読書感想文 「空飛ぶ馬」

先日Twitterで「おすすめの文庫本を教えて」とお願いしたら、たくさんおすすめしてもらえた。
毎日何かしら読みたいのですごく嬉しい。
嬉しいので読んだものは簡単ではございますが感想をお伝えしたく。あと最近ほんと記憶力が心許ないので忘備録も兼ねて。そして本読みの人々におすすめ本をおすそ分け。
というわけで、まずこの一冊、北村薫「空飛ぶ馬」を。

「円紫さんと私」シリーズの第一作。短編集だ。
この作品については「日常の謎」「日常ミステリ」と呼ばれるものがここから発生したというくらいの知識はあった。
しかしその日常ミステリを今まで読んだ記憶がない。
主に本格ミステリで育ったもので、まず人が死なないと話が始まらないみたいな思い込みがあったりするほどだ。
初めて読む日常ミステリ、それもそのジャンルを創った一冊。かなり期待して読み始めた。
本格だろうと日常だろうと、ミステリとあらばなるべくネタバレを抑えた感想を書いてみようと思う。


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大学生の「私」のありふれた日常生活の中で不思議な事が起こる。ふとしたきっかけで知り合った噺家の春桜亭円紫が、名探偵のごとくその謎を解いていく。
というのが本書のセオリー。
この「私」の名前は登場しないが、女性である。賢く繊細な彼女の視点で語られる日常世界はそのために魅力的だ。
彼女は家族や友人に愛され、概ね楽しく暮らしている。
しかし時折その賢さその繊細さで大人になりきれない自分に傷つく。茫洋とした未来に不安を抱く。その年頃らしい内面が瑞々しく描かれている。
短編集なので幾つかの作品がある中、特に私のお気に入りは「胡桃の中の鳥」だ。友人である正(しょう)ちゃんと江美ちゃんと東北を旅する話で、三人の性格の違いが楽しい。なので主にこちらの作品について。

物語は出発の朝、家の前に散った薄紫の花弁を主人公が見つけるところから始まる。
それが彼女には毟られた鳥の羽根のように見え、胡桃の殻に入ってしまうほど小さく可憐な薄紫の鳥を思い描いたことを「しょせんは書斎派流の唾棄すべき綺麗事に過ぎない」と断じる。
なぜ自分がそれを想像したかを正しく理解していたからだ。
世の中で様々起こる理不尽な事件(幼い少女が鰐に河へと引き込まれ帰らなかったこと、母親に置き去りにされた3歳の女の子が兄に殺されたこと)の報に触れ、前夜布団の中で「過酷な運命の中の弱小なるもの」に胸を痛めたのだ。
それを綺麗な想像に置き換えて酷い現実から遠ざかろうとしたのだと思い至り、自分を苦労知らず世間知らずだと指摘する。
読みながらちょっと胸を打たれた。
例えば私だったら理不尽な事件に対する怒りは原因を作ったものに向かい、なんとか酷い目に遭わねえかなというような想像をするだろう。感情的すぎる。
とはいえ実際に石を投げたりはしないから、想像くらいは許されたいと思うくらいには図々しい。
つまり怒るだけで何もしないのに弱者の味方のような顔をしてしまうわけである。えっほんとに図々しい。でもこれくらいの邪悪さは、そんなに珍しくはないんじゃないかなとも思うのだが、どうだろう。
醜い怒りをどこかにぶつけるでもなく、美しい小鳥を想像して現実逃避をしたからって、自分の頬を張ったりする方が珍しいのではないだろうか。
しかしこの主人公はそれをする。
この作品は本書の中程に収められているのだが、私はここで彼女の事が少しわかったような気になり、好きになった。それまでは正直「知がかちすぎているところはあるが、若者らしい朗らかさや生真面目さを持った人物」というくらいの印象だったのだ。(これは私の読解力の問題で、作者ははじめから主人公の内面を丁寧に描いている。)
そこから続く主人公の旅の様子、友人との会話からまた少しずつ彼女の顔が見えてくる。
小鳥の一件があるから、その見え方もこれまでより輪郭が鮮明になる。特に宿であまり飲めない酒を飲んで「女」について語るうちに涙を溢すエピソードは印象的で、賢く朗らかなばかりではない彼女の内心の幼い部分やコンプレックス、不安がじわりと滲み、それまで遠くから眺めていた物語がぐっと近づいた気がした。
そうして彼女たちの道行きを見守っていると、まさに「過酷な運命の中の弱小なるもの」に関わる事件が起きる。
それはもちろん名探偵である円紫が鮮やかに謎を解きはするのだが、その理不尽の前には主人公たちになす術はない。
胸の塞ぐ場面で、読んでいるこちらも何とも言えないモヤモヤとしたものを抱える羽目になる中、友人の正ちゃんが良い。彼女は初対面の人に食べかけの箱菓子を渡すようなざっくばらんな人柄なのだが、この理不尽に対して真っ直ぐに怒り、せめてもの埋め合わせをと祈るように運命に代わって詫びる。何ひとつ彼女のせいではないのに。きっと愛情深い人なのだ。
そして打ちひしがれる彼女たちへ円紫が掛けた言葉がまたとてもやさしい。
理不尽は理不尽のまま。
しかし彼の目には希望が見えている。
これまで誰にも解けない謎を解いてきた、他の者には見えないものも見つけてきた円紫の言葉だ。無力感に苛まれる主人公も彼の見た希望を信じられたのではないだろうか。そう思えるラストだ。

「空飛ぶ馬」に出てくる謎はどれも些細なものだ。ミステリに慣れた読み手なら想像のつく答えであったりもするだろう。
しかし謎にまつわる人間の物語になんといっても魅力がある。
主人公は単なる語り手としての舞台装置ではなく、日々を生きる人間として手で触れそうな程の存在感がある。人の心の眩しく輝く様やどうしようもない哀しみが日常の中に謎とともに溶けこんでいる。
大きな事件が起こらなくても大変に読み応えのある一冊だった。

あとこれは感想としては余計なことなのだろうけど、円紫は子持ちの既婚者である。つまり男女二人の主人公だからって円紫と「私」が安易に恋愛関係になったりしないのだ。最高。(※個人の見解です)
いや、恋愛があってもいいんだけど、この二人は違うんだよなーそういうんじゃないんだよなーとか各々あるじゃないですか。それです。


最後に。感想文など久しぶりすぎて上手く書けなかったけど、初めて読むジャンルで新鮮だったし、ちょっと心洗われたりもして楽しい読書でした。
この本紹介してくれてありがとう。続編も読みます!
あと引き続きおすすめ本は募集中です。
ミステリやハードボイルドが好きですが、時代物、SF、ホラー、童話、ノンフィクション、エッセイなど何でも読みます。

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