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【思想】風呂敷の広げ方

風呂敷を広げる労力と
風呂敷を畳む労力は、
どちらが大変でしょうか。

こんちは。暑い日が続いています。
低糖分、減塩、低脂質とかやたらに耳にしますが、
がっつり栄養を取らないとこの暑さは耐えれません。
しっかり必要な栄養を摂って、しっかり水分を摂りましょう。


さて今回は、
風呂敷を広げる”って言葉から”普通”を考えるお話。
本来”ホラ吹き”のことをさす言葉ですが、
結構グループワークでは”風呂敷を広げる”って計画を創る上では重要です。


何か計画を練って100%達成するって
難しいと思います。
なので、100%達成が可能な計画を練ると、
”風呂敷を広げる”とは言われないわけです。

ただ、可能な計画って、
ときにかなり保守的で行動力に欠けることがあります。
”100%可能な100%”ですから。

最悪、「計画を100%達成したい」と思うことがそもそも
”風呂敷を広げる”ことになってしまいます。

まず、”風呂敷を広げる”ということで問題なのは、
広げっぱなし”になることです。


一人の人間が、大きな風呂敷を広げます。
一人で風呂敷を広げるのを見て、周りの人間は広げるのを手伝います。
善意”や”思いやり”ですね。

しかし、
次の風呂敷を再び広げる際、一度畳まなければいけません。
新しい風呂敷を広げることができるほど広い敷地なら、
相当大きな組織だと言えます。
しかしどの道、いつか畳むことになります。

畳んでる最中、こう思います。
”この風呂敷を広げる価値はあったのか?”
”この風呂敷を畳むことは必要だったのか?”
”この風呂敷はそもそも必要だったのか?”
”広げた本人は今どこにいる?”

広げた本人が、
「皆のおかげでこの計画は完了した。ありがとう。」
となれば、とても気持ちの良い”風呂敷を広げる”になります。
これを”労働”と言います。


で、たまに、たまにね。
風呂敷を広げる”ことを”労働”だと思っている人がいます。

「最初に考案したのは私だ」
「私が広げてやった」
「皆に課題を課してやった」

勝手にめちゃくちゃ大きな風呂敷を広げておいて、
畳み方をみんなで考えろ、ってことです。
そして私は”労働”をしているから、
感謝しろってことです。

これ上司と部下とか仕事関係でのあるあるです。
で、これが”普通”と繋がったりするんですよ。
「ありがとうとかないの?」
「私はこれだけしてやったのに」
「”普通”感謝するよね?」

あぁ、きつい。
それなら”風呂敷を広げる”ことをした張本人が、
現場に来て一緒に畳んだらええのよ。
でも、全然役に立たないのよ。
日頃畳む側を気にしたことないから。
”畳む側”にはちゃんとボスがいるのよ。
それは”広げた側”のボスとは別なのよ。

「いや、そもそも広げる側がいなかったら、君はボスじゃないよね?」
とか言っちゃうのよ!!
とんでもない組織にいたなぁと。

「”普通”って人によって違うからなぁ」
って少しでも考えたらお互い歩み寄れたんじゃないかと。
まぁ今の仕事現場は社長自ら働きまくってすごく良い現場です。
上が頑張っているから”善意”や”思いやり”も持てます。
だから自身の”普通”が育つんですよ。

せっかく時間と体力を使っているのに、
悪意”や”無情”を促す組織って、
自身の”普通”が壊れちゃう。

とっても広い広い地平線という”常識”に、
ハンカチサイズの風呂敷を広げて、
畳み方をみんなで考えよう!
みたいなことを言う人もいました。
「いや、そんなもん風で飛ぶがな」
って思っていたのは内緒。
拡大解釈”についてはまた別記事で。

よい週末を👋


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