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甘えられない人

もうボロボロだった。

2週間で家を売るためにはまず、家財道具をすべて倉庫に移す。
空っぽになった家に”ステージャー”という、インテリア雑誌から抜け出たような内装を演出をする人々が、家具や小物を次々と運び込む。
家はみるみるうちに、買い手の心を惹きつける魅力的な物件になった。

ここまでで、すでにクタクタだったにもかかわらず、その舞台セットのような家で生活しなければならない。
家を見に来る人から電話が来れば、10分で整えて家を出る。 
それが日に何度も続き、ついに小学生だった息子が熱を出した。
わたしも疲れ切っていて、限界だと感じた。

「うちに来なさいよ。うちでゆっくり寝たらいいわよ」
そう言ってくれる友人は何人もいたけれど、
当時のわたしはどうしてもそれができなかった。
”甘える”ということができなかったのだ。

1日だけホテルをとった。
部屋に入るなりベットへ倒れ込み、そのまま翌日までこんこんと眠り続けた。

✳︎

”甘えることができない”ことを考える時、いつもあの頃の自分を思い出す。
なぜ、手を差し伸べようとしてくれた人たちに、あんなにも頑なに大丈夫だと言い続けたのか。
「長女」という、生まれ持ったなにかかもしれない。
自分でやらなきゃ気が済まないという性格的なものもあるだろう。

とにかく。
これではいけないと思った。
甘えられる自分、人の助けを受けられる自分、
そう、”受け取ること”ができる人になりたいと思った。
”与えること”は得意だった。
得意な分、受け取ることは苦手だった。

あれから15、6年も経っただろうか。
いろんな体験が受け取ることを教えてくれた。
受け取り始めたら、いろいろと楽になった。
受け取ることで、与えることが無理なく自然に起こっている気もする。

誰かが与えようとしてくれる時、その人は見ている。
大変な時だなぁ、誰かの手が必要だなと見ているから、手を差し伸べてくれるのだと思う。
そんな時は、甘えたらいい。
どうお返ししようとか、そんなことは余裕が出来てからでいいから、まずは委ねてみたい。
委ねるってなかなか最初は難しいけど、これは人生を生きやすくする魔法だと思っている。

今暮らすハワイ島のジャングルでは、昭和な日本のように隣近所で食べ物を分かち合うので、与え受け取ることが日常の中にある。
そのくらいの気安さで、いろんな人と縦と横の糸を紡いでいけたらと思う。

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