幸せになろうとすることが後ろめたい

「疲れた」が口癖の母親に、遊びに行くと予定を言うのに抵抗がある。

パートに出てお金を稼いでくれているのはとてもありがたいことである。が、疲れや不満を家でぶちまけられる度に、ああどうか父が長生きして末永く母の機嫌を取ってくれますようにと願わずにはいられない。友達でも恋人でもない人から本気の愚痴を毎日聞かされるのは、思っている以上にしんどい。

なんの生活力もなく、母親に全て家事をやらせておいて本当に申し訳ないが、大好きな自分の部屋にいるのはよくても、リビングが窮屈で仕方ない時がある。歳を重ねれば重ねるほど、その言動がいかにおかしくて自己中なものであるかを感じてしまう。やっぱり、あのとき傷ついて当然だったよな、が何個も出てくる。家族であることがしんどい。恵まれた環境であるからこそ、なぜ心はこんなに貧しいのかと情けなくなる。

ネガティブな発言で揚げ足を取るのが大得意な母親。親だから仕方ないと飲み込めるが、友達には絶対いてほしくないタイプ。自分の人生がなんか暗いのは、家で負の発言ばかり浴びせられるからじゃないかと本気で考えたことがある。

不幸そうなこの人を差し置いて自分だけ楽しそうにすることが、睨まれるようなことだろうと躊躇するときがある。疲れきった顔で「若いし学生だしいいよね」と吐き捨てられるあの瞬間は、反吐が出そうになる。この人が子供を産まず、無理して金を稼ぐ必要のない生活だったら、と何度考えたかわからない。

生きる気力があんまりないので当たり前に家事をしたくないから実家にいたいが、さっさと離れなければという気持ちもある。この人といるとどんどん暗くなる自分が不憫で仕方ない。

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