さみしさの正体
毎週月曜日の10時から12時、お掃除のMさんに来ていただいている。水回りを中心に、家中ピカピカにしてもらうことで、どれだけ精神的余裕が保てていることか。カタチあるものが残るわけではないけれど、「家事代行サービスに申し込んだこと」が今年いちばんのいい買い物だったとさえ思う。
◇◇◇
そんな蜜月だったMさんと我が家との関係だが、彼女の事情により1月いっぱいで唐突に終わりを迎えることになった。
「わたしもこちらに来られなくなってしまうのはさみしいんですが...○ちゃん(うちの子どもの名前)にも会えなくなってしまうので」
4月に保育園に入る前は、毎週会っていたMさんと我が子。入園以降は会えなくなったけれど、いつもわたしのスマホのなかの写真を見ては、成長を喜んでくださっていた。
わたしもさみしいです、1月中には子どももご挨拶させてもらいますね、とMさんに伝えて家を出る。師走の冷え込んだ街を歩きながら、なぜかしんしんとさみしさが込み上げてきて視界が涙で滲んだ。
−なんでこんなにさみしいと思うんだろう?
ぐずぐずと鼻をすすり、考える。
−あぁ、わたし思っていた以上にMさんに助けられてたんだな。
ちょうど子どもが歩き始めた前後、家中に散らばったアレコレを元に戻すだけで余力ゼロだったわたしに、「掃除なんて誰がしてもいいんですよ。子どもと一緒にいられる時間なんてほんといまだけだから、おかあさんはそっちの時間を大事にしてたらいいんです」と言って、あれよあれよと家中磨きあげてくれたMさん。家族や友人以外に、子どもの成長を気にかけ一緒によろこんでくれる存在がいる嬉しさ、ありがたさ。
そして、思った。1歳の頃の我が子を知っているMさんが、離れていくこともなんだかさみしいんだな。2歳になった子どもは相も変わらず日々愛おしさを更新しているのだが、1歳の彼女にはもう会えない。あんなに愛してたのに!
−あの姿を覚えてくれている存在が、自分にとっても大切になっていたんだなぁ。
自分でも予想外の方向からやってきた「さみしさ」の正体を、しかと胸に抱きとめて歩く。Mさん最後の日には何を用意しよう、子どもも一緒に、みんなで写真を撮らなくちゃ、と考えながら。
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