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自分を俯瞰して、ただうなずくということ

私って、なんだかんだ言って、勝手気ままに生きてきたんだな…と日々実感しています。

そういうことを感じるようになってきた、ということは、それだけ歳を重ねてきたということなんでしょうか。

私は仕事で高齢の方と話す機会が多いので、「歳を重ねていくこと」はいろんなことを手放していくことだったり、衰えていく自分とうまく付き合っていくことだったり、できないことは人を頼る選択が必要だったりするのかな…と何となく感じています。


今まで何にも考えてこなくても何とかなった「組織に属すること」も、思っていたより自分のコントロールが必要だってわかりました。

合わないなら、組織に属さない方法もあるけれど、今の私にはいい学びかもしれない…と思って、日々いろいろと考えることにしました。

自分で自分のことを守れるならば、何とかなるでしょう。

やっとそんな境地に至っています。


昨夜の会話から

昨夜、夫とした会話をそのまま記録してみました。

それがこの記事です。

夫と話していると、夫がとても穏やかで、私の焦りや思い込みなどをフワッと吸収してくれちゃうので自覚なかったのですけど、結構好きなこと言ってるじゃん、私…と反省しました。

今まではそんなふうに反省するような時間の余裕も心の余裕もなかったです。

だって、目の前の現実にただただ対処していくだけでも大変な日々だったから。

学生時代は勉強や人間関係、就職してからは仕事のスキルアップに結婚・出産・育児との両立。

少しずつ子どもたちの手が離れてきた今、やっと心に余白をつくれるようになり、今まで考えてこられなかったことをゆっくりと考える時間が持てるようになってきたんです。

とはいえ、まだまだ子育てで必要なことは山積みなのですけどね。


ただ、少し親の責任は軽くなってきたんです。

自己選択と自己責任。

親は考えるキッカケを与えたり、視点を広げたりするのがせいぜいで、最後は子どもが決定するのを応援する役割なんだなって、実感していて。

そこに親の不安はいらないのだな、とわかってからは、本当に心が楽です。


そんな感じなので、今の私がチャレンジしていて、難しいなぁと思ってることに力を使って、自分もステップアップを楽しもう、と意識を変えました。

「人の役に立たない私はダメなやつ」という無意識の思い込みから抜け出して、もう少し人と自分を俯瞰してみることにチャレンジしているんです。

今日も仕事でそんなふうに意識していたら、普段だったらドギマギしちゃってたことも、自己嫌悪になりそうなことも、そう思わなくても大丈夫ねって、自分に言ってあげられました。

そうやって俯瞰できるようになってくると、夫にかけた言葉も吟味できて、昨日のようにすぐに修正できたり、一緒に考えられたり、人との関係を築く上で大切なことが自然とできるようになってくるんですね。


子どもたちとも有意義な会話ができた

そんなふうに考えていると、自然とそれが態度や言葉にも表れるんでしょうか。

子どもたちとも深い話ができました。

思春期の男の子ってなかなか難しいけれど、ベースが落ち着いていて、大切なことは話をする関係ができてくると、こんなにも頼もしく、いろんな話ができるのだなぁと感動しています。


長男の不登校も次男の学校での問題行動も、発達の凸凹や子育ての仕方のせいにしなくて良かったです。

ひとつひとつ向き合っていく、その過程が大事でした。

子どもたちと向き合う中で自分自身とも向き合って、一緒に成長してきて良かったです。

時間はかかるけど、人生が豊かになると思いました。


心を波に例えてみると

以前は大波の荒れた海のような心だったけれど、今はさざなみ?

太陽の光がキラキラ反射してるような。

大波の荒れた海が悪くて、穏やかな海がいいとか、そういうのではなくて、ただ、そういう心の波の状態を自分で感じて、そんな自分に動じすぎないことなのかなと思います。

私は自分の心が大波の荒れた海のようになっていると、ザワザワソワソワ、不安で焦りも出てきて、動じすぎちゃったんですね。


今はさざなみだけれど、また波が大きくなることもありますよね。

でも動じすぎずに俯瞰して、今のように自分をちゃんと応援してあげたいと思います。

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