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【京のブログ】(7)「目には見えない信用の大切さ」

 このブログに出会ってくださって、ありがとうございます。

 今日は、私が思う「見えない信用の大切さ」について書きたいと思います。

 私が出会った人で、嫌な仕事からあからさまに逃げる人がいました。肝心な時にいつもいないのです。

 その人は、自分が嫌な仕事をやらなければならない日に、急にズル休みをして、はじめから自分がいない「やむを得ない環境」をわざと作り出し、他の人がするように仕向けることで、嫌な仕事から策略的に逃れる人でした。

 そして、その人は「嫌な仕事をしなくてもよい」という利益を得たつもりでいる様子でした。

 しかし、本当にそうでしょうか?

 面倒な仕事があるたびに、ズル休みをするのですから、それを繰り返すことで、その「面倒な仕事をかわりにしなければならない人」はよく思わないはずです。

 そういう負の感情は、実際に面倒な仕事をした人だけではなく、周りでそれを見ている人たちにも自然と伝わります。

 なぜなら、よほど鈍感な人ではない限り「自分もその面倒な仕事をしなければならない場面が来る」ということを、容易に想像出来るからです。

 結果、「きっと今回も逃げるだろうな」と判断され、毎回その場にいないことが当たり前になり、完全にあてにされることはなくなります。

 これこそが「見えない信用」を失うことだと私は思います。

 「見えない信用」を失うことは、「信頼を失い相手にされない」という現実を引き寄せてしまうのです。

 見えない信用を失う = 信頼が出来ない

 信頼出来ない = 誰にも相手にされない

 誰にも相手にされない = 存在しない

 ゆえに
 見えない信用を失う = 存在しない

 そして、最終的には「存在しないのが当たり前の人」だと、無意識に周りにいる人達に認識されてしまうのだと思うのです。

 では「見えない信用」を得るには、どうすればよいのでしょうか。

 私は、「与えられた仕事を誠実に行う」それだけでも、十分に見えない信用を積み重ねることが出来ると思います。

 それに加えて、実績に基づいた信用も積み重ねることにより、人からの信頼を得る事が出来るのだとも思います。

 その人は、毎回存在しないという行動から、自分にとって嫌な仕事をしなくてよくなり(初めから仕事を与えられなくなった)、さらに利益を得たつもりになっている様子でしたが「周りから完全に相手にされてないこと」には、全く気づいていませんでした。

 さらに、その場にいなかったのに「自分ならもっといい仕事が出来たはずだ」と過剰なアピールをして、周りに白い目で見られていました。

 その発言で、信用だけではなく、信頼も失っていることに気づいてもいないのです。

 そもそも「その土俵にすら上がってこない人」が、いくら自分は出来るといったところで、なんの信用もありません。

 「仕事をする機会」というものを、初めから放棄した人には、出来なかったという実績すら残らない、そこに存在しないのと同じだと思うのです。

 例えるならば、資格試験を受験するのに、受験の申込みをしないで受験票が受け取れず、受験できないのと同じです。それでも、受験すれば私は必ず合格すると自慢しているのです。

 しかし、本人がそこに存在しなければ、他人がその仕事の出来ばえを評価することが出来ないのですから、仕事上はなんの価値もない、評価の対象にすらならないということなのです。

 そもそも存在しないという行為は、信用の上に成り立つ、信頼にも値しない行為に等しいのです。

 もし、誰かにどうしても仕事を頼まなくてはならない時が来て、そんな人に、皆様は「信用して仕事を任せること」ができますか?

 私は出来ません。

 その仕事の出来る、出来ないだけではなく、仕事に対する、その人の誠実な姿勢が積み重なって「見えない信用」となると考える私には、「いつもズル休みする、不誠実なこの人には出来るはずがない」と無意識に判断してしまうのです。

 そう考えると、その人は、そこに存在しないことで、自分の可能性を広げる機会を、自分自身で奪っているのではないかと私は思います。

 自分にとって嫌な仕事に取り組むことにより、嫌な仕事ではなくなるかもしれないし、たとえ失敗したとしても、知識が増えて、次回の仕事に活かすことが出来ます。そうすれば、自分が欲しい評価以上に評価されるかもしれないのです。

 ですから、嫌な仕事からあからさまに逃げることは、自分の成長する機会を失い、結果、周りにいる人たちの心の中で「重要な仕事は任せられない人」としてレッテルを貼られてしまうのです。

 大人になれば、自分にとって大切な人でなければ、誰も何も言ってはくれません。

 「見えない信用の大切さ」に気づいて、自分の行動を振り返り、どんな仕事にも誠実に、挑戦する気持ちを失わないことは、大事なことではないでしょうか。

 それを繰り返すことで「見えない信用を得る」ことができ、同時に「もしかしたらこの人なら出来るかもしれない」という信頼を得ることにも繋がるのではないかと私は思います。

 皆様も、今一度、普段の自分自身の行動を振り返り考えてみませんか?

 自分でも気づかないうちに「見えない信用」を失ってしまっているかもしれませんよ。

 皆様の毎日が充実した日々でありますように。


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