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宮沢賢治の「土神と狐」

なんで狐は笑っていたんだい。ということを書きたい。

私は宮沢賢治が好きです。
中でも特に好きな作品が「土神と狐」。

印象的なのはやっぱりラストシーンです。殺された狐の笑みと声を上げて泣く土神。
決してハッピーエンドとは言えない終わり方なのだけれど、初めて読んだ時、私はあまり悲劇やバッドエンドだとは感じなかった。だって、なんで狐は笑っていたのか。

私は嘘が苦手だ。嘘をつかれるのも嫌だけれど、どちらかと言うと嘘をつくことや隠し事をすることが、子どもの頃からとても嫌いだ。窮屈で落ち着かない気持ちになる。

この物語に出てくる狐も嘘は苦手なようで、自分をだめなやつだと責めて、本当のことを言ってしまおうと考えている。その一方で嘘をつくことをやめられず、どんどん嘘を重ねてしまう。

格好つけたい気持ちはどうしようもない。自分を少しでも良く見てもらいたいと望む心は、きっと誰しも持っているものだと思います。相手が好きな人なら尚更でしょう。嘘をつき続けるのは辛いけれど、狐にはもう止められない。

だから、物語の最後での狐の笑みは、苦悩や葛藤からようやく解放されたための安堵の笑いだと私は思っている。土神も狐の本当の姿を知って、狐のために泣いてくれる。最期にようやくわかってもらえる、救われる、そんな話だと思っていた。



ただ、ここでひとつ引っかかる点もあるのだ。
救済される場面での表情として書くなら、私だったら「うすら笑った」ような顔とは描写しない。
うすら笑いって、嘲りとか、なにか暗い気持ちが含まれる時に使う言葉でしょう。あれ?狐は何を笑ったんだ……

土神が殺生をおこなって、いよいよ神として堕ちてしまったことへの笑いという説もきいた。この読み方だとなんだか後味が悪くなる。土神の涙の意味も変わってくる。
この読み方だと狐の性格がどろどろしすぎだし、救いがなさすぎる終わり方になるのであまり私的には好みではないけれど、納得できるような気はする。

どうして狐は笑っていたの!結局なんの笑みだったの!気になる。ものすごく。
ここまで読んでくれた方、コメントに考察、解釈などよかったら書いていってくれると嬉しいです。

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