ペストによる大学休校を「創造的休暇」と呼んだニュートン。ではコロナで休業中だった私は?
ニュートンが万有引力の法則を発見したのは、大学の「休校期間」だったらしい。
コロナ禍をきっかけに、『企画メシ』に「枕詞」を加えることになった背景を、第1回の講義で阿部さんが語る。
この話を聞いて私は、コロナ禍で自分の店が休業したことを思い出した。
居酒屋の店長だった当時。幾度となく休業と再開の板挟みに遭い、得意作業は「休業準備」になってしまったあの頃。
それでも間違いなく、私の「休業期間」は充実していた。
ニュートンは大学の「休校期間」を「創造的休暇」と呼んだ。
では、私の「休業期間」は何と呼ぶ?
習いたてほやほやの、『企画メシ』の講座内容を早速実践しながら、自分なりの「休業期間」を定義していきます。
HistoryはStory
2020年の『企画メシ』。
開催の準備を進める中、コロナ禍で今までの「当たり前」が通用しない世の中に。
行き詰まる阿部さんは、歴史から難局を乗り越えるヒントを探したそうだ。
HistoryはStory。歴史には物語がある。
そこで阿部さんは、同じく感染症のペストが流行したときのニュートンのエピソードを知る。
偉大な発見は、「創造的休暇」から生まれた
ニュートンは1665年から流行したペストの影響で、2年間大学に行けなかった。
しかしそんな未曾有の事態にもかかわらず、「休校期間」に万有引力を発見する。
そんなニュートンは、「休校期間」のことをこう呼んでいた。
「休校期間」→「創造的休暇」
「休校期間」をいかに「創造」にあてるか。言い換えることが、偉大な発見に繋がったのだ。
参加した「その先」に思いを込めて
阿部さんはこのエピソードを知り、前に進む。
『企画メシ』はオンライン講座での開催が決定。でも、ただ「オンライン講座」と呼びたくない。
参加したその先に自分の思いを託したのだ。
「オンライン講座」→「未来に待ち合わせするための連続講座」
すべてがオンラインになり、人との接触が枯渇していた世の中。
言い出しにくくても、みんな「待ち合わせ」することを求めていた。
このことばが『企画メシ』の「枕詞」になり、目指す場所となったのだ。
「休業期間」に変わることばを企画する
新しい店の店長になって、わずか2日目での休業。
私の店はその後何度も、再開と休業を繰り返すことになる。
コロナに散々振り回されたあの頃。それでも胸を張って言える。
「休業期間」は、充実していた。
私のあの「休業期間」は、どう呼べるのか?どう呼びたいか?
企画メシで習った手順に沿って考えていきたい。
常識に問う。「それって本当にそう?」
企画は、既に定義されていることや常識を「それって本当にそう?」と疑うところから始まる。
徹底的に、自分に問いかける。
自分の経験を掘り出す。
そのとき感じたことを、思い出せるだけ書き出す。
阿部さんはこの手順を「そもそも→たとえば→つまり」という。
①「そもそも」で、常識を問う。
②「たとえば」で、自分の経験を洗い出す。
③「つまり」で、本質にせまる。
問い続け、自分の無意識に働きかけることで、物事の積極的解釈ができるのだ。
①そもそも:「休業期間」とは
お店の「休業期間」とは。枕詞で思いつくものをあげる。
大まかに「休業期間」とは、「大変でつらい期間」と「休めてラッキー期間」の2つにわけられる。
たしかに「大変でつらい」と思ったこともある。
お店を閉めるたびにアルバイトに「ごめん」と謝るのは本当に嫌だったし、思うような実績を積めず今後のキャリアに不安を抱いたこともある。
「休めてラッキー」も、一度は思ったことがある。
休業期間中も6割の給料はもらっていたからだ。これで副業もOKだったため、通常勤務時より多くの給料を稼げた社員もいた。
でも、本当にそれだけだろうか?
それらは本当に、「休業期間」の主たるものなのか?
②たとえば:「大変でつらい期間」と「休めてラッキー期間」の反例
「大変でつらい期間」と「休めてラッキー期間」を疑う「たとえば」を、思い付く限り挙げていく。
まずは「大変でつらい期間」。たしかに自店で働けなかったが、自店のためにできることは数多くあった。
・営業中は手が回らなかった、自店の大掃除、断捨離、整理整頓。
・自店のチームビジョンの構想を練る。
・近隣店舗の調査。
・営業している他事業部の店にヘルプとして働き、そこのお客さんに自店を宣伝する。
特に他事業部の店で働けたことは、コロナ禍というイレギュラーだったからこそ。いろいろな店長と働き、刺激を受けることで、休業中でも前を向けた。
次は、「休めてラッキー期間」。
これは声を大にして言う。「休業期間」中は、まったく休んでいない。
初めての緊急事態宣言のときは、スーパーに出向に行った。
その後の「休業期間」は、会社が用意してくれたキッチン技術習得のための研修を受けていた。
おかげで私は、飲食の会社にいながら販売業のことを学び、通常の営業ではホール業務しかやらないところを、キッチン責任者の休み回しができるまでになったのだ。
そして、それでも余暇が多かったため、上司から勧められたビジネス書や、前から勉強したかったお金の本を読むようになった。
少し規制が緩和されてから、1人旅にも行った。
「休業期間」は、ただ時間を与えられて「好きにしていいよ」と言われたときの自分の行動が体現されていたのだ。
③つまり:「休業期間」→「大人の課外活動期間」
「休業期間」だからできたことは数多く、「休業期間」中ならではの学びを得られた。しかも座学と体験をかけ合わせて。
「休業期間」→「大人の課外活動期間」
課外活動とは本来、学校の正規の教科学習以外の活動(広辞苑,2009,2011より)をさす。
会社員の既存の枠組みにとらわれず、働きたいこと・学びたいことを選択して自由に活動できた「休業期間」はまさに、「大人の課外活動期間」だった。
ここでの成長の数と量はむしろ、コロナじゃなかったときを考える方が恐ろしいほどだ。
ものは言いよう。ものは良いよう。
人気のない街→閑静な住宅街
雨が降る→虹が見られる
一見マイナスに聞こえることばたちも、光の当て方を変えることで捉え方がぐっと変わる。
阿部さんはそれを「ものはいいよう」といった。
ひたすら苦しかった、あの期間。
いま思い出してもうんざりしてしまう、こんな出来事。
そんなものたちも、企画の力で「良いよう」に変えられるかもしれない。
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