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中学のお便りから〜自傷のこと〜

小中学生のおよそ7人に1人が自分の体を傷つける「自傷」をしているというデータがある、とのことで、中学の校長だよりにいろんな想いや対応、考えが載っていました。

誰かに話すことで悩みは半減します。また、身体を動かしたり、紙に書き出してみたり、好きなことをしてみたり、距離を取ってみたりする対処法もあります。

何よりも自分を大切にして、人とのつながりを断ち切らないこと。時間が解決してくれることもたくさんあります。

自分をコントロールできないと感じる、人とつながるのが怖くなる、自己否定してしまう、このようなことが続くようであればケアが必要です。

そんなふうにつづられている言葉に、ひとつひとつ、うなずきながら読み進めていくと、ハッとする文章にぶつかりました。

Q.親や周りの大人にはなにができますか?
A.苦しんでいる人を見ると、何もしないことに耐えられなくなって、すぐに介入したくなるかもしれません。それも大切な気持ちですが、その前にまず子どもをしっかり観察すること、この子はどんな体験をしているのだろうと、心の内に想いを馳せることが大事なのかなと思いますをぜひ避けてほしい対応は、頭ごなしに叱る、命の大切さを説く、二度としませんと約束させる、許可なく他の人に共有する、などです。自傷が見つかってこうした対応になったことで、二度と大人に相談しないと決めた、という子どもに何人も出会いました。

自傷には何かしらの機能があるのかもしれない、というまなざしが大切だと思います。

読みながら、思ったことを言語化します。

心の葛藤や苦しみは共通

私はね、例えばリストカットとかODとかはしたことないけど、過食には陥ったことがあります。

自分には受けとめられないほどのつらい現実。

その現実から逃げたくて、私は「食べる」ことを選択したと思います。


「自傷」を他の言葉にも置き換えると、とても他人事ではないんです。

私は「過食」。

私の母はね、いろんなことにすぐ反応する人だったけど、「過食」に関しては距離を置かれてました。

私はもっとそのときにちゃんと関わってほしかったと思ったし、病院とか、他のサポートも検討してもらえたら良かったのにってずっと思っていました。

自分では抱えられない想いを、親にも一緒に考えて欲しかったと思うのは、どうなんでしょう?

私は自然なことだと思ってしまったし、親ならそうしてくれるはずと期待したから、尚更孤独を感じて苦しかったのかもしれません。

親もひとりの人間だから、理解の差もサポートの量も質も、個人差があって当たり前なんですよね。

だけど、私は母に求めていたし、自分が親になってからは自分が求めたような親に自分がなりたいと思って、もう何年も努力と模索をし続けているけれど、納得のいく親のカタチなんてずっと習得できないんじゃないかという気持ちになってきました。

親じゃなくて、自分がどんな人間でありたいか、それだけなんじゃないかと。

誰かに寄り添ってもらえなかったとしても、それを嘆く必要はないよ。

今からでも、自分だけはちゃんと自分の味方をしてあげよう。


自分を癒すと行動も変わる

もらったお手紙にあったこの言葉。

「何もしないことに耐えられなくなって、すぐに介入したくなる」

これ、私です。

だって、何もしないなんてできないんです。

いたたまれなくなってしまう。

それは苦しかった過去の自分が重なるからじゃないかなって思ってます。

この気持ちが癒されない限り、同じような想いをしてるんじゃないかと感じると、その相手に必要以上に関わろうとしてしまいます。

手放したくてもなかなかできなかったこの気持ち。

「誰か私を助けて欲しかった。」
「私のつらさをわかって欲しかった。」
「どうしてらいいか一緒に考えて欲しかった。」

うん、そうだよね、心細かったよね、ずっと。

今でも、何かするたびに不安になったり、自信がなくなったりするのは、そのときの気持ちが思い出されるからかもしれない。

当時の私に伝えたい、大丈夫だよって。

そのときはつらかったけど、その経験から学んだことは大きかったよ。

そのつらさがあるから、私は仕事で患者さんの気持ちに寄り添えたんだと思うよ。

夫とも出会えたんだから。

人として大事なことを理解し合える大事な人だよ。

つらかったから、自分で考えて選択することが怖くなっちゃったんだよね。

でも自分で選択することは、手放しちゃいけないんだね。

なかなか難しいことだけど、自分で考えたこと、選んだことを何よりも大切にしてあげないとね。

自分でできないからつい誰かに頼りたくなるのだけど、大人になったら誰かが察して無条件に…なんてなかなかない。

だって、大人って精神的に自立していることが前提にあるんだもの。

必要だと思えば自分から頼むのだし、助けてほしいときはそれを明確にして伝えなきゃいけないの。

だから、必要なときは頼りつつ、自分のことは自分で考えて、選ぶ。

そこに誰かの正解はいらなくて、自分が本当に望んでいることを自分でわかってあげる必要があるのよね。

わかれば、道が見えてくる。

道が見えるから行動もできるのよ。


周りに左右されない自分らしさを認める

私は相手のことを思うと、自分の意見が言えない。

相手が悲しむとか傷つくとか嫌な気持ちになることを想像してしまい、罪悪感に繋がるから。


だけどね、私が自分で自分のネガティブな感情を処理したり、手放したり、整理したりするように、相手も自分のことは自分でやるの。

もちろんできる人ばかりではないと思うけど、できない人ばかりでもない。

でもそこに私が必要以上に責任を感じることはないんだよ。


目の前の人の表情や態度に振り回されないためには、私は私でこう生きていきたいっていう軸をある程度持ってる必要があると思う。

ここは譲れないとか、大切にしたい、と考えてることで、相手が残念な気持ちになってしまったとしても譲れないの、ごめんねって自分で思えること。

私にはこれがないのよね。

相手がイヤな気持ちになっちゃうならって、何でも諦めちゃうというか、自分の気持ちをないがしろにできちゃう。

もしくは、自分の考えを通してしまったことに罪悪感でいっぱいになるか。


相手が悲しんでしまったかもしれないけど、私にはそうしてでも貫きたかった想いがあるときもあるじゃない?

だから、罪悪感を抱いたってことは大切にしつつ(相手を想ってのことだから)手放そう。

そういうときがあってもいいし、周りの状況を見て自分の想いは閉じ込めておくときがあってもいい。

その選択を自分の中で明確にするのが大事。

自分でちゃんと決めてるんだ!っていう気持ちが、軸につながるよね。


思考のクセはなかなか修正が難しいけれど、罪悪感がどんどん溜まっていく感覚が出てきたら、その都度自分の声に耳を傾け、罪悪感を手放そう。






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