自閉的な自分に戻る

私はきっと自閉傾向が強かった。

でも失敗体験後の自責から、私は自閉的な自分を押し込めたんだと思う。

もっともっと心を開かなくちゃ、人と関わらなくちゃ、と。

だから自閉傾向のある息子たちに、いつも足りないものを押し付けがちなのかもしれない。


私の小さなころ

おそらく自閉的だったと思う。

人との関わりが苦手だったし、お友だちと遊んでいても常に自分の世界にいたから。


人との関わりは表向きあったと思う。

それは反応性が強かったから。

刺激に対して反応してしまいやすい、いわゆる衝動性があったからだと思う。

刺激がなければ、常に自分の世界にいたと思う。

絵を描くのが好きだったし、誘われなければ家で自分の世界で過ごす方が好きだった。


私とよく似ている次男が受動型アスペルガーとADHDと診断されている。

私もそうだと思う。

ただ、今の困り感はADHDの方に強く出ているので、病院ではADHDのみの診断。

つまり刺激反応性が強いことと、注意のメリハリが弱いこと。

だって自閉的な自分は押し込めちゃったもの。

外からは自閉的なんてわかるわけない。

無理に自分をこじ開けてる。

無理に人を受けとめようとしてる。

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noteでわかった自分の本当の想い

noteで本来の自分を解放すればするほど、私は思っているほど人との関わりは必要なかったんだと気づく。


ホントは自己完結したい。

ホントは自閉的な自分を取り戻したい。

ホントは自閉的な子どもたちをそのまんま育てたい。


問題は社会適応なんだ。

家庭の中ではそこまで問題は感じない。

それは子どもたちも同じ。


社会適応の問題なだけなのに、私は自分を丸ごと否定してしまったんだよね。

社会でのあり方、折り合いをつけてやっていくさじ加減、そこらへんの問題だったのに、私というひとりの人間をダメだと決めつけてしまった。

だからずっと苦しかった…家でも社会でもなんとかやってるのに。

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手紙という距離感が心地よい

昨日書いた記事で、私の心地よい人との距離感って手紙だ、と気づいた。

これでいいじゃん、ベースは。

年賀状だけ、LINEだけ、時々会うくらいの距離感。

心地いい。

そういうのが好きだ。


じゃあ、職場や子ども関係で出会う人たちとは?

そうか、表面的に付き合えばいいんだ。

一緒の時間をお互いに心地よくいられることが最優先、必要以上にわかってもらおうとか、相手に合わせなくちゃと思わなくていい。

ごまかしたり、反応しなかったり、もオッケー。

笑顔でいられるバランスで程よく付き合えばいいんだ。

そこらへんのスキルは仕事で十分習得できてるから大丈夫よ、私!


noteでの人との関わりとは?

これは私らしさをある程度解放させてもらおうと思っている場なので、私の感覚に素直に言葉にしたり、気持ちを伝えたりしたいと思う。

私らしさでつながれる人たちを大切にしよう。


時間感覚は少しゆっくりで。

投稿は思考の整理でどんどん上げちゃうと思うけれど、人との関わりはゆっくりと丁寧に。

それが心地いい。

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我が家の自閉的なメンバーたち

気がつくとそれぞれのスペースでそれぞれがやりたいことをやっているという我が家。

関わりは最低限。

最低限でもいいから、人との関わりが心地よいもの、という感覚も得てほしくて、私は心地よいつながりを大切にしてる。

無理強いはしない。

でも好き勝手にさせるとは違う。

お互いの考えを提示して、どうしたらいいか一緒に考える姿勢だけはつくるようにしてる。

喋れない4歳三男に対しても、必ず2択を提示し、違うと言われれば、他の選択肢も提示する。

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自閉的でも人とは関われる、が程よい

自閉的でも人とは関われる。

でも相手が攻撃的だったり、押し付けてくる人だったり、パーソナルスペースに入ってくる人だったり、理解を示さない人だったら、それは無理だと思う。

心は閉じる。

守りに入る感じ。

その中で、関係が広がっていくことは難しい。

そこはもうメリハリ。

必要以上に関わらなくていいし、必要だったら表面的な関わりモードにシフトチェンジしたらいいだけのこと。


長男とはもうそういう話ができるから、自分を大切にしつつ、折り合いをつけていく練習ができる。

次男はまだ難しい。

だから人との関わりで悲しい経験が積もっていきそうだったら、一度そういう環境から離れたっていいと思ってる。

心が一度完全に閉じてしまったら、そこから開いていくのはなかなか難しいもの。

三男は手厚いサポートと無理強いしない環境で、だいぶ開かれている、自然と。

人との関わりの中での拒絶反応が減っている。

注意深く変化を気にしつつ、自分である程度コントロールできるまでは無理をさせないことが大事だと思う。

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やっと育児の軸が見えてきた

自分の想いや気持ちと向き合うと、自然と育児の軸も定まってくる。

私に必要だったのはそういうことなんだなぁ、と思う。

社会の軸や周りの人が選択していることではなくて、自分の気持ちや想いをちゃんと感じられること。

そして、そんなふうに感じる時間を持てること。


勝手気ままに書き続けてきたnoteも、だんだん自分らしい自閉的な書き方になってきたことが自分にとって違和感だった。

ダメだと思ってた。

でもそれでいいんだよね。

私らしいnoteのつづけ方。

楽しみ方があっていいの。

私はこれからも自分と向き合う時間をこうして楽しもうと思う。

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