何年も経ってわかる、初めての彼氏の言葉
「頭で考えるんじゃないよ。感じとれよ。」
優しく笑いながら彼は言った。
私の初めての彼氏だった人。
初めてご飯を一緒に食べたときは、パスタを食べるその手が小刻みに震えてるのが印象的だった。
彼なりに緊張してたんだと思う。
甘い顔のつくりとは裏腹に、180cmを越える身長と70kg満たないスマートな体型。
彼は弱視で、やや分厚いメガネをしていたんだけど、その奥の瞳はいつも優しくて。
彼と一緒にいたのは、学生最後の年。
確か、好きだった男性が私の親友を好きになり、付き合い始めたことで親友との時間もなくなり、週末が寂しくて苦しかったころだった。
自分が選ばれなかったこともショックで、自分を否定しまくってたころでもあったと思う。
誰かに一緒にいて欲しくて、出会いの場に出かけたときに知り合った人。
家業を継いで働いていて、私の5つ年上だった。
仕事柄、指には黒い油がところどころに残っていて、なかなか後輩が育たないんだと時々もらしてたっけ。
いつも土曜日に会って、日曜日の昼からは友だちたちと会うからってまだ明るいうちに帰っていく人だった。
何度かお友だちにも会ったことがある。
優しい彼を大切にして過ごしているいい仲間だった。
私は日曜日もゆっくり過ごせないことが不満だったりしたけれど、いいバランスでもあるなぁとも感じていて。
いつも会う駅で、別れたあとの時間を好きなカフェやウインドーショッピングで過ごした。
初めての旅行は北海道。
イルミネーションがキレイだったのと、面白半分で買った手錠が、空港の検問で引っかかって恥ずかしい思いをしたのを覚えてる。
彼は1日1食でいいならその方がいい、と言うくらい、あまり食に興味のない人で。
ストレス太りでプクプクだった私が、彼と付き合って初めてやせた。
付き合ってた1〜2年で10キロくらいは減ったんじゃないかな。
彼がいたことでストレスが減ってたこと、食べ物に執着せずに過ごせたこと、楽しいことがいっぱいあったことが良かったんだと思う。
まもなく実習に突入して、私はその年、実習で不可になって留年することになった。
その頃の私はめちゃくちゃで、あんまり覚えていないのだけど、頭でいろいろ考えすぎてグッチャグチャになってる私に、彼がよく言ってくれた言葉が
「感じとれよ。」
って言葉だった。
すごく印象的だったの。
思い出という思い出はほとんど覚えていないくらいの私だけど、なんかこうカチッとハマった言葉だったんだと思う。
その後、優しい彼は私が実習に落ちたのは自分のせいだと思ったみたいで、別れようって言われたんだ。
私はグチャグチャになってる自分に愛想を尽かしたんだと思ってたから、こんな私でごめんねっていう気持ちで別れたんだよね。
留年してからの実習では合格し、無事に国家試験も通ったころ、あのころはありがとうって伝えたくて連絡をとったの。
そのときに初めて知ったんだよね、彼の気持ち。
ちゃんと聞けばよかったって思ったよ。
でも別れたからこそひとりで頑張らなきゃって、気持ちを奮い立たせることもできたのかもしれないって思うとね、それはそれでそういう運命だったんだろうなって、今なら考えられる。
彼の会社のホームページを数年前に見かけて。
社長として頑張ってるみたいだった。
ちょっと太ったかな。
相変わらずの優しい顔がそこにはあって。
私の人生の一部を一緒に過ごしてくれてありがとうって心から思ったよ。
それと、今になってやっと「感じとれよ。」がなんとなくわかったよって伝えたい。
考えるのも大事だけど、感じることってまた別のことなんだね。
私は当時、感じることがおろそかになってたと思う。
目の前のことをよく見て感じること、頭でっかちだった私にはすごく必要なことだった。
あのとき、もっと一緒にいたら私は理解できたのかな。
それともまだ私には早くて、もっと悲しい結末を迎えることになってたかな。
5つも年上だったけど、かわいく甘えてくれる彼が好きだった。
男の子3兄弟の末っ子で、そこにいるだけで雰囲気が柔らかくなるような人だったけど、計画的に貯金をするようなしっかり者の一面もあった。
せっかくスタイルがいいんだからって、洋服を見繕ったこともあったよね。
イメチェンは大成功だったね。
私は今、3人の男の子を産んだよ。
末っ子はね、無条件にかわいい。
あなたがたくさん愛されて育ったのがわかるよ。
そんなあなただから、私はすごく居心地が良かったんだと思う。
つらかったとき、たくさん一緒にいてくれてありがとう。
たくさんの時間を楽しい時間に変えてくれてありがとう。
「感じること」、今は大切にできているよ。
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