日記1015

自分の葬式の夢を見た。わたし死んだな、と思ったけれど
よいしょと起き上がってみれば現実に帰ってきた。
夢だった。夢でよかった。
そういえば、手術を受けて難病患者になってから一年が経つんだな。
難病を患う、そして検査などを通して難病であることがわかる。
私の場合はこの2つの手順の期間というか、発病から病気だとわかるまでのあいだにかなりの時間を要した。15年ほどあったんじゃないかな。日常が病的に不便だったが故、これが病気なんだとわかった時には感動すら覚えた。
生きづらさに理由と名前が与えられたのだ。
でも、それと同時に恐怖を覚えたこともよく覚えている。
言い方は悪いけれど、難病を国から指定されるということは
国から「社会的弱者」であることのレッテルを貼られることのように思っていたからだ。
指定を受けてからは、金銭面も治療面でもとても生きやすくなった。
今となっては悪いことではないことが分かっている。「難病指定」は人助けの制度だということを痛感しているけれど。
わたしはこの「怖かった」という感情を大事にしたいと思っている。
自分の感情なのだから好きに持っていていいのだ。
わたしには自分の感情をなかったことにする癖があるから「怖い」と思ったことはうれしいことなのだ。こわいとかうれしいとか感情がぐちゃぐちゃ。でもそれを実感して受け入れることが、とっても暖かくて愛おしい行為なのだと(ふつう、大体の人は自然にそうなってるので行為とかそういうふうに考えないと思う)ひしひしと感じている。



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病気を持っても持っていなくても取り組み続けたいことがずっとあった。
音楽活動と「生業」となる”技術”を磨くこと。
これもまた感情というか考えがいろいろあって自分の中での心という名前の箱の中、
一緒くたに詰め込んだ思想が煮詰まっていることではあるが。

わたしは音楽だけに浸るつもりだった。いや、それがあこがれだった。
専業ミュージシャンにあこがれている面が少なからずある。
でもわたしがそうなることはわたしが許さないだろう。やりたいことが複数あるのだ。

お世話になっている人から、昔からあこがれていたジャンルの仕事への誘いをもらった。こんなの、受けるしかないじゃないか。お世話になっている人はあこがれの仕事人でもある。一緒にはたらけるなんて、そうそうない。受けるしかないじゃないか。
音楽活動で飯は食えない。わたし自身食えたとしてもそれ一本で生きていくのは無理だと実感している。

うれしいことだ。歌を歌いながら、好きな仕事をしていきたいと思っている。あこがれのひとたちと。

17歳の時に美容院で髪を切られながら聞かれた
「将来の夢ってあるんですか」、これにわたしは
「ギターと歌が好きです。でも専業って難しいし怖いからデザインの仕事がしたくって毎日勉強してます」

と答えた

ギタリストが手を怪我したら。
ボーカリストがのどを痛めてしまったら。
その仕事は破綻する。

わたしは当時そう思っていたから別で「生業」がいると思っていた。
いや、生業を複数持つ必要があるというほうが正しいかもしれない。

そうして着実に、踏み外しながらも歩んできた道が点在していたけれどちょっとずつつながってきて、うれしい。今日はそういう日だった。

三重県で、シンガーソングライターをしています。代表曲は「ひかりとつき」など。サポートや投げ銭でいただいたお金は制作機材やサイトなどの維持費充てています。応援よろしくどーぞ!!!