見出し画像

学校に行っていない息子の学び方


現在小学2年生の我が家の繊細息子は、入学して2ヶ月で学校に行かなくなった。


ただいま、学習ゼロである。


うーん。ちょっと表現が違うか。


いわゆる学校でみんながしているような方法での「勉強」を全くやっていない。

教科書とか、ドリルとか、宿題とか、・・・タブレットもか。


最初は私も頑張って働きかけていた。
これだったらやるかなーって方法を探して息子に提案してみたけど、見事にどれもこれもやらない。
全拒否。


それでも最初は息子もちょろっとは「勉強」をやっていた時期もあった。
年長の時は、スマイルゼミをやっていた。
頑張って1年間続けてきたが、でも、息子には合わなかった。

入学して、まだ頑張って学校に行っていた頃、みんなと同じように椅子に座り、机の上にドリルを広げ、「勉強」をやっていたこともあった。
私はずっと付き添っていたので、その「勉強」する息子の姿を見ていたが、とても、窮屈そうで苦しそうだった。


学校に行かなくなり、食欲不振、無気力状態の息子に「勉強」のことは言えなかった。

周りはどんどん進んでいくのに、私と息子だけ取り残されていくような。
時間が止まっているような。

焦りを感じずにはいられなかった。


息子のメンタルがだいぶ落ち着いてきて、そろそろ・・・勉強も少しは始めてほしいな、と思い、再び促すが、全く響かない。動かない。


このままでいいのか。
不安でしかなかった。
息子は、本も読めないし、足し算も出来ない。
これで、いいのか?大丈夫か?

みんなみたいに「勉強」しなくて、いいのか。


そもそも、「勉強」って、なんだ?
何のためにするんだ?


私は子供の頃、小学校に入学して、「勉強」することに疑問を持ったことがない。
ひらがなを何回も書いて練習することや、教科書を読んだり、ドリルで宿題をしたり、全てが、当たり前だった。
なんとも思わなかった。思わないで今まで生きてきた。
幼稚園の次は小学校に行って勉強する、その次は中学校で次は高校。
それが私の「普通」で、私の「当たり前」だった。


息子は違った。
そこに「意味」を求めてくる。

息子は年少の時から言っていた。


「何のために、勉強するの?」
「何のために、学校に行くの?」

「小学校なんて行きたくない。勉強なんてしたくない。ショベルカーでぶっ壊したい」



みんながやってるから当たり前?
将来困らないため?
勉強しないと、○○できない?

そんなこと並べたって、息子には全く響かない。
全然面白くないのだ。
何の魅力もない。


私は、考える。
何のために「勉強」するのか。
息子に胸張って、何て言える?
息子に響く言葉で、伝えられる?
「勉強」するのが当たり前、ドリルをやってるから「安心」だと思ってきた私に、何が言える?


息子から教えられている気がする。


「勉強はやらなくてはいけないものなら、そんなもんつまんないし、やりたくない」

と。


息子は、「やらされる」ことを極度に嫌う。
自分から湧き出た感情でしか動かない、動きたくない、
・・・動けないのだ。


私は、「勉強」という言葉を息子に投げかけることをやめた。


でも、「学ぶ」ことは素晴らしいことだということは伝えたい。
自分の見ている世界はまだまだ小さくて、誰かに何かを教わったり、自分で本を読んで調べたり、パソコンで検索したり、自分の世界が広がることの楽しさや喜びを知ってほしい。


息子には、どんな学び方があっているのか、今も模索し続けている。


料理している時に、わざわざ計りを使ってみたり、工作する時に物差しを使って計算をしれっと入れてみたり、貝殻にはまった時は、貝殻の本を買ってカタカナを少しずつ覚えるようにしたり(仕向けたり)。
息子の「何で?」「何で?」の疑問にはすぐ調べるようにしたり(Google様いつもお世話になってます)。
生活の中に「学び」を意識的に取り入れた「体験型学習」は息子に合っているようだ。でも、少しでも「勉強させようとしてる感」が出るとすぐに察して拒否られるので、こっちはさ、、、ちょっと叫ばせて?


ものっすごい疲れんのよぉぉぉーーーーーーーーー!!!


正直、「ドリル」とか「タブレット」とかやってくれれば、「楽」だし、「安心」なのよーーー!!
・・・私がね。

でも、ある時、公文を始めた弟に、「僕が問題作ってあげる!」と言って、問題を作り出したことがあった。

見て驚いた。

そこには、しっかりとした息子の「ひらがな」がぎっしり書かれていたのだ。


へ?
あなた、いつ、こんなに、書けるようになったんだい?

ある時は、お風呂の時に、鏡に、一から十まで漢字を書き出した。

へ?
あなた、いつの間に漢字覚えたんだい?

びっくりした。

息子は、いつの間にか、ひらがなや漢字を自分なりの方法で修得していたのだ。
本も、ゆっくりだけどだいぶ読めるようになっていた。
まだまだ学校でする「勉強」量には全然敵わないだろうけど、でも、息子のペースで、自分の力で学んでいた。


またもや、息子は、私の価値観をひっくり返してきた。


つい先日は、車の助手席から、すれ違う車のナンバープレートを使って、ゲーム感覚で足し算をし始めた。

「99ー70」のトラックとすれ違った。

「99+70かぁぁーーーえっとぉぉ・・・」


「169!!」


・・・・・へ?!


なぜ、彼は、二桁の足し算ができるんだ?
いつ、できるようになったんだ?どうやって?
謎である。


いやーほんとにあなたには驚かされひっくり返され腰抜かされてばかりヨ。


もう、とりあえずさ、あなたに任せるよ。
面白いと思えば、あなたはすごい集中力で自分のものにしていく。
その力がある。
あなたの好奇心、探究心を母は信じる。

だから、あなたが「おもしろい」「やってみたい」と感情を突き動かされるような「何か」に出会えた時、せひとも教えてほしい。母さんは全力でサポートするぜ。
そして、母さんも、アンテナ張りまくっておもしろいこと探してくるぜ。
どこに、「きっかけ」が転がっているかわかんないからね!

その中から「できるようになりたい」「もっと知りたい」という気持ちが生まれて、それが、あなたの「学び」に繋がれば、母は嬉しいよ。


そして、あなたの「夢」に繋がれば、もっともっと嬉しい。


「勉強」はやらなくてはいけないことじゃない。


大切なことに気づかせてくれてありがとう。
でもきっと、母はまた、このままで本当にいいの?って不安になるから、その度に、母の価値観をひっくり返してくれ!


これが僕の学び方なんだと。


「15+6かぁーーえっとぉぉぉ・・・」


、、、


今回は、結構時間かかるな。


、、、


「えっとぉぉぉ、・・・21?」


おお!正解!


「普通に15から6数えた。エヘヘ」


数えたんかいっ!



弟への挑戦状

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?