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小説「ユナイタマの島」ー5

 大型連休は結局一件の予約もないまま始まってしまったが、その数日間は大海たち赤間中学校野球部ナインにとっては大忙しであった。八重山(やえやま)諸島――石垣島から与那国島まで――の各中学校球児のための軟式野球大会『カンムリワシ杯』が開催されるためである。
 それは十年前、『冠鷲』という泡盛を製造している石垣島の酒造会社社長が八重山地区中学校野球協会に頼み込んだことがきっかけで始まった。社長曰く、自身もかつて球児であったことから、八重山の野球少年たちにもっと活躍の場を与えたいという思いがあったのだそうだ。
 会場は石垣市内の野球場なので、大海たちは開会式前日に飛行機で石垣島へ渡る必要がある。そのため、彼らは学校で集合してから一斉に空港へ向かう予定になっていた。
「待たせたな、大海」
 玄関で持ち物を確認していると、後ろから一喜がやって来た。上半身は黒いキャップと青いかりゆしウェア、下半身はベージュの半ズボンに紫のギョサンという軽やかな出で立ちをしている。不幸中の幸いと言うべきか、ダイビングショップの方にも連休中の予約は入らなかったので、今回は珍しく一喜が保護者として同伴することになったのだ。
「……おじいは? 来てくれないの?」
「大海、親父はもう若くねぇんだ。ワガママ言うな」
「うん……」
 公式戦の機会は滅多になく、本来なら心待ちにしていたはずなのだが、事件のことが気掛かりで大海は素直に喜べていない。師匠であり憧れの存在でもある喜一が来ればと淡い期待を抱いていたのだが、それもあっけなく砕け散った。
「ほら、とっとと行くぞ」
 赤毛の頭に手を乗せ、促す。黒いエナメルバッグを肩に掛け、その背中を追いかける大海。しかしその足取りは重く、一喜との間隔は長くなる一方だった。それに気づき、振り返って一喜は言った。
「ガッカリした顔すんな、中学に入って初めての公式戦なんだろ? 大活躍して新聞に載って、来なかった親父を後悔させるぐらいのつもりでやれ。わかったか?」
「……うん!」
 足元ばかりを見つめていた瞳が、瞬時に煌めき出した。一喜の言う通り、今回が彼にとってのデビュー戦となる。好成績を収めれば、間違いなく地元の新聞に掲載されるだろう。そうすれば、喜一の目にも必ず留まるはずだ。
「カズキさん早く! 置いてくよ!?」
 心に火がついたのか、勢いよく駆け出す大海。そんな彼の姿を眺めながら、一喜は溜め息交じりに口元を緩めた。

 その晩、一同は市内の民宿にチェックインし、八時に眠りに就いた。翌朝六時に起床すると、空は青く晴れ渡っていた。
 赤間中学校の初戦は第一試合、相手は石垣市立石垣第三中学校だった。赤間中が三塁側、第三中が一塁側に立ち、ホームベースを挟んで整列する。
 相手チームの顔触れを眺めていると、大海は全員が自分に注目していることがわかった。小声で互いに耳打ちし、厭らしく笑っている。どうやら、欧米人のような彼の容姿を嘲笑しているようだった。
「なんだアイツ。キジムナーみてぇ」
 そのうちの一人が、大海たちにも聞こえる声で言い放つ。それに食いかかったのは、大海の右にいた遼平だった。
「んだと、テメェ! もっぺん言ってみやがれ!!」
「そこ、静かに! もう一度暴れたら退場ですよ!」
 審判に咎められ、悔しげに舌打ちをする遼平。大海たち野球部にはちょうど九名の部員しかいないので、一人でも欠けたらそれだけで不戦敗となってしまう。その様子を見て、第三中のメンバーは高らかな笑い声を上げた。
「一同、礼!」
 よろしくお願いします、と上辺だけの挨拶をし、一塁側のベンチへ駆けていく第三中ナイン。遼平は眉間に皺を寄せながら唇を噛んでいたが、篤志は涼しい顔で大海に言った。
「気にするな。あんな奴ら、試合でこてんぱんにしてやればいい」
「そうだぜヒロミ! お前を妖怪みてぇだとか言ったヤツらをケチョンケチョンにしてやれ!!」
「……うん、そうだね。ありがとう、二人とも」
 妖怪っていうか、正しくはガジュマルの精霊だけどね。笑いながら訂正しつつ、彼らの気遣いに感謝した。
 思えば赤郷親子は彼のその外見のせいで、移住してしばらくの間は白い目で見られ続けていた。幼稚園に入った時も彼は疎外され、一部の園児からいじめを受けたこともあったが、小学校に入学してからは状況が一変した。遼平が少年野球のチームに誘ったことがきっかけだった。
 遼平は内地から移住してきた家庭の子供だったが、大海が家で喜一から野球を習っていることを知っていた。父親が米兵であることも知っていたが、そのことで彼を侮蔑するどころか、半分アメリカ人なら野球の才能があるに違いないと断言して入団を勧めたのだ。腑に落ちない理由だったがお陰で彼の交友関係は広がり、球児として成長を遂げていくうちに、いつの間にか集団から孤立することはなくなったのだ。それ故、大海は遼平に大きな恩を感じている。
 それにしても、何故こんなにも目立つ髪色になってしまったのだろうと、時折思うことがある。美桜のような金髪ならまだしも、赤髪は世界的にも非常に珍しく、欧米人の集団に溶け込むことすら困難である。考えても仕方のないことだとわかってはいても、彼は過去に何度も自身の髪色を恨んでいた。
「何ボーっとしてんだよ、ヒロミ。出番だぜ!」
 考え事をしていると、遼平が彼の背中を叩いた。慌ててグローブを右手に嵌め、マウンドへ向かう。相手チームの一番打者がバッターボックスに入り、構えた。篤志と視線を合わせ、頷き合い、左腕を大きく振って一球目を投げる。
「……ス、ストライク!!」
 投球がキャッチャーミットにぶつかり、収まる音が小気味良く響く。バッターも審判もあまりの速さに呆気に取られ、数秒固まっていた。
 気を取り直し、今度こそと意気込んで再び構えるバッター。しかし球の速さについていくことができず、空振りを繰り返す。一塁側のベンチがどよめいていた。
 その後も大海は調子良く投げ続け、ランナーが出ることなく一回表は終了した。第三中のピッチャーは早くも動揺しており、投球が安定せず次々と赤間打線の出塁を許してしまう。
 遂にノーアウト満塁となり、大海が打席に立った。碧い瞳に睨みつけられ、ピッチャーはすっかり萎縮してしまっている。
 三中ナインの掛け声。マウンドの砂埃。痛快な金属音。打たれた球は空に吸い込まれそうなほど高く上がり、美しい放物線を描いて落下していく。
 ライトの選手は懸命にそれを追いかけたが、間に合わなかった。ランナーが一斉に走り出し、三塁側から歓声が沸く。取り損なった球を慌てて拾い、ライトは大海の滑り込む二塁に向かって投げたがセーフとなった。これで赤間に二点。その後もランナーが続き、一回裏で赤間中は四点を獲得した。
 すっかり闘志を削がれた第三中ナインは、圧倒的な点差をつけられ敗退。大海たちは互いに抱き合い、盛大に喜びの声を轟かせた。その晩はオレンジジュースで祝杯を上げ、翌朝は早速朝刊に載った彼らの活躍を称える記事を見て大いに興奮した。
「おい、見ろよヒロミ! お前の写真でっかく載ってるぜ!?」
「赤髪のエース、流星の如き豪速球を放つ。伝説の左腕(サウスポー)再来か……だと。良かったな」
「よっしゃ、このまま優勝目指しちまおうぜ!!」
 新聞を見つめる大海を挟んで、遼平と篤志が彼の肩を叩く。朝食の最中であることも忘れて頬を紅潮させ、破顔する大海。かつての喜一と同じ謳い文句が書かれていたことが、嬉しくて堪らなかった。
 赤間ナインの勢いは止まらず、二回戦も快勝となった。決勝戦は惜しくも敗れ準優勝となったが、華々しいデビューを飾ることができ、三人は笑顔で島に帰ったのだった。
「じゃあな、ヒロミ!!」
「また学校でな」
「うん、またね!!」
 夜の校舎で解散し、一喜と共に帰路を辿る。明日の朝刊にも大きく掲載されることを考えると胸が高鳴り、我慢できなくなって大海は一人で走り出した。
「ただいま!! おじい! おじいどこ!?」
 勢いよくドアを開け、靴を脱ぎ捨てて台所へ急ぐ。そこに聡美の姿はなく、フライパンの中には既に冷めたそうめん(ソーミン)チャンプルーが入っていた。
「お帰り、大海。準優勝おめでとう!」
「お母さん、おじいは!?」
 暖簾を捲って現れた聡美は、唇の前で人差し指を立て、小声で言った。
「もう寝ちゃってるから、静かにしてあげて」
「……うん、わかった」
 素直に従い、小声で返す。明日までの辛抱だと己に言い聞かせ、大海は夕飯を電子レンジで温め、空腹を満たした。
「ただいま。大海、よくも置いていきやがったな」
 愚痴を零しつつ一喜が食卓につくと、聡美は微笑みながら彼の前に冷たい缶ビールを置いた。
「お帰りなさい。あと、お疲れ様。大海について行ってくれてありがとう」
「ああ」
 プルタブを引き、一気に喉へ流し込む。上機嫌になった一喜と、そんな彼をどこか愛おしげに見つめる聡美は、大海の目に本物の夫婦のように映った。
「……ねぇ、お母さん」
「ん、何?」
「お母さんって、カズキさんのこと好きなの?」
 大それた質問をしたつもりではなかったが、聡美は顔を赤らめて硬直し、一喜に至っては飲んでいたビールを盛大に吹き出して大海の夕食を台無しにしてしまった。
「ちょっとカズキさん、何してくれんの!?」
「それはこっちのセリフだ!! いきなり何を言うんだお前は!?」
「そうよ大海、デリカシーのないこと言わないで!!」
「え……でも、おれにとっても大事なことだし……」
 初恋をからかわれる中学生のような反応をされ、困惑する大海。しかし、そのお陰で二人の気持ちは十分に伝わった。
「もういいや、ごちそうさま。カズキさん、責任取って残り食べてね」
 皿を一喜に突き出し、大海はリビングから走り去った。もしかしておれに遠慮してるのかな、と思いながら階段を上り、自室のドアを開け、明かりを点ける。
 シャワーを済ませ、その晩は早々に床に就き、泥のように眠った。翌朝は自然と目が覚め、寝間着のまま裸足で階段を下り、玄関ドアの新聞受けを確認する。朝刊は、既に回収されているようだった。
 その日、彼はずっと浮き立っていた。食事をとっている時も宿題をしている時も、今か今かと喜一から褒められるその瞬間を待ち侘びていた。
しかし、日が暮れ出しても喜一は姿を見せなかったので、とうとう彼は自ら彼のもとへ向かってしまった。喜一は、いつも通り宿の縁側で三線を奏でていた。
「……あのさ、おじい」
 控え目な声で、機嫌を伺うように背後から話しかける。喜一は、彼の方を見ずに返事をした。
「新聞、見たでしょ? おれたち、昨日、準優勝だったんだよ」
「ああ、そうらしいな。良かったな」
 手を止めず、背を向けたまま答える喜一。
「……それだけ?」
 口が滑り、つい先を促してしまった。だが、彼の期待に応えるどころか、喜一は最後まで振り返らず、冷たく言い放った。
「まだ何か言って欲しいのか? 大海」
「えっ……」
 一瞬、何を言われたのかわからなくなり、沈黙する。手と唇が震え出し、瞳も潤み始めた。
「……ううん、別に!」
 涙を零しながら精一杯の笑顔を向けて、彼はその場を後にした。その足は、ギターの音が鳴る美桜の部屋へ向かっていた。ノックもせず、黙ってドアを開ける。
「うわっ、びっくりした! どうしたの、ヒロミくん」
 狼狽えながらもギターを置いて立ち上がり、彼に近づく美桜。大海はその細い体に抱き着き、大声で泣き叫んだ。
 美桜は、その涙の理由を尋ねることなく、震える彼の背中を撫で続けた。


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