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今の自分は好き?

クライアントさんが帰られる時は、いつもこうしてお見送りします。
これはわたしの大好きな時間ですが、後からみなさんにも、
『見送られる時がとても好きだ』と言っていただいて、うれしいのです。

お互いにうれしい瞬間なので、お写真を撮っていただくと、うれしそうな顔をしているなぁと自分でも思います。
でもこの写真のように、自分がいいなと思うものは、案外少ないものです。
みなさんはいかがでしょう。

日本人同士では「歳はいくつ?」「痩せたんじゃない?」「若く見えるね」という話をよくしますが、アメリカではあまりないような気がします。
逆に、「きれいね」「その色よく似合う」「そのアクセサリー素敵」
知らない人からそんな言葉をかけられることはよくあります。
追いかけてきて、「そのお洋服素敵ね!どこで買えるの?」と聞かれると、1日中うれしいものです。
多分それはテイストという、自分の内側を褒められたからかもしれません。

日本での年齢や容姿に対するコメントには、
一定の基準があるように思います。
若い方がいい、痩せている方がいい、というような基準です。
基準に沿っているか、はみ出しているか。
他者の目は厳しいですよね。

わたしは50歳を過ぎてから、グレイヘアで過ごしていますので、
日本では時々不思議そうな目で見られることがあります。
想定外なのでしょう。
年齢的には髪を染めていそうなのに、グレイヘア。
一体この人はいくつなんだ… というような視線です。
席を譲った方がいいのかどうか的な。笑

若い方がいい、痩せていることがいい、そんな基準で何かを言われるとき、わたしはストレスを感じます。
わたしにとって素敵な人は、
内側から出ているなにか、かもし出すなにかを持っている人。
ずっとそういう人に出会いたい、自分もそう在りたいと思っているので、例の”基準”で言われると、そこじゃないんだなーと沈むわけです。

でもどうして心が沈むのか。
きっと長年、環境の中にあった判断のクセが、
四半世紀以上日本を離れている今でも、まだわたしの中にあるんですね。
好きだと思えない写真が多いのは、その古い基準で自分を判断しているのだろうと思います。

わたしのプロジェクトの一つに『Pro Age』と名付けたものがあります。
アンチエイジングではなくてプロエイジ。
今の自分を楽しむというアイデアです。
インタビューをさせていただいて、自分を生きている人の物語はどれも深いなぁとつくづく思ったものです。
そろそろまた、素敵なお話が聞きたくなってきました。
年齢を経て光沢を増した、色とりどりの人生のお話を。



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