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受け手の「めんどくさい」を推測して「わかりやすさ」を生み出す

漫画家になるために漫画ばかり読んでいたらダメだ。
小説、映像、いろいろなものを享受して学べ。

どこで出会ったことばか忘れてしまった。たぶん何かのビジネス書に書いてあった気がする。

このことばに出会ったとき、「ああ、まあ確かにそうなのかなあ」くらいにしか思っていなかった。

けれども、いまわたしは1冊の本を読んでそれを実感している。ライターになるためには、書き手の心得ばかり学んでいてはダメ。他のコンテンツにこそヒントが隠れている。学ぶことがたくさんある、と。


テレビ東京のディレクターで、人気番組『家、ついて行ってイイですか?』の企画人である高橋弘樹さんの著書1秒でつかむ 「見たことないおもしろさ」で最後まで飽きさせない32の技術だ。


本書では、高橋さんが“お金のないテレ東”で圧倒的に面白いコンテンツをどうやってつくっているのかを、まさに「1ページたりとも飽きさせない」語り口で綴っている。


高橋さんは「テレビは生きる上で基本的に必要のないもの」だから、「受け手がめんどくさいと思ったらチャンネルを変える。それが当たり前」という。

だからこそ、受け手が「めんどくさい」と思う心の動きを推測しながら番組をつくるようだ。

受け手は基本的に時間がない。それは書くことを始める上で知っていたはずなのに、「時間がない」が「めんどくさい」というより鋭利なことばに置き換えられたことによって、わたしのインプットのインパクトは大きく変わった

「めんどくさい」は最強の言い訳

受け手が自分のことを知っている前提で書かないこと。

目を惹くタイトルをつけないと読んですらもらえない。


「生きる上で必要のないもの」という前提は、テレビもWeb記事も同じだと思う。

ただ、それでも受け手の土俵に立ち、最後まで見てもらうための新しい観点が「めんどくさい」だった。

たしかに「めんどくさい」は、それだけでその人の行動をやめさせられる、強靭な理由だ。

情報に緩急をつけて「わかりやすい」記事に近づける

解釈を受け手に頼らせる記事になっていないか?

もう一度最初を読まなきゃいけないの?と思わせていないか?

リンクを貼っておけばいいや、と思っていないか?


自問を投げかけるたびに、心が痛い。わたしはいままで、受け手がめんどくさいと思う記事を書いていたかもしれない

ただ、受け手のめんどくささを解消するために、1から10までいちいち100%説明するのも違うそうだ。

たとえば本書では『大いなる沈黙へ』という、おそらくほとんどが観ていないだろう、わけのわからないドキュメンタリー番組や、地上波テレビでも『セカンドバージン』といったドラマにはなるべく簡単に説明をつけています。ドラマは基本的に放送時期が限られているため、広く共通認識になりにくいからです。

しかし、「富士そば」には説明はつけませんでしたし、バライティ番組に関してもあまりつけませんでした。「富士そば」は首都圏に来たことがある人なら多くの人が知っているでしょうし、バライティ番組はドラマに比べ長期間オンエアしているため、認知度が比較的高いからです。

『1秒でつかむ「見たことないおもしろさ」で最後まで飽きさせない32の技術』p188より

このように、根拠を持って受け手の心の動きを推測する。そして推測するには、最低限その分野の知識や知見が必要になる。

説明を入れるかどうか、緩急が必要なようで。なんとも、難しい!

でもこれを乗り越えた先が「わかりやすさ」につながるらしい。


受け手がめんどくさくないか?これを考えるだけで、文章をまたアップデートできそうだ。

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