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気持ちの落ち込みから最悪なことを考える前に

竜ちゃんのことがめちゃくちゃショックだった。

テレビをつけると、いろんな情報が入ってきて、自分の心を刺激した。

もうなんかやりきれなくなって、テレビを消す。

そんな気持ちを一時的に忘れるために、ゲームとか心地よいマンガを読むとか、そんなことをして眠れない時間を過ごした昨日だった。

そんな日に仕事があって良かったと思った。

なかったら、夜には相当ひどいことになってたんじゃないかな。

この記事でそんなモヤモヤした気持ちを言語化して、捉え方を変えてみようと思う。


見えない心をどう扱うか

とにかく悲しい。

どうしてそうせざるを得なかったんだろうって気持ちと、しんどかったんだろうなって気持ち、どうにかできなかったんだろうかっていうやるせなさ、いろんな気持ちがうごめく。

報道からは、このパンデミックでの環境の変化が背景にありそうなことがなんとなく伝わってきた。

飲み会ができない、いつものネタが使えない(感染対策)など。

↑決めつけているわけではなくて、そこから私が感じたことを、ここでは言語化させてもらう。竜ちゃんとは全く関係のない、自分の中での気づきだよ。


マイスタンダードが使えなくなったとき、それに代わる何かがすぐに見つかったらいいけど、長年築いてきたマイスタンダードを手放すとか、他に替えるとか言葉で言うほどカンタンじゃない。

そう思って、そうか、私も今そんな感じだ…と自覚した。


今まで生きてきて使ってきたマイスタンダード、言い換えたら「生きる戦略」みたいなものが通じない、使えない、だから私はシンドイんだ。

そうか。

そうだよな…ホントしんどい。

生きていく見通しが持てないもの。


心の病気、そんなワードがチラホラ上がった。

「うつ」って言葉を、精神科医は気軽に診断できないって言う。

自分の心の弱さが原因だと、自分を責めてしまいやすいからって。

でも心=脳という臓器の病気であって、他の病気と同じように治療するしかなくて、それは自分がダメだからとかではない。

それなのに自分も周りも「自分が弱いからダメ」とか「頑張って治そう」とか余計に苦しめるような捉え方をしちゃうんだとか。

物事をマイナスに捉えがちなのは、うつのせい。

それを自分のせいにすると向き合うのがしんどくなるし、素直に薬も飲めなくなるんだとか。

自分がダメなのにそれを薬でどうにかするなんて間違ってるとか、薬を飲む罪悪感とかにつながるらしい。

薬は臨床試験でしっかりと効果が確認されているものだから、ちゃんと飲めば良くなるのに、精神科の薬って怖がられたりして、なかなか上手くいかないのだとか。


うん、わかる。

私もそうだよ。

お金のことや通院の手間、ドクターとのやり取り、そういうの全てしんどくって、なかなか向き合えない。

これがガンです、とか、腎臓の病気で手術が必要です、とか言われたら、何より優先して通うだろうに。

そこの違いは、やっぱり自分次第で何とかなるんじゃないかって思ってるのかもしれない。

何とかならないから、病気だし、治療が必要なのにね。


報道を聞いてると、自分にも当てはまるのを感じる。

どうにかしたくて noteで自分を応援しているけど、限界あるよなぁ。

特に私みたいに、衝動性が強い人って行動力あるからさ…本気になったら何するにも強いんだけど、裏返すと…怖いよね。

なんかそんなこと考えたりして、やっぱり気持ちがどーんと落ち込むわ。


どーんと落ち込んだときにさ、頭をかすめるのは子どもたちのことで。

私だけならいいけれど、子どもへ悪影響は与えたくないなぁって。

だけど、なかなか頑張れないんだよね。

ちょっとしたことに心が刺さって、落ち込んで、少しの頑張りでいいことがものすごく大変で、すごく疲れる。

これを「ジブンゴト」じゃなくて、自分の機能低下した脳が起こしてることだとしたら、何とかすることでもないのかな…ちょっと休みたい、それだけかもしれない。


からだと心のメカニズムから

昨日、ダイエットの記事にコメントがあって、私の専門の運動機能に関する質問だったのね。

アキさん、いつもありがとう)

私は自分に考えられることをできるだけわかりやすく伝えようと、返事を書いたんだけど、それが今の私に重なった。

運動機能も心の機能も、メカニズムは同じだったりするものね。


痛みが出ている、つまりからだや心からSOSが出ているとき、人は何ができるか。

からだの組織に関しては、無理がたたってどこかを痛めた、組織が傷ついたんだろうと思う。

その痛みそのものは「自分の何かがいけない」とかじゃなくて。

もちろんベースには筋力とか筋アンバランスとか体力とかあると思うんだけど、それがダメなんじゃなくて。

持ってる機能以上のことを頑張りすぎてどこかに無理がかかって痛みが出た、ということ。

そのとき、ベースの「自分の運動機能」を高める、整えていくことはすごく大切な視点ではあるけど、「今」最優先すべきは、痛めた組織の自然回復や修復で、それを助けるのが薬だったりする。

生きていれば全く動かさないってことはできなかったりするし、そんな生活の中で負担のかかりやすい部分に負荷をかけず治りを待つってすごく大変で。

だから薬って重宝する。

毎日やることが多くて忙しい人が多いこの世の中で、薬の力は必要不可欠な気がしてる。

自己回復を待つ余裕がなかなかなかったり、回復よりも炎症の再燃の方が強ければ、慢性化しやすい。

何かをすれば治るのではなくて、治るのを待つ、薬で手助けをしてもらう、という意識。


それと、再発しないために自分のからだの状態を知り、整えることも大切になってくる。

ただそれをスタートする時期は、痛みが少し落ち着いてきてから。

加減も難しいから、この時期に専門職の関わりはとても心強いし、加減の調整もできると思ってる。

めちゃくちゃ痛い時期というのは、無理に動かさない方がいい。

そして、再発し続ける場合には運動機能をしっかりと評価してもらい、弱い部分をしっかりと鍛えて関節に負担をかかりづらくしていく必要がある。


そう、私はそんな仕事をしてきた。

だけど大半の人は痛みが減ってくるともう大丈夫!と向き合うのをやめてしまうのね。

ホントは痛みが減ってきてからが勝負で、そこでいかに自分の体と向き合えるか、だったりする。

痛みの時期が長いとそういう覚悟もするしかなくなるんだけど、軽いうちは軽く考えちゃう…でもそんなものなのよ。

そういうメカニズムが、今は自分の「心の状態」にリンクする。


私ね、上手くいかない現実をつくっているのは、自分の心の未熟さや考え方の偏り、白黒な捉え方が影響してるって分析した。

で、その部分に自分で何とかアプローチできないかと思って、試行錯誤してきたんだけど、そもそもそこと向き合うパワーがなくて、途中でドッと疲れてしまう。

もうしばらくそんな感じ。

それでも、1年前よりは良くなった気がしてる。

休める時間が増えたし、悲しい刺激を全て真に受けない捉え方も少しずつできるようになってきたから。

それでもすぐに落ち込むのは、そう、脳が今そんな状態なのよね。


例えば膝関節を痛めて炎症を起こしたとする。

痛いのを無理して歩けば、やっぱり再燃するのよ。

でも歩かないと筋力が落ちるからって、痛くても頑張って歩く人がいる。

そんな人には、膝に体重をかけない形での筋トレをすすめるの。

目的は筋力を落とさないため。

痛めた膝に負担をかけずに筋力はつけていく…それが痛みを落ち着かせつつ、痛みがなくなった時にまた元気に歩けるためのコツなんだ。

寝てやる体幹や足のストレッチやトレーニング、座ってやる重心コントロール、結構キツイよ?

コレちゃんとやったら、膝が良くなったときに絶対に歩くのが楽になってるから!


そう考えると、脳がしんどくなってるときは「脳を使わずに気分を変える、淡々とやることをこなす」がいいんじゃない?

ちょっとひらめいた。


考えないでできることをする。

脳に負担をかけないで、日常に必要なことをしていく。

今日はコレだけって決めて、日中は淡々とタスクをこなすだけにするのもいいよね。

確かに、今の私は脳を使おうとすると疲れちゃう。

最近の傾向ってそれだ…休むって大事だね。


私をいたわる

ちょっと俯瞰して自分のこと、考えられた。

嬉しい。

ここまで言葉にしたら、少し今の状況でも前向きに考えられる気がするわ。

今の私にできることって、今の私の状態がわからないことには難しいんだもの。

やたら疲れやすいのは、歳のせいだけじゃない。

ずっとそこまでADHD特性に振り回されてこなかったのに、今すごく振り回されちゃうのも、脳が疲れて抑制しきれないだけだ。


抑制ってね、高度な機能なのよ。

人はいろんな機能に抑制がかかっていることでコントロールできるの。

脳がダメージを受けると、抑制がかからないことで大変になること、実はいっぱいある。

それと同じね。

今の私の脳は機能低下していて、抑制が効きづらいんだわ。

無理し過ぎると慢性化しちゃうよね。


そう考えると、今、食べ過ぎちゃうのもなんとなくうなずける。

抑制が効かないのもそうだし、あとは脳がエネルギーをいつも以上に欲してるんだわ。

無理してる証拠。

ここ数年で5キロ以上増えてるって、SOSよね。

からだがSOS発してるんだから、頑張らずに最低限で生きていったらいいんだわ。


何とかなる。

大丈夫。


テレビの精神科医がね、生きていればいつかは「生きてて良かった」という日が来るって言ってた。

そういう日を待つ。

それって抑制効かないとなかなか難しいことだけどさ、でも紙に書いてどこかに貼っておいてもいいじゃない?

大丈夫っていうメッセージが伝わるような人の笑顔の写真とともに、その言葉を貼っておいて、毎日見る、それだけでも脳のエネルギーになりそう。


ああ!だからだ。

私、人の笑顔の写真にめちゃくちゃ飢えてた。

子どもたちは撮られるのを嫌がるから、子どもで想いは叶えられないのだけど。

人の笑顔の写真をたくさん見て、元気出そうかな。

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