肉のタレで焼いたレタスの肉巻きを白飯の上にポンポンとバウンドさせて「味スタンプ!」などとのたまっていた。 素晴らしい発想力だと思った。「味」という言葉も「スタンプ」という言葉も、私はもう三〇年以上前から知っている。しかし、その二つを組み合わせて白飯に味をつけることを「味スタンプ」と表現したこともなければ、そもそも発想すらしたことがなかった。子どもならではの発想だなと感じた。 大人になると、無駄に生きていく上での知識を取り込み不測を敏感に察知する一方で、