「何とかなる」と自然に感じられるまで
「もうアレもコレもやらなきゃいけないこといっぱいで、どんだけ頑張らなきゃいけないんだろう?」
2年前だったら、確実にこう思ってた。
でも今の私は不思議と
「まぁ、何とかなるもんだな。」
という感じ。
この変化が嬉しいよ。
状況を捉える感じが変わってきたのは、ひとつひとつ時間をかけて整理してきたからだと思う。
無意識に過ごしているとすぐに
「自分ダメ→頑張らないと!」
という捉え方をして、空回りし始めてしまうのよね、私。
だから意識して
「自分はよくやった」
と一旦受けとめてから、
「自分が頑張らないと!ではない結論」
に導いていく必要があったのよね。
それに気づくまでも時間がかかったし、分かってからもなかなか腑に落とせなかったな。
だけど、最近では感覚的に変わっているのを感じてる。
素直に嬉しい。
こうやって自分と向き合っていくのって、私には合ってる。
昨日と今日のハードな刺激
昨日は、自分の参加した雑誌の企画の撮影日。
実はね、ダイエット企画だったのよ。
↑何の企画なんだろうって記事読んで思ってた人、いたかなぁ。
体重を落として数字で見せる、というよりは、あるエクササイズを体験したらどうだったかってやつね。
やるからには結果を出したいし、企画の意図を叶えたいじゃない?
でも初めてのことだし、予測できないし、そもそも10日チャレンジだからどこまで変化させられるの?って見通しがつかないわけで。
不安だったよね。
期待に応えられなかったらどうしようって。
で、やることはやった。
それしかできなかったしね。
最終的に結果が出なくても、それはそれで受けとめよう。
だって言われた通りにやってたのに結果が出なかったとしたら、それは私の責任ではないよね?って。
そこまで背負う必要ないよねって。
申し訳ない気持ちにはなるけど、そもそも企画に無理があったんじゃない?でいいというか。
どんな結果になっても、10日間結構頑張った自分をほめようって決めてた。
結果、目に見える脇肉やウエストの変化と、骨盤の傾き、つまり姿勢の改善が見られた、と。
写真で見るとすごい変化で。
企画としては大成功で終わってホッとしたのだけど、私はやっぱりずっと緊張してたなぁって思ったんだよね。
途中、キャンプもあったし、毎日撮影と感想は送らなきゃいけなかったし、食事やエクササイズもいろいろ気をつけながらやってて、だけど頑張りすぎるとしんどいからってバランスとりながらさ、よくやってたのよ。
でも結果が出るかって、心配で心配で。
同時にそれなりに楽しんでもいたのだけどさ。
それが予想をはるかに上回る成果で、自分に自信が持てたよね。
嬉しかった。
そんな昨日の朝は、9時に三男を幼稚園に送ってから駅まで行き、電車で1時間半。
撮影して話を聞いて、終わったのが1時。
ご褒美のご飯を編集さんに教えてもらったビストロで食べて、1時半に出て、また電車に乗り。
家に帰ってから、前の職場に行って書類をもらって、そのまま三男のお迎えに行って、帰ってすぐに上の子の習い事の送迎。
夕飯は力尽きることを予測して、前日からビーフシチューを煮込んでおいたから、楽できて。
結構ハードだった。
でも以前よりもしんどくないの。
結果が出せて気持ちが軽くなったのもあるかな。
前の職場には、離れてから久しぶりに顔出したんだけど、ハッキリしちゃったよね。
一緒に働いてた職員は悪い人たちではないし、話がわからない人でもないし、ほんの何往復かの会話のやりとりをしただけだったんだけど、ああ、この感じは無理だ、と思ってしまった。
人としてどう、とかじゃなくて、理屈とか抜きで、多分感覚的に一緒にいて私がしんどく感じちゃう部類の人間っているみたい。
そんなこと気づくなんて、今さら…なんだけどね。
またここに復帰もありかなぁとチラッと思っていたけど、いや、ナシだ、とハッキリしたと思ったよ。
何か嫌なことを言われるわけでもない、会話もフツーにできる、変わったタイプなわけでもない、それなのにこの疲労感。
確かに学生時代だったら、一緒にはいないタイプの人たちだしね。
ハッキリと言葉に表せないんだけど、近くにいると神経が疲れてしまうタイプの人たちだったんだってやっと自覚できたのは発見だった。
この感覚、バレーボール部でメンバーと上手くいかなかった感覚に似てる。
バレーボールは好きだったんだけど、人間関係が上手くいかなかったの。
てことは体育会系が苦手ってこと?
でも私だって、周りからは体育会系よりだよねって言われるのに?
まぁそういう側面もあるのだけど、感覚的にはダメらしい。
どんなところが、なんだろうなぁ。
だけどさ、今までは合わない人間がいるって捉えることがいけないことのような、そんな気がしてたんだと思う。
悪い人たちじゃないし、と捉えて、だから私が上手くやればいいんじゃない、みたいな。
いや、もういいよ。
苦手だったんだよ。
サラッと離れたらいいだけの話。
今日は今日で、朝イチで療育センターの心理相談(三男)→間の30分で次男と三男の服と靴下を買う→11時から長男のスクールカウンセリング、とミチミチな予定。
以前なら、めちゃくちゃ刺激フルで、途中で色んな思いがグルグルと回って混乱して、ちょっと感情的になったり、ヤケ起こしそうになったりしてたレベル。
それがね、今は結構冷静なの、私スゴイ!
混乱する原因は刺激プラス捉え方
刺激がめちゃくちゃ多くても、今回みたいにしれっとしてるときもあれば、混乱して荒れちゃうときもある。
その違いってなんだろう。
単純に刺激の量だけじゃないんだよね。
多分だけど、捉え方なんじゃないかって感じてる。
現状をそのまま捉えたときに、頭の中で自分がやらなきゃいけないことがパパパッと浮かんでくるんだけど、どう考えても無理なこともあるじゃないね?
それが多いほど、多分混乱したと思うの。
だから子ども関係の面談とか相談に行くと、いろんな課題がハッキリしたりして、家でやらなきゃいけないことが増えて、でも時間的に無理だよねってことはいっぱいあって。
ドッと疲れる。
アレもコレもやらなきゃいけないのに、無理だ、という感覚が疲れにつながる。
もっと頑張らなきゃ終わらないのに、意に反して体は動かない、みたいな。
そんな自分にダメ出し、というのがいつものパターンよ。
それがね、最近、無意識に線引きできるようになってる気がするの。
ここまではできるけど、それ以上はどうしても無理よねって。
じゃあどうするのってところを、自分の努力に任せない選択ができるというか。
できなかったら「仕方ない」でいいかな、と自分を許せるパターンもできるようになったし、
できなかったら頼めばいっか、というのも、できなそうだから相談してみよう、というのも、相手があることだから様子を見よう、というのもできるようになった気がする。
今までは刺激量の調整をしようと思って、だけど限界があったという感じだったのよね。
量よりも捉え方を変えるとだいぶ違うって、実感したのが昨日と今日だったよ。
どうしたら自分を楽にできるか
いろんなタイプの人がいるじゃない?
例えばうちの夫みたいに、外では「平和な戦闘モード」で生きてる人って、常にアンテナ張り巡らしてて、何にもしてなくても外にいたら消耗するのよね。
そういう人は安心できるおうちや居場所、自分なりの過ごし方があるとバランスが取れると思うのね。
私の場合は常に「調和モード」。
周りの状況に合わせて自分を変えていって、うまく調和するタイプだから、外や家の環境の相性で良くも悪くも振り回されやすい。
基本的に合わせるのがイヤなわけじゃないんだけど、合わせる程度のコントロールや判断、選択が下手で、ついつい流されてしんどくなることが多いの。
そういうタイプに大事なのは、「ニュートラルに戻る」という感覚を身につけることかな、と。
他責と自責のバランス、依存と自律のバランス、テンションコントロール、人との距離感。
どっちかじゃなくていい、程よい程度の見極め。
そして線引きと割り切り、なのかな、と。
そこら辺が整理されてきたから、めちゃくちゃ生きやすくなってきたな、と思う。
どうしても自分が引っ張られやすい極論があるのよね。
例えばみんなと仲良くとかね。
だから、気づいたら「そうじゃなくてもいい」とニュートラルに近づける、そんな感じが自分を楽にするって感じてる。
療育センターの心理相談なんかも、結局、子どもへの対応の考え方を整理する、視点を変える練習だと思うものね。
「ニュートラルなものの見方」っていうのも、できるようになったらさ、だいぶ客観視できてるってことなんだろうね。
そういうの目指したいなぁ。
そう思って、早速手帳の来年の目標に書いてみた。
ん?
ちなみに今年の目標って何だったんだろ?とnoteを見返してみたんだけど、
こんなふうに言ってたね。
コレも当たってたねー、スゴイ。
だけど、コレ見たとき、不思議と今の私に必要なやつだって思ったっけ。
その通りだった。
結構低空飛行でしんどいことも多かったけど、自分と深く向き合えたし、必要な時間を自分に使えたのは良かったんじゃないかな。
あと大晦日の記事でも
なんて言っていて、これはまだまだスタート地点に立ったかどうかくらいだけど、マインドは整ってきたと思う。
ふふ。
一年、なんだかんだ、前に進んできたよね。
来年はもう少しフットワーク軽くやっていけるんじゃないかって思う。
少し、見えてきた感じがするもの。
来年はもう少し自分に必要なことを見極めて、必要最小限の中で、自分をしっかり満たしていこう。
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