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小説「ニライカナイ」ー2

「だから、何度も言ってるじゃないですか!! おれは、金城先輩のタンクが満タンだったことをちゃんと確かめたって!!」
「しかしね、もはやそれを証明する術はないんだよ。友弥くんの証言によると、被害者の金城辰巳はエア切れを起こしていたらしいじゃないか」
「でも、おれはセッティングのあと器材に触ってないし、船が移動している間にタンクを取り換えられるわけないじゃないですか! それに、空気の入ってないタンクが最初から船にあると思いますか!? あるわけないでしょう、まだ誰も潜ってなかったんだから!!」
 事件が発生した後、ダイビングサークルの面々は従姉妹島に残り、警視庁から派遣された刑事たちから事情聴取を受けていた。真っ先に疑われたのは、辰巳の器材をセッティングした大海だった。彼らは島の小さな交番で向かい合って話していたが、先ほどから押し問答が続いている。
「刑事さん、ちょっとよろしいでしょうか?」
 そこへ、雅貴が割って入った。君は、と尋ねられる前に、事故が起きたのは辰巳自身の責任であると彼は言った。
「彼は僕の二つ上の先輩で、卒業して東京へ行ってもよく潜りに来ていました。彼は傲慢な性格で、いつもセッティングは後輩にさせていました。そして、いつも碌に残圧を確認せずに潜っていたことも知っています。加えて、あの体型では通常よりもエアを消費しやすいことはダイバーなら誰でも察しがつきます。なので、大海くんに責任は一切ありません。これは、金城辰巳本人が引き起こした事故です」
 堂々と話す雅貴を前に、思わず口を噤んでしまった刑事たち。迷ったように視線を泳がせてから、しかし、と片方の刑事が続けた。
「今の説明で、彼の父親が納得してくれるかどうか……」
 そう、金城辰巳の父は、経済産業省の幹部の一人であった。彼はメタンハイドレートの発掘に賛成の意を表していたが、息子が行方不明になった途端に掌を返し、何としてでも息子と事件を引き起こした犯人を探し出せと躍起になっているのだ。そして、それまでは発掘の開始に断固反対するとまで言っているのである。
刑事たちとしては、一刻も早く事件を解決し、彼を納得させて資源エネルギー庁に恩を売りたいところだ。そうでなければ、経済産業大臣と親しい間柄である警察庁長官に睨まれてしまう立場にある。しかし、無実の人間に濡れ衣を着せるなど言語道断だ。
 刑事たちが悩ましい表情を浮かべて俯いていると、今度は友和が発言した。
「では、私が彼らと金城氏に会って直接説明をしに行って参ります。ですから刑事さんたちも、事件性はなかったとお話し頂けませんでしょうか」
「し、しかし……」
「大丈夫です。もし金城氏が何か言おうものなら、私たちが彼を訴えます。あなたの息子のせいで、私たちの大事な家族が失われたのだと……!」
 友和は、友弥の肩を抱きながら言った。彼らは共に全身を震わせ、泣いていた。友弥は顔を右手で覆い、友花、友花と妹の名前を呟き続けていた。
「いいえ、例え彼が何も言わなくとも、私たちは訴えます。訴え続けます。マスコミの取材にも応じます。器材のセッティングを他人に任せるのも、残圧を確認しなかったのも彼自身の不手際です。プロである私たちならわかります。そう言い続けます。彼の父親が、私たちに謝罪するまで……!!」
「……わかりました。では、警視庁にて記者会見を開きますので、ご同行願えますか? 私たちと共に、東京へ……」
 勿論です、と友和は力強く答えた。大海は自身を庇ってくれた雅貴に感謝しつつも、本当に事件性はないのだろうかと、小さな違和感を覚えていた。けれど、その根拠を見つけ出すことはできなかった。
 翌日、大海・雅貴・聡子・友和・友弥の五人は警視庁のヘリに乗り込み、八丈島で飛行機に乗り換え、東京へ向かった。今回の事故は既にニュースで全国に広まっており、当然金城辰巳の父親の耳にも届いていた。

「君かね? うちの息子がわざと事故を起こして死んだと抜かしている輩は……」
 大海たちは、羽田空港に着くなりパトカーで警視庁へ移動した。日は既に没していたが、そこには何者かが彼らを待ち構えていた。経済産業省エネルギー庁幹部にして金城辰巳の父・金城辰(たつ)成(なり)だった。息子と同じ巨躯の持ち主で、口の周りは短く切り揃えた黒い髭に囲まれている。無理やり着たスーツのボタンは、今にもはちきれそうだった。背後には、部下である役員がいた。
 しかし友和は、一歩も引かなかった。それどころか、ずいと前に出て言い返す。
「ええ、そうです。そして、息子さんは私の娘を巻き込んで行方不明になりました。息子さんが、まともなダイバーであれば起きなかった事故です!!」
「フン、せいぜいそうやって吠え続けていればいいさ。私にだって、あんたには恨みがある。ダイビング中に起きた事故の責任は、船長が負うものだと思っているからねぇ……!!」
 両者とも、一歩も引こうとしない。そんな張り詰めた空気の中、聡子がぽつりと独り言のように呟く。
「ニライカナイ……」
「は?」
 友和は、わけがわからないと言う表情で振り返った。辰成は、同じ目つきのまま聡子の方へ視線を向ける。
「誰だ、あんたは?」
「何ですか、その……ニライカナイというのは」
「わたくしはダイビングサークルの顧問の、嘉(か)手(で)苅(かる)と申します。ニライカナイというのは、沖縄における神々の世界のことです。あのポイントは、メタンハイドレートが眠っていると噂されている海底遺跡の近くでした。その遺跡はニライカナイだと、わたくしは信じています。ですから、これは……聖域を荒らした罰を受けているのではないかと……」
 聡子が俯きながら言うと、辰成は鼻で笑った。
「何をわけのわからないことを! 下らない、これ以上付き合ってられるか!!」
 辰成が踵を返すと、聡子は咄嗟に叫んで引き留めた。
「待ってください、金城さん! あの遺跡は、ちょうど沖縄から東にある海の底にあるんです! あそこは、間違いなくニライカナイなんです! ユタであるわたくしの祖母がそう言っているんです、ですから、もし息子さんたちが見つかってもメタンハイドレートのためにあそこを壊さないでください!!」
「ユタだと……?」
 辰成は一瞬だけ足を止めたが、すぐにそれを嘲笑った。
「これ以上の戯言に付き合うのは時間の無駄だ。続きは明日の記者会見にしてくれたまえ。おい、新垣(あらがき)! 車を出せ!」
 辰成は部下に命じ、彼らの視界から姿を消した。残された彼らの耳に響くのは、慣れない都会の喧騒だった。
「嘉手苅さん。いくらなんでも、それはないでしょう……」
 友和が、力なくそう言った。娘は神罰のために死んだのだ、と言われたも同然なのだから無理はない。聡子はすぐに彼の心中を察し、申し訳ございません、と深く頭を下げた。
「まぁまぁ、お二人とも、落ち着いて。記者会見は明日こちらで行いますから、本日はホテルで休んでください。予約はこちらで取っておきましたので」
 そう言って、刑事は再び彼らをパトカーに乗せた。連れていかれたのは、従姉妹島に向かう前に大海たちが泊まったホテルだった。パトカーから降りてロビーへ向かうと、レセプションには金城辰成の部下の姿があった。どうやら、彼らも同じホテルに泊まるらしい。どこかでばったり鉢合わせたりしたら嫌だなと大海は思ったが、重要参考人である手前、警察の用意したホテルを拒絶するわけにもいかない。
「また同じ部屋になったね、大海くん」
 雅貴が、力なく笑った。大海も、気まずそうにそうですねと返すことしかできない。
「全く、散々なことになってしまったね。でも、僕は君のこと、ちゃんと信じてるから」
「雅貴さん……」
「さ、疲れたでしょ? 水でも飲んで、お風呂に入ってきなよ。僕は適当にスマホでもいじって待ってるからさ」
「すみません、ありがとうございます……」
 犯人扱いされた挙句、再び長時間の移動を強いられた大海の体力は既に限界を迎えていた。雅貴の提案に甘えて、大海はペットボトルの水を飲んでから湯船で一息つくことにした。
 バスタブに浸かると、彼は猛烈な眠気に襲われ始めた。まずい、眠ってしまう――そうわかっているはずなのに、抗えない。その時、着替えの上に置いた彼のスマートフォンが鳴った。間一髪だった。彼は慌ててタオルで手を拭き、電話に出た。
「もしもし?」
「あら、驚かないの? 私が、電話をかけてきたことに」
「……は、ハノン!?」
 大海は、画面を碌に見ずに電話に出たので相手が誰なのかわからなかった。出てみて初めて、失声症で話せないはずの波音だとわかったのだ。
「じゃあ、やっぱりあれは……」
「そうね。先生の言う通り、ニライカナイで間違いないわ。船で三十分もの距離があるはずなのに、島にいれば私が話せるぐらいだもの。かなり強いエネルギーがあそこにはあるのよ」
「…………」
 ごくり、と生唾を飲む。
「じゃあ、やっぱり金城先輩は……」
「殺されたんだと思うわ。事故が起きれば、少なくとも延期にはなるはずだもの」
 メタンハイドレートの発掘がね、と彼女は満天の夜空を見上げながら言った。風の音と、波の音も聞こえる。どうやら、宿から抜け出して近くの浜辺で電話をかけているらしい。
「でも、確信はできないよね? だって、延期じゃ中途半端だから。犯人としては、ニライカナイを守るために発掘を中止にしたいはずだし」
「……大海。あなた、わからないの? どうして、金城先輩が選ばれたのか」
 どくん、と心臓が跳ねる。
「ニライカナイは東の海にあると一般的には信じられているけれど、本当は南東、つまり巽(たつみ)の方角にあるのよ」
「たつみ……」
「そう。彼の名は金城辰巳。つまり、それは犯人からのメッセージでもある。これ以上ニライカナイを穢すな、というね」
 巽(ソン)とは、中国の八卦によって表された方角の一つである。日本では、それを十二支で辰巳と呼んでいた。
 彼の指先が震え始めた、その時だった。外から誰かの悲鳴が上がったのは。
「ごめん、ハノン! ちょっと外の様子見てくる!!」
 そう言って一方的に電話を切り、大海は急いで体を拭いて着替え、浴室の外に出た。
「先輩!! さっき、悲鳴が聞こえませんでしたか!?」
「うん、聞こえたよ! 警察も呼ばれたみたいだ」
 彼の言う通り、外からパトカーのサイレンが響いている。行ってみよう、と雅貴が言い、大海は頷いて後に続いた。
 現場は、すぐにわかった。大海たちをこのホテルまで連れて来た刑事たちが、真っ先にその部屋へ向かっていたからだ。
 被害者は、金城辰成だった。バスローブ姿だった彼は、仰向けになって倒れていた。左胸にはダイバーズナイフが突き刺さっている。
 そして彼の指先には、13579、2468という、謎の数字の羅列が記されていた。


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