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人の不幸は何の味

不幸を共有することは心地の良いことだ。自分の辛さや苦しみを相手に分け与え、自分も相手のそれをわかった気になる。それだけで生きていくことが少し楽になったように思える瞬間に出会える。お互いにうまくいかないけど、まあ何とか頑張ろうね、みたいな空気が大好きだ。

自分と似たような考えを持つ人とばかり付き合うのは考え方がアップデートされていない証拠だ、地元にしか友達がいない人は危ない、とか聞いたことがあるけど。だったら幼馴染なんてものが世から消されるだろう。誰だって、自分と似たような思考回路を辿る人と一緒にいると心地良いはずだ。

不幸を共有するはずのつもりで、いきなり幸福をさらけ出されるとそれに耐えかねる場面に遭遇することがあるだろう。
同じ土俵にいた人がさらに上に上がる機会があったとして。その人が上に上がることを温かい目で見ることができないことは、異常なことだろうか。

そんなことはないはず。

人の不運や苦労を見て安心することは誰しもあるはずだ。踏み台にされることもあるし、その逆もある。他人の不幸は甘く感じるようで、何も解決しない。きっと甘くない。

そのようなことばかりして生きてる身で思うことは、人の不幸は蜜の味なのではない。他人の不幸には何の味もなくて、他人の幸福が苦いというだけだ。うらやましい、自分もそうなりたかった。苦い。

ただ自分の幸福を素直に願うことができればそれに越したことはないが、一番難しい。

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