ヨガ哲学に触れて
最近ね、自分が望んで行動したり、頑張ってみようと一歩踏み出してみたり、今までの経験上こうしておけば無難と思っていたことだったりしたことが、結果、思うようにならなくて、罪悪感や劣等感、不安感につながることが多々あった。
40代を迎えて、なんだか今までのようなエネルギッシュな感じもなくなっていたものだから、自分という人間がどうにかなっちゃったんじゃないか、とズーンと落ち込む時間も増えた。
今だ、ヨガ哲学を学ぼう。
こんな自分と上手く付き合えるようになりたい。
そう思って、先日読んだヨギーニって雑誌が良かったから、ヨギーニ編集のこの本を読むことにしてみた。
とりあえず、ヨガの全体像を理解したくて。
そんなお話。
ヨガ哲学とは?
いきなり心を打ったのは、
「ヨガ哲学とは、ズバリ!自分を知って悩みなく明るく生きるための自分トリセツガイドです!」
という言葉。
おお!それをかなり切望しているのよ、私は。
日々の苦悩で湧き上がった感情で人に当たらず、自分を責めず、どうにかして心穏やかに生活したいの。
ヨガ哲学を活用するには本来の自分を知りましょう、と。
それは「自分」を勘違いで拡大認識して感じなくていい苦悩苦痛で苦しんでいることに気づくため、と。
そして、観察しているのが本来の自分であり、観察できる対象は本来の自分ではないと考えるのだそう。
何だかややこしいのだけど、本来の自分とは「観ている自分」で、体調が悪かったり、傷ついて泣いているのは自分ではない、と。
そう捉えることで、苦悩から自分を切り離し、本来の自分をダメだと思わなくて済む、と。
本来の自分は人生を楽しむためにこの世に生を受けている。本来の自分以外は心や体ですらも舞台装置であり、出来事はストーリー。だから、「今ここ」のストーリーを全力で自分らしく「気持ちよく」やり切ろう!とヨガ哲学は教えてくれています。ただし、人(自分も含む)を傷つけない、迷惑はかけないことが約束です。
読み進めていくと、私が生きていくために学んできたことがそのまま言葉になっていることが多くて、ああ、私が感じ考えてきたことはおかしかったわけじゃないんだってホッとした。
今まではとても心細かったのよね。
話してもわかってもらえなそうな雰囲気を感じていたし、夫に話すとそれは夫には当たり前だったりしたからね。
それできっとnoteにつづってた。
誰か頷いてくれないかなって、どこかで願ってたのかもね。
共感コメントをもらうと何よりも心強かったから。
これからは自分なりにヨガを学びながら、自分と上手く付き合っていけたらいいなって思ったよ。
この本には、いっぱいありすぎてよくわからなかったヨガの流派、いろんなポーズ、瞑想、呼吸なども書かれていて、何となく全体像が掴めたように思う。
今、週2回くらいの頻度でオンラインヨガをやっていてね、ポーズはとっているけれど、ただただ言われたとおりにポーズをとっているだけ。
もちろんテーマがあって、それに沿った形でのレッスンだから、ポーズを取るだけでも意味があることなんだけれど、自分の心と体を整えるという意味で、私はヨガ哲学をもう少し学びたいと思ったよ。
本来の自分を意識して生活してみて
本来の自分とは、「観ている自分」だってこと。
今まで私がトライしてきた、自分を客観視するとか、俯瞰してみるとか、そういうことと同じだと思うのだけど、「観ている自分」のイメージがハッキリしたからやりやすくなったよ。
湧き上がってきた感情にとらわれすぎないでいられる。
これってなんだろうな、私はどうしたかったんだろう?って冷静に自分に問いかけられるようになった。
ここ最近の気候の変化に体がついていけてないのか、とっても体が重くて、いくらでも寝ていられる感じなのだけど、そんな自分をジャッジせずに、ただただ今はそうなっているんだ、と受けとめられてる。
自分の目で見て聞いて感じたことが全てだと思っていたけど、それを真に受けてドーンと落ち込んだり悲しくなったりイライラしてる自分から少し離れて、ああ、そんなことになってしまったなぁ、とどこか冷静でいられてる自分がいる。
そうすると、今までのように感情や考えもダダ漏れずに済んで、自分がしたことに対する相手の反応も罪悪感や劣等感、自己嫌悪につながらない。
それでも感情が落ち着かずに苦しいときもあるのだけど、そんなときは呼吸をゆっくりする。
イライラしたときの6秒ルールよりも、私にはこのヨガの考え方がよく合ってると思う。
呼吸をゆっくりすることで、副交感神経のスイッチを入れる。
心穏やかになってきたら、大きな筋肉を動かして、行動スイッチを入れていく。
もしくはリラックスしたまま、眠ってしまう。
罪の深さが自分を変える強い動機に
自分の思考がグルグル止まらないとか、いちいち真に受けてしまってつらくなるとか、白黒ハッキリしないとイヤだったりとか。
なんとなく生きづらいと思ってきたことが、ADHD特性が絡んでると知ったのは8年前くらい。
ストラテラを飲んだら、半年かかったけど、とっても思考がクリアになった。
妊娠とともに一度薬をやめてみて、それからはお世話にならずに上手く付き合えたらいいな、と今は薬はやめてる。
もうダメだと思ったときは、また頼ろうって思いながら。
でもね、ADHD特性と私の失敗経験や困ってきたこと、日々の違和感が結びつくようになってからは、苦悩は増す一方で。
無意識のうちにやっていたいろんなことが、人を傷つけていたり、振り回していたりしていたんだなってわかったり。
また結構恥ずかしいこといっぱいやらかしてたんだってことも判明したり。
そんな自分をどうしても好きになれなくて。
またストラテラ飲んだらスッキリして、楽になるのかなって何度も考えたんだよね。
それでも今は、そんな自分を観ている自分が
「それがあなたらしさで、人間らしくもあり、悪くないよね」
と言えるようになってきたかな。
それまでにたくさん悩んできたから、乗り越えたい、どうにかしたい、自分を見つめ直したいと思えたし、そのパワーが前に進むエネルギーになってると思う。
今までも苦しくなることはたくさんあったけど、無意識に逃げちゃってたんだよね。
だけど、逃げても変わらない、子どもたちに背中を見せられないって思うから、今は向き合えてると思う。
子どもの存在って偉大だよね。
逃げられないなぁって思うもの。
その想いが、私はヨガ哲学につながったのね。
今までたくさん自分の気持ちと向き合ってきたから、ヨガ哲学で言われてることがしっくり沁み入ってくる。
今までのことは無駄じゃなかったってやっと思えてるよ。
これからは柔らかいカッコよさを目指して、日々を積み重ねていきたいな。
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