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【思想】なっがいなぁ

こんちは。
今回は一度、
言える限りの思想を書いてみようと。
最近人間関係や価値観の記事を書くことが多くて、
所々、「あー言葉足らずかも」って思う部分があり、
どうせ文字数制限ないし、
日頃頭の中がこんなことでグルグルしてますよーって、
少し深めの自己紹介も兼ねて。

私はクラリネットを入り口に音楽の世界に入りました。
なので、人間関係にしても道徳心にしても、
感性を音楽に繋げる癖があります。

「こんな人が嫌だ」とか、
「こんな人は迷惑だ」とか、
そういうことを伝えるのが目的ではなくて、
「なぜそうなるんだろう?」と考えることが、
自分の感性の成長を促すのかなと。

いや、まぁ、一つの結論としては
「どうやっても合わない人はいる」
というのはあります。
これはそれほど問題はなく、
そりゃどこかにはいるだろうと。
が、
あまり安直に「合わない」と決めつけてしまうのも、
なんだか勿体ないなぁと。
私は、人の素晴らしい部分を見つけることや、
その人の”正義”を理解しようとすることこそ、
”道徳”なのかなぁと思っています。
もうすでに矛盾が発生しているんですが、
そんな考えが毎日毎時間頭の中をグルグルするんです。

そもそも仲良くなる友人たちは、
そんな手間かけなくても、
仲良くなるのが事実だったりもします。

そうやって自身を戒めながら、守りながら、
”考える”ということを更新し続けるのが、
将来何かの役に立ったりするんだろうと信じてたりもします。

私はクラリネットから音楽を知り、
色々なジャンルの音楽や人間に出会い、
色々なエネルギーを与えてもらって、
そのエネルギーを知りたいことに割り振っています。

人に感謝する気持ちも音楽を通じて知りましたし、
人を好きに、嫌いになる気持ちも音楽を通じて知りました。
なので”音楽”にはとにかく学ぶきっかけを与えてもらっています。

そんな人間がなぜnoteを始めたのかというと、
「音楽が土俵の人同士は仲良く出来るのでは?」
という、ようは仲間欲しさです。
「私の言ってること、誰か分かってくれい!」という承認欲求です。

今まで、といっても学生時代以降色んな方法で仲間を作ろうとしました。
わけが分かってない話でも同調したり、困っている人を守るために一緒に誰かを嫌ったり、年上にはついて行って自虐をしたり、ない頭を振り絞って謙虚にいたり、
付き合いで飲みに行ったり、欲しいと言われたものは買ったり…
とにかく”人が傷つかない””人に嫌われない”と思われる”善”の行いを、
やれる限りやってみました。(まぁ…ここ5年くらいで知り合った友人は信じられないと思う。本当に。)
そこで得られた友人は今でも続いている方もいますし疎遠になった方もいます。
結構それはそれで楽しい思い出もあって、信頼関係が生まれたりこの人と仲間になれて良かったーとか感謝の念もあったり。

が、”仲間が欲しい”という欲を無理してでも叶えようとした結果、
”めちゃくちゃ好き勝手に言われる”
ということになったんです。
これは私もやり方がまずかったのか、年齢の問題もあるのか、
嫌われることはなくなりましたが、
好かれるというか物として扱われているというか、
仲間が欲しいはずなのに、自ら下僕みたいなことになってしまって、
「おもてたんとちゃうわこれ…」
と、我に返ったんです。

いやいや、そこまで考えなくても自然に関わったらええがな!と、
思ったりもするんですが、
なかなか私の性格もややこしいもんで。
アホなくせして神経質というか、
人に優しくできる角度が違うというか、
極端に思想が強かったり、
人によっては薄情に見えたりとか、
自分の知らないところで、
バンバンに人を傷つけたりしているみたいで、
なんかそれも申し訳ないなと。

んで、そもそも仲間が欲しいからと言って
”人を傷つけない”とか諸々、
全部自分のエゴやないかと気付いたことがありまして。
私にとって”善”でも他人にとっちゃ”偽善”なのかもしれないし、
なるほど、それならエゴを磨く必要があるなと思ったわけです。

んで!noteに好き勝手書いてみようかなと。
人の情報を集めて自分を変える期間は一回終わりにしようと。
自分の情報を発信して人を集めた方が、
傷つく人も減るし、それで良いんじゃないかと。

たいして考えなくて良いことを考えたり、
分かったところで仕方ないことを考えたり、
「私は神経質だから大人しくしておこう」と
殻に籠るのにも限界が来てしまって、
今に至るわけです。

ここでは経験や体験を含めた、
人間関係のこじれ方のあるあるネタを書くことが多いです。

他人の”正義”とか”道徳心”って本当に面白くて、
平気な顔して”嘘”ついている人とか、
「なんのためにそれをしてるんだろう?」とか考えると、
なんとなくその人のエゴが見えてきて、
その人はどんな演奏や指示をするんだろう?とか、
感性が音楽に直結すると信じている部分があるゆえ、
どうしても考えてしまう。

今、多様性の時代になって、
「どんな人でも認めよう」と、
なんだか面白い世界になっています。

極論ですが、
子供が大人に、
「私の考えは自由だ。大人の意見を押し付けるな。」
と言えばそれは正しいですし、
大人が大人に、
「私の考えは自由だ。お前の意見を押し付けるな。」
という発言は正しいと言えます。

この人たちに必要なのは”理解力”であって、
その力がないと、
こんなもん一生続くわけです。

自分の”個性”は認められるものだ、と優しい世界になると思いきや、
そこには結局”理解力”や”説得力”という立ち回りが必要で、
しっかりそこには力の差が生まれる差別が始まっています。
まぁこれも時代の流れ。
その中で自分がどういう考えを伸ばしていくのかも、
全て自分次第。

”考える力”って良し悪しがなくて、
必ずその人の本質に都合の良いように向かうもので、
それを信じているのならそれでもええんやない?と。
ただ、「自分が正しいんだ!」って人に伝える方法は、
本当にその人の経験や学が顕著にでます。
それを自身で疑って変えたり、育てたりするのも力。

と、私は一体何を言っているんだと。
こんなことが頭をグルグルするわけです。

思想が強い、というより、
単純に面倒な、
プラスを10個考えればマイナスを10個考え、
再びプラスを、という脳みそです。
とても疲れる。
が、こうやって殴り書きすることによって、
なんとなく気が晴れるのです。

そんなことよりすることないんかと。
今はこれが”すること”だったりします。
病んでるとかではなく、大体これ。

お酒飲んで酔っているときはこういうのが全部吹き飛ぶので、
それもそれなんですが、
近頃歳のせいか二日酔いのダメージが大きく、
なかなか。

”音楽”って1人でできるもんじゃなくて、
作曲家さまさまだったり、
作曲家を育てた人さまさまだったり、
それを初演したり演奏してくれた人たちのおかげだったり、
とにかく綺麗な感情がたくさん見れて、
理想的な世界と生々しい世界の境目のような気がして、
好きなんです。

さて、明日から月曜日。
仕事と共に、なんか色々するかな!

読んでくれてありがとう。
良い夢を👋

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