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カンタータ・フランセーズ

 ディドンの死 La mort de Didon  
~フランス・バロックのカンタータと器楽曲~
 

無事終了いたしました。

大好きなカンタータ・フランセーズの大曲を2曲も歌わせていただき、感無量です。

今回は県を超えてはるばる遠方よりいらしてくださったお客様が本当に多くて、それだけ関心も高かったのかと思います。東京公演のみで終了してしまったことを申し訳なく思います。

 今回は初めてご一緒させていただいたチェンバロの村上暁美さんとヴァイオリンの佐藤駿太さん、日頃あまり会う事もなく本当にお久しぶりだったガンバの西谷尚己さん、この数年は歌でご一緒してきたトラヴェルソの新井道代さんとは初日のリハーサルでも、ずっと前から一緒に音楽を作ってきた仲間の様に、フレンドリーで和気あいあいムードでした。全員フランスバロック音楽のレパートリーには特に秀でておられるというだけでなく、最初からお互いにオープンで、音楽づくりに妥協を許さず、ご自分の意見を率直に相手に伝える、そしてそれを素直に受け入れて発展させていくというスタンスで、とてもフェアな関係が築けたと思います。器楽の人から歌への要望、コメントもいくつも頂き、とても興味深く参考になる事ばかりでしたし、私から器楽奏者への要望も快く聴いてくださり、お互いの信頼感のもとに安心して演奏することができたのは貴重な宝でした。

本当に皆さんありがとうございました。

 特に新井道代さんには以前より後述するプロジェクトには何度もご助力していただき、特に深い感謝の気持ちが絶えません。

 ところで、私は実際、フランス・バロック音楽を専門に学んだり、フランスに留学したわけでもありません。告白しますとフランス語はレストランの注文とか買い物程度の下手な旅行者フランス語しか使えません。そんな私が何でフランチに心がいつも向いていたのかというと、皆さんご存じの通り、私は普段は古い中世・ルネサンスのものを研究し歌っているのですが、とりわけフランスでのグレゴリオ聖歌から吟遊詩人、多声オルガヌムやシャンソンなどフランスにおいてフランス人(一部例外あり)によって育てられた音楽をたくさん歌っていく中で、ではそのあと、フランスの歌はどうなっていったのだろうという関心が物凄く高くなり、自身の声でフランスの歌の歴史をモーダル唱法の観点からたどっていくというのが、いつのまにかライフワークの様になってしまいました。

2015年ドゥーブルを扱った「織り成す想い ― フランス音楽の中で花開いた装飾技法の世界」、バンショワからゲドロンまでの後期中世からバロックに入りかけるルネッサンス末期の多声シャンソン・プログラム取り扱った2017年の「Triste plaisir 哀しきよろこび」、2021年セルミジからランベールまでを取り上げたリュートの佐藤亜紀子さんとの共演、エール・ド・クール 「宮廷歌曲集の魅力Belles chansons」その一環です。そして今回、バロックの大カンタータ作曲家モンテクレールとクレランボーを中心としたプログラムによる「ディドンの死 La mort de Didon~フランス・バロックのカンタータと器楽曲~」で、抜け落ちている大作曲家やレパートリーはまだたくさんありますが、とりあえず一応の流れは大成できたかなと思います。

 ライフワークとのたまいながらも何がわかったかというと、あまりよくわかってないのだけれども、強いて言えば、フランスでは形式の美しさトが大切にされた事でしょうか。トロバドルやトルヴェールの詩の緻密な構成の美しさと重要性はその後マショーや、ル・ジュヌなどの作曲家を通して、何度も見直され、フランスのレパートリーではフランス語の言葉や音節の響きの使い方のなかでしか声は発展できないということなのかもなと自分ながらに感じます。声というのは単に発声ではなくて、装飾音、メロディー、リズムの作り方などすべてを含みます。まさにモーダル唱法の極致と言ってっもよいかもしれません。

 再度念を押しますが、私はフランスバロック音楽を専門に研究したわけではないので、フランス音楽専門の方からみれば、私は的外れな意見を述べているかもしれません。ご了承ください。

 兎にも角にも、これでライフワークの最終目的をなんとなく果たしてきたような、それともまだまだ続くような・・・

この先まったく未計画です。 でも自分の年齢も考えて・・・もっとやらなくてはいけないことも他にもたくさんありますし、ここまでかなと思う気持ちも多少はあります。

使用チェンバロと画像は加屋野木山さんによるもの。ありがとうございました


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