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種族の違う私の友だち

 昔、一緒に西アメリカを旅した犬が亡くなったと飼い主から知らせをもらった。

 正確に言うと亡くなったのは昨年のようで、知人の岩手の家で、同居する猫たちと穏やかな老後を過ごしていたという。

 アゲハ、それがその犬の名前だ。

 もちろん、あの有名な美しい蝶から取った名だと思うが、私はアゲハと聞くとかつて一世を風靡した小悪魔agehaというギャル向け雑誌が先に脳裏によぎる。
なぜなら、アゲハは犬であったがギャルだったからだ。少なくとも、私の中ではずっとそうだ。

 アゲハは私より、当時私が付き合っていた男の子のほうに圧倒的に懐きまくり、私のことは完全に「恋敵」として認識していたような気がする。
 彼女は元気で負けず嫌いな女の子で、同じく元気で負けず嫌いな女の子だった私は、旅の最中でもよく喧嘩をした。

 なんというかアゲハはグルメなやつで、車の後部座席なんかににちょっとの間でも食べ物を放置すると、間違いなくアゲハに奪われたのをよく覚えている。レストランで食べきれずに包んでもらったバーベキューソースがたっぷりかかったTボーンステーキや、買ってきたばかりのぱりぱりのパン、運転している彼が片手でかぶりついているブリトーや、果ては観光地で老夫婦が手に持っていたサンドイッチまで、ひとつ残らずアゲハは鮮やかな動作で奪い、それらを美味しそうに食べ尽くした。
 その度に叱りはするのだが、しょせん私は「恋敵」なので「フン」という感じで剣もほろろに扱われた。
 そういう時の拗ねた横顔が、溶け切った氷しか入ってないマックのアイスティーのストローをいつまでも噛んでる不機嫌なギャルみたいに見えた。

 そして時々はギャルのお姉さんとして私を助け、寄り添ってもくれた。
 アメリカに行く少し前の真夏、遊びに行った先の鎌倉でアゲハを散歩させていたら、道に迷ってしまったことがあった。山々に囲まれ携帯も通じず、完全にお手上げ状態の私が、疲れて道端にしゃがみこみ、アゲハに「ごめん」と謝罪すると、彼女は勇ましく立ち上がり、地面や草木の匂いを器用にかぎ分け、私を先導し、元いた場所に連れていってくれたことがあった。きっと、私にこの世の終わりのような顔で謝られて命の危険を感じたのだと思うが、それからはだんだん「恋敵」兼「頼りない妹分」のような感じで接してくることが増えたような気がする。

 そういえば、アメリカ旅行中、私と彼が夕食の途中でひどい喧嘩になったことがあった。旅も中盤にさしかかり、私たちは所持金も少なく、毎日長時間運転や移動を強いられ、お互いいらいらすることが増えてきた時期だった。しんぼうたまらず私がロッジを飛び出したとき、きっとアゲハは彼のそばにいると思ったのに、軒先で泣いている私の横に静かに歩み寄り、私が泣き止むまでじっとそばにいてくれた。
 結局最後までアゲハは彼のことが大好きだったが、私との関係というものも、それはそれできちんとあったような気がする。

 ところで、私には「好きな動物」というものがない。
 犬も猫もアリも猿も羊もキリンもカブトムシも皆等しく「生きていてえらい、素晴らしい。どうか天寿を全うしてほしい」とは心から思うけれど、「犬だから」可愛いとか、「猫だから」可愛いとか、「パンダの赤ちゃんだから」可愛いとか、
そういうことが、幼いころから全然ピンとこないのだ。
 だから私はいわゆる「犬好き」の人のように優しく、猛烈な愛情を持ってアゲハを抱きしめてやったりはできなかった。

「犬、嫌いなの?」
 ある日、彼に言われたことがある。
 その時私たちはニューメキシコあたりを車で走っていた。数時間に一度しか対向車ともすれ違わないような一本道が目の前に広がり、窓の外には砂まみれの大地と、背の低い丸いサボテンしか見えなかった。空だけが広く、薄いグレーの雲と雲の合間から、夕方になる直前の午後の光が、何本も柱になって降り注いでいた。
 アゲハは助手席に座る私の両足の間で丸くなり、膝に顎を乗せたまま眠っていた。それがすっかりお馴染みになったアゲハの日中のスタイルだった。
「わからない」
私はアゲハの額を指でなでた。起こさないように、産毛とあたたかな体温を肌ですくいとるようにして。
「けど、アゲハは好きだよ」
言いながら、私は泣き出しそうだった。なぜかはわからない。けれど、本当にそうだと思ったのだ。
 犬も、他人も、彼氏も、自分も、生きてることも、なにもかもいやだと思ったりもする。うんざりする。へきえきする。

けれど私は今、迷いなく「この子」が好きだった。

 明るくて、生意気で、欲張りで、我慢強くて、リードを引けば私を力のかぎり振り回すくせに、私が転んで綱を手放すと、「なにやってんの!だっさ!」と笑いながら少し先で待っていてくれるような、種族の違う、私の友達。

 あなたの長い人生(犬生っていうのかしら)の間で、あの旅はほんの一瞬のできごとだったかもしれないけれど、それでもあなたが思い出す景色の中に、あの雄大な自然や、それに比べてちっぽけでくだらない私たちとの時間があればうれしいと思う。

 アゲハ。私と友達になってくれて、ありがとう。


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