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【小説】人の振り見て我が振り直せ  ちょっと休憩ブログ編 〜推理小説と2時間ドラマ〜

 4月に入り、春を感じられる暖かい日が増えてきましたね。

 皆さんはいかがお過ごしでしょうか?

 真新しい制服を着た学生たちを目にすることが多くなり、微笑ましい光景をみながら、月日が流れるスピードが、私の中で早くなっていることに気づく今日このごろです。

 今日は私自身の個人的な趣味をお話します。

 私は小さな頃から、今はなき〝土曜ワイド劇場〟とか〝火曜サスペンス劇場〟など、いわゆる〝2時間ドラマ〟が大好きな変わった子供で、小学生のうちは、夜9時には就寝しなければならなかったので(昭和の時代の子供は、当たり前のように親に言われていた家庭が多かったのでは?)リアルタイムで見ることが出来ず、後日、夕方頃に再放送になるそのドラマを、食い入るように見ていました。

 特に内田康夫さんや西村京太郎さん、山村美紗さんなどの推理小説が原作の〝シリーズもの〟のドラマは欠かさず見ていた、いわゆる〝ミステリー好き〟です。

 特に内田康夫さんの〝浅見光彦シリーズ〟は大好きで、主演俳優さんが変わるたびに、原作は同じでその結末を知っているにも関わらず、また新しい発見があって面白く感じて見ていました。

 毎回、主人公の光彦は、ヒロインといい感じになるのに、最後は成就せずにいい人で終わったり、警察に連れて行かれて、お兄さんの役職がわかった途端、手のひらを返したように態度を変える警察官など、定番なくだりがあり、それが読んだり見たりする側に、シリーズものとしての統一感と安心感を与え、また次回の作品を楽しみにしてしまう要因ともなっているのではないかと思います。
 少なくとも私は、その策略に完全にハマっています……。

 また、最近では東野圭吾さんや湊かなえさんなどの、映画やドラマなども見ますが、私は原作を読んでから映画やドラマ、映画やドラマから原作を読むなど、原作と照らし合わせて楽しむのが好きです。
 
 作品によっては、原作は男性なのに、映画やドラマでは女性の設定になっていたり、殺害場所の設定や殺害方法が違ったり。原作にあるのにカットされてる部分があったり。そうした部分を見つけた時はなんだか得した気分になったりもします。

 なぜ〝2時間ドラマ〟が好きなのか、自分なりに考えてみました。

 好きな原作者だから、というのもあるのですが、やはり、殺人事件が起こってから(ミステリーなので)真相が少しずつ暴かれていく間の〝人の気持ちの揺れ動き〟犯人は誰なのかを推測しながら、全て暴かれたあとの〝言いようのないせつなさ〟みたいなものが、フィクションだとわかっていても、何か罪を犯さずに、違う手立てはなかったのだろか、といつも考えさせられます。
 もし、自分だったら、どう思い、行動するのだろうか、そういう〝自分に置き換えた後味〟に魅力を感じているのかもしれません。

 同時に、日常生活でも簡単に人が罪を犯してしまう可能性みたいなものに〝言いようのない何か〟を感じてしまうのではないかとも思うのです。

 特に〝2時間ドラマ〟は〝愛する人のために罪を犯す〟ものが多く、その人なりの真実があり〝罪を犯してでも守りたかったなにか〟が表現されているように思います。

 罪を犯すきっかけは〝自分以外の誰かを思う気持ち〟から始まるのかもしれません。もちろん、自分のエゴや承認欲求など、誤ったきっかけから犯す人もいるとは思いますが。

 よく、歯車がくるった、ボタンをかけ違えた、などと言いますが、最初の出発点を間違えてしまったことで、自分でもわからないうちに罪を犯してしまう、その罪を隠すために、さらに大きな罪を犯してしまい、後戻りが出来なくなってしまう、そんな、〝人の心の弱さと葛藤〟がそこにはあるのかもしれません。

 人が罪を犯してしまうのか、立ち止まって罪を犯さずにすむのかの瀬戸際は〝紙一重〟なのかもしれませんね。

 だとすれば、追い詰められていく犯人の心のゆらぎ、とりまく人たちの細かい描写を、繊細に表現するのが上手でなければ、ミステリー小説は書けないのかもしれません。

 私もいつか〝せつないミステリー小説〟を書いてみたいとも思っています。密かな野望です。

 今考えれば、小さな頃から子供なりに、なんでこの人ははじめからこうしないのかな?その方が早くスムーズに出来るよね?とか、先のことを考えたら今これに手を付けずに時期を待ったほうが、最終的に良くなるよね?とか、疑問に思うことがたくさんありました。

 決して自慢とかではなく、純粋にシンプルにそう思うのです。そして、その考え方は今でも変わりません。

 人生半分生きて思うのは、それこそが〝何かに気づく能力〟なのではないかと思っています。

 気づいて動いてもうまくいかないことはたくさんあります。けれど、未来を自分なりに予測して選択肢を増やし〝考えられる選択肢の中で一番良い方法を選ぶこと〟が自分軸をつくり、失敗しても後悔せずに次回に改善していく力に変えていける、それが人として成長していくということなのではないでしょうか。

 最後に、私の個人的な趣味の話にお付き合いいただいた皆様へ感謝を申し上げ、今後いつかのブログ編で〝私が思う茉莉花の考察〟を投稿できたらいいなと考えておりますので、お時間のある時にお読みいただけると幸いです。

 ではまた、次回のブログ編で。

 


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