子育てと精神的自立について
あなたは精神的に自立している、ということはどんな状態だかイメージがつきますか?
私は「自分で自分のことを決められて、自分の足で人生を歩んでいる」というイメージ。
そして、私は子育てでここまで行き詰まるまでは、自分は精神的に自立していると思っていたし、今のように自分の精神状態に深くフォーカスすることもなかったです。
自分とは違う夫や子どもと生活する上で自分の感覚とは違う感覚に出会い、「こういうもの!」という揺るぎない考えがガラガラと崩れてしまいました。
その中でよく考えたのは人との距離感と精神的自立について。
この記事では精神的自立について考えてみて、自分の思考を整理してみようと思います。
よくある精神的自立の定義
「精神的自立とは?」と検索して出てきたワードを集めてみました。
・自分の行動を誰かの意志に委ねていない状態
・自分以外のものの助けや支配を受けずに、自分の力で物事をやっていくこと
・自分のことは自分で決め、その結果について自分で責任を背負うという姿勢(反対語=依存)
・他人に依存することなく、自分で自分のことが決められること。固定概念にとらわれず、自分の考えを持ち、自分らしく行動できること。
こんな言葉でまとめられていると、まぁそうだよね、と思いますね。
もう少し具体的なイメージがしやすいものもありました。
これです。
・精神的自立の8つの尺度
①自分だけの時間を充実して過ごせているか(趣味や楽しみ)
②人生の目的・目標を持っているか(自分なりに考えた独自の目標)
③夢中になれることがあるか(恋愛や友人関係などの「他者との関係性」、昇進等の「他者との競争」である場合は自身と向き合っているとは言い難く要注意)
④「誰か」のために行動ができているか(周囲と自分の距離感を適切に測れ、「相手がちょうどいいと思える行動」を考えられる)
⑤自分から主体的に行動できているか(自分で考えて自分で開始する)
⑥自分の意見を持てているか(他者に流されない「自分自身の意見」)
⑦責任を「誰か」に押し付けていないか(誰かのせい→他者依存)
⑧自分の行動・意見に自信があるか(他人は他人で、自分は自分という自己への信頼)
ここまで具体的にされると、結構危ういと思えるものがいくつかあります、私。
でもきっと全て完璧って人もいない・・・よね?
多少は他人に影響受けちゃうとか、助けてもらっちゃうとか、迷惑かけちゃうとかさ・・・(ちょっと弱気)
精神的自立のイメージの強い夫や長男
例えば、我が家の夫や長男はこの精神的自立がとても際立つイメージなんです。
人に流されないし、状況に合わせた動きってあんまりないし、自分の意志や意見をしっかり持っているし、他者との関わりよりも自分としっかり向き合えているイメージ。
でもそばにいると私の感覚より距離感は遠いし、相手を思いやるような行動はないし(よく聞くと気持ちは持っている)、一緒に何かをやろうと思っても同意されないことが多い(マイペース)感じ。
こんな感じだから、社会適応してやっていけるの?と思ってしまうのが最初の感覚でした。
私はどちらかというと、周りの大人の意見によく耳を傾け、理解し、世の中に必要とされている人間に成長して、社会で役に立ちながら自分の人生を楽しむ、みたいな感覚で生きてきました。
人との関わりの中で自分の意見や考えは状況に合わせてさじ加減して表現していくものだと思っています。
でも相手がいることなので、私はやや振り回されがちだし、自分7割、周り3割くらいの感覚だといいのかなっていうイメージ。
それは自分が学生時代、自分10割で行動してきた経緯と失敗があり(自分10割って・・・)、その時社会から学んだから思うんですね。
それと精神的自立はどう関係してくるんだろう?
精神的自立と社会適応はまた別のカテゴリですかね・・・。
精神的な自立をしつつ社会適応するって結構ハードル高いんじゃ?
勝手な私の精神的自立のイメージ
私は自分の中に2人の自分を感じています。
ひとりは本能的な自分で、感覚で動く自分。
もうひとりは社会的に考え理性を働かせて、ブレーキや助言をする監視役みたいなイメージ。
私は結構感覚人間で、自分がいいと思ったことに突進していくような夫いわく「一直線な人」なのですが、それで痛い目をたくさんみてきましたし、失敗や怒られた経験もたくさんあります。
監視役はその経験を元に助言やブレーキをしてくれるありがたい存在なのですが、時には窮屈に思ったり、ストレスを感じたり、あまりにもこの監視役の言うことを聞き過ぎると爆発しやすかった私。
そのさじ加減が難しいーー!!!
私は本能的な自分がかなりの暴れん坊なので、監視役がホントーに苦労したんですよ。
夫や長男はこの監視役が生まれつきしっかりしていて、コントロールできている感じ(夫は物心ついた時にはちゃんと監視役いたらしい。私は・・・中学くらい?)
それが精神的に自立をしている、という感覚なのかな。
生まれたばかりで本能の自分しかいない赤ちゃんの監視役、世話役、つまりマネジャー的な存在として親がいて、徐々に子どもが自分の中に親の代わりの監視役を作り上げていくのを手伝う、というのが子育てなのかな、なんて。
そう考えると私の脳みそ的には、子育てでの関わりのイメージがしっくりくる感じ!
ちゃんと自分でコントロールできるようになろうね、っていう感じでしょうか。
この部分に親の価値観や考えが強く入り過ぎてしまうと洗脳とか依存的になるのかな・・・親の価値観を刷り込むのではなくて、監視役がちゃんと自分らしい選択ができるように子どもの気持ちや考えをうまく引き出し、自覚させてあげるのが親の役目?なのかなーー。
今の私は精神的に自立している?
精神的自立について考えてみて、今の私はどうかなって振り返ってみると、まだまだ本能的な自分が優位だし、暴走しがちです。
暴走しながらも監視役がそれを冷静に見ている、という状況が作れるようになってきたのはここ数年(今までは感情が暴走し終わるまで冷静になれなかった)。
ですが、キャパオーバーなことが起こると監視役がキューーーって感じで目が回ってしまいます。
そうなっていなかったら、結構しっかり自立できているって思えます。
・・・ん?
監視役と本能の自分って理性と感情の関係だから、精神的な自立とはちょっと違うのかな。
ちょっと混乱してきました(笑)
自分の目指すところ
思考が暴走しましたけど、精神的自立って、監視役の自分がさっき挙げたような8つの尺度に沿って自分をコントロールできることなんじゃないかって思いました。
時には感情に流されることがあってよし!
でも監視役の自分が安定して本能的な自分をコントロールし、監視役が正しい判断をしたり、自分の気持ちを上手にいたわってあげたりできればいいのかなーなんて。
私は幼少期、自分の考えよりも「社会や親にとって正しい行動や選択」を無意識に選択して生きてきたように思います。
そういう人は監視役が無意識に自分よりも社会や周りの人間の評価を大切に判断してしまうような、思考のクセがついてしまっていると思っていて。
そしてその価値観や考え方を、知らずうちに子どもにも当てはめて発言や行動をしてしまっていると思って。
それがすごく嫌で。
でもそれ以外の思考回路とか価値観を知らないから、結局それで発言するとか動くしかなくてね。
先ほどの8つの尺度を基準にしながら、自分のための選択のクセとかつけていったらいいのかなって思いました。
今からでもいいよね!!
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