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小説「ユナイタマの島」ー11(最終回)

 震源地は石垣島の北北西沖約六十キロ、マグニチュードは六・八。赤間島の最大震度は五強、石垣・西表・鳩間・多良間(たらま)島は五弱であった。津波の被害は当然あったが、計算よりも波は低く、赤間島以外に幸い大きな影響はなかったという。威力が抑えられたことに多くの専門家たちが首を捻らせたが、大海たちにだけはその理由がわかっていた。ユタとしての彼の願いが、自身が最後の生贄になることで天に通じたのだ。
 波は三度往来したが、赤城山の頂上に避難した島民たちと東側の牧場の家畜、そして空港は全て無事だった。日が沈む前に自衛隊ヘリが下山の困難な老人たちを優先的に救出し、他の人々は空港で一夜を明かしてから飛行機で那覇や宮古、石垣へ運ばれていった。大海たちは石垣へ渡り、島の中学校を卒業。そして全員で示し合わせて、那覇にある甲子園常連校へ進学したのだった。
「ヒロミ、今日ってミオウさん来るんだったよな!?」
 部室で制服に着替えながら、遼平が尋ねる。
「うん、もう空港着いたって! じんべえざめで待っててって伝えてあるよ」
 じんべえざめとは、彼らが足繫く通う沖縄料理の食堂のことである。
「おい、アツシも行くよな?」
「ああ、勿論。五年振りの再会だからな」
「じゃあ、とっとと着替えちまおうぜ!」
「バカジマ、ボタンずれてるぞ」
「げっ、マジか!!」
 篤志に指摘されてようやく気づき、慌てて直す。一度寮に戻って通学鞄とエナメルバッグを置き、財布とスマートフォンだけを持って、彼らはじんべえざめへ向かった。
「いらっしゃい……って、またあんたたちかい! そうだ、県大会優勝おめでとう!」
「ありがとう、リエコおばあ!」
 バブル期を思わせる長いソバージュに太い眉、そして濃い化粧が特徴的なじんべえざめの女将・島(しま)袋(ぶくろ)里(り)栄(え)子(こ)が、厨房から顔を覗かせて彼らを出迎えた。じんべえざめはごく一般的な沖縄食堂でありながら料理の評価が高く、ガイドブックにも載っている人気店である。壁一面に貼られた有名人のサイン色紙が、その歴史の長さと評判を物語っていた。
「ヒロミくん、アツシくん、リョウヘイくん。久しぶり!」
「あ、ミオウさん! 久しぶり!!」
 店の奥に目を遣ると、中折れ帽とサングラスで顔を隠した美桜の姿があった。外国人観光客になりきっているつもりなのか、何故か東京の地名が漢字で乱雑に書かれたTシャツを身に着けている。ギターケースはもちろんのこと、首元のヘッドホンと十字架のネックレスも健在していた。さり気なく、三線のケースも携えている。
「えっ!? もしかしてお客さん、ジャン・ミシェル美桜さんだったわけ!?」
「あ、はい、そうです。申し遅れてすみません、マダム」
「凄い、ずっとずっと会いたかったさぁ!! サインお願いしてもいい!?」
 喜んで、と言いながら色紙とペンを受け取る。すっかり慣れてしまったようで、スムーズにペンを走らせる仕草が様になっていた。他の客も立ち上がり、彼女に続いてサインをねだる。
 今や彼は、全国区の音楽番組に引っ張りだこの人気者となっていた。きっかけは、赤間島で作成した曲のアルバム。津波から運よく逃れたミュージシャンとして一時話題の人となり、そしてかつての島の情景を映した儚くも美しい旋律が多くの反響を呼び、大ヒットとなったのだ。その後は人気ドラマの主題歌を担当することもあり、昨年は遂にその歌で念願の紅白出場を果たした。今回彼は明日に控えた那覇のライブハウスでの演奏のためにやって来たのだが、二度目の県大会優勝を果たした大海たちを祝おうと、ライブの前日に移動してきたのである。
「はいお待たせ、ポセイドン生一丁!」
 美桜はジョッキに注がれた生ビール、大海たちはさんぴん茶を掲げ、再会を祝して乾杯した。
「いやぁ、みんな大きくなったねぇ! ところで、女の子たちは?」
「ああ、あいつらはシャワー浴びてから来るって言ってましたよ」
「そっかぁ、だから君たちは汗臭いんだねぇ」
「失礼な! これでも汗拭きシートはやってきたんだよ!?」
 大海がムキになって反論し、全員が声を揃えて笑った。
「ところであんたたち、今日は何食べるわけ?」
「おれはゴーヤーチャンプルー定食!」
「オレもそれ! メシは大盛!!」
「俺はソーキそば定食」
「ボクは沖縄そば単品でお願いします」
 はいよ、と言って里栄子は早速調理に取りかかった。
「ミオウさん、定食じゃなくていいの?」
「うん、大丈夫。ボクももう三十過ぎちゃったからね、胃もたれには気をつけなくちゃ」
「三十一でそれは早すぎじゃね!?」
「あーっ、ひどーいリョウヘイちゃん! ミオウさんがかわいそう!!」
 背後から遼平を非難したのは、髪を下ろしている真珠だった。その後ろに、同じく長い髪を靡かせた渚と波音の姿もある。
「やぁ、久しぶり! みんなキレイになったねぇ!」
「さすが美桜さん、お上手ね」
 同じ席に座り、ポセイドンビールのジョッキに入ったさんぴん茶が来てから、改めて乾杯をする七人。女子たちは、全員タコライスを注文した。
「まさかみんな揃って那覇に来て、しかも同じ高校の野球部に入るとは思わなかったなぁ」
「何か、離れがたいんですよね。みんな家族みたいなものだし……ね、波音」
 渚が隣の波音を見ると、彼女はこくりと頷いた。相変わらず、失声症は治っていない。
「つーか、オレたちがバラバラになっちまったらお前マジでヤバかったよな、ヒロミ。感謝しろよ?」
 大海の顔を横から覗き込み、いたずらっぽく笑う遼平の脳天に、篤志が拳骨を食らわせた。
「いってぇな、冗談に決まってんだろ!? ガチになんじゃねぇよ!!」
「冗談でも、言っていいことと悪いことがある。お前もちゃんと叱れ、大海」
 目に涙を浮かべて抗議する遼平に構わず、篤志が言う。しかし、大海が彼らに感謝していることは紛うことなき事実だったので、遼平に謝罪を求める気は起らなかった。
 石垣へ渡ってしばらくの間、大海は不登校になっていた。自室に引きこもり、誰とも口を利かなかったので、精神状態がかなり危ぶまれていた。けれど、クラスメイトたちはそんな彼を見守り、根気よく回復を待ち続けたのだ。
彼が鬱病から復帰したきっかけは、甲子園大会の中継だった。初めは音声を聞くだけでも辛そうにしていたが、やがて食い入るように画面を見つめるようになり、ここに行かなくちゃ、と言って自ら素振りを始めたのだ。夏休み明けに転校先の中学校の野球部に入部した時、彼らは誓ったのだ。共に甲子園へ行き、優勝旗を持たせてやろう、と。
「でも良かった、みんな元気そうで。ボクはあの後すぐ東京に帰っちゃったから、心配だったんだ。特に、ヒロミくんのことがね」
「……ありがとう、ミオウさん。ご心配おかけしました」
 姿勢を正し、改まって頭を下げる。そんな彼を見て、美桜は優しく微笑んだ。
 美桜も、大海を気にかけ続けていた一人である。大切な家族を喪った者の悲しみは痛いほどわかっていたので、暇を見つけては彼と連絡を取り続けていたのだ。
「そういえば、今赤間島ってどんな感じなの?」
 ジョッキを置いて、美桜が顔を上げた大海に尋ねる。
「まぁ、少しずつ復興に向けて頑張ってる感じかな……」
 赤間集落と西(いり)集落、そしてエルシオンリゾートの開発エリアは壊滅的な被害を受けたが、幸い東(あがり)集落にほとんど影響はなかったため、人々はそこを拠点にして町の再建に取り組んでいる真っ最中だ。その中心になっているのは、生まれ島を愛してやまない海の男・宮城大悟である。
一方、聡美は大海が高校生になった後一人で赤間島へ戻って観光協会に就職し、現在は『人魚の歌が聞こえる島』『人魚によって津波による全壊を免れた島』として大々的にアピールして観光客を呼び、島の経済を回しているところだ。
「そういえばヒロミくん、この間名字変わったんでしょ?」
「うん! この度めでたく、与那覇大海になりました!!」
 叫びながらブイサインをすると、友人たちは彼に惜しみない拍手を送った。
 一喜は現在業務上過失致死傷罪によって石垣の刑務所に身を置いているが、天涯孤独になってしまった彼のことを想い、聡美が先日遂に彼の籍に入ったのだった。それによって、必然的に大海の名字も変わったというわけである。
「じゃあ、これで胸を張ってあの与那覇喜一の孫ですって言えるんだね」
「そう! まさにその通り!!」
「全く、あんたはホントにおじいちゃんっ子なんだねぇ。喜一さんとやらが羨ましいさぁ」
 会話に割り込んできた里栄子が、泡盛の一升瓶を彼の目の前に置く。ラベルの反対側には、サインペンで大きく彼の新しい名前が書かれていた。
「約束通り、キープしておいたからね。風車祭(カジマヤー)を」
「わぁ……! ありがとう、リエコおばあ!!」
 おばあにはまだ早いよ、ミオウさんみたいにマダムって呼びなと言いつつ、彼女はどこか得意げな表情だった。それは、赤間酒造が生産を再開したという報せを聞いてすぐ、彼のために仕入れたものであった。
「ああ、昔ボクを潰した島酒だね。懐かしいなぁ」
「そうそう、おじいがいっつも飲んでたやつ! 二十歳になったらここでこれを飲むんだぁ!」
 彼は既に十七歳で身長も百七十センチを超えているが、欲しがっていた玩具を与えられた子供のように喜んでいた。
「カジマヤーって、数え年九十七歳のお祝いのことでしょ? ……キイチさんも、やりたかったかもしれないね」
「うん。でも、いいんだよ。おじいの魂(マブイ)は、今もここにあるから」
 そう言って、左手を胸に当てる大海。
「そうだね……」
 美桜は、津波の日の前夜に喜一から三線を譲られていた。そのケースに触れながら、彼も今は亡き者に思いを馳せる。
「そういえば、今年の『決闘!甲子園』のテーマソングって、美桜さんが作曲してくださったものですよね。本当に素敵な曲で、私大好きなんです」
「あっ、あたしもー!」
 渚と真珠に言われ、ありがとう、と返しつつ照れ臭く笑う美桜。『決闘!甲子園』とは、その日行われた試合のダイジェストを放映する深夜番組のことである。
「ああ、私CD持ってるよ! これもサイコーだったさぁ!!」
 そう言って里栄子が持って来たCDのラベルには、『From the East Horizon』と綴られていた。背景には、水平線から昇る朝日の写真が使われている。
「買ってくださったんですね、ありがとうございます」
「ねぇミオウさん、良かったら今ここで弾いてくださらない!?」
「ええ、もちろん」
 店主の依頼を快諾し、美桜はギターを構えた。大海たちのみならず、他の客たちも拍手を送る。
 どんなに辛いことがあっても必ず夜は明ける、太陽はいつでも僕らを見守っている――そんな内容の歌詞だが、大海だけはその歌に込められたもう一つの意味を察していた。喜一のいる彼岸(ニライカナイ)が、東の海の果てにあるからだ。
 一曲だけの即席ライブが終わると、美桜は拍手喝采を浴びながら言った。
「どうもありがとう。みんな、開会式の日は仕事が入ってて行けないんだけど、スケジュールが空いたら絶対応援しに行くから。頑張ってね!」
「はい!!」
 部活中のように大声で返答すると、テーブルに料理が次々と運ばれてきた。
「さぁ、今日はボクのおごりだよ! いっぱい食べてね!!」
 空腹に耐え兼ねていた球児たちが、いただきますも言わずに一斉に食らいつく。そんな彼らを女子たちが咎め、美桜は楽しそうにその様子を眺めていた。

                   *

 太陽が強く照りつけている。観客席を埋める人々も出場者たちも、歴史的決戦を予感して胸を躍らせている。
 蝉の鳴きしきる中、開会式が始まった。入場曲のテンポに合わせ、各都道府県の代表チームたちが足並みを揃えて行進する。
「沖縄県代表、島(とう)南(なん)高校!」
 プラカードを持つ女生徒を先頭に、島南高校野球部の面々が現れる。大海は、入場行進をしながら那覇で交わした美桜との最後の会話を思い返していた。それは、彼をホテルまで送っていた時のことだった。

「ねぇ、ヒロミくん。甲子園が終わっちゃったら、次はどうするの? 新しい夢はできた?」
 その問いに、大海はこう答えた。
「具体的には決まってないけど、とにかく、環境破壊を食い止める仕事に就きたいなと思ってる。それに、動植物の命も守りたい」
「……それは、ティダヌファとして?」
「いや、そんなのは関係なくて、おれ自身の意志としてそう思ってるんだ。今はもう、あの時のことは半分夢だったんじゃないかと思ってるんだけど……でも、例え神罰じゃなかったとしても、人類はこれから環境破壊の報いを受け続けるわけでしょ? それは今からでも防ぐ努力をしないといけないし、これ以上見て見ぬ振りをして動植物たちを苦しめていくのも、やっぱり間違ってると思うから」
 もっと早く誰かがそうしてくれていたら、おじいたちがあんなことをする必要もなかったはずだから――口から出かけた言葉を、大海は既の所で飲み込んだ。
 自分たちの掴んだ真相を明かすべきか否か、彼は今でも悩んでいた。けれど、自ら津波に呑まれていった喜一や刑に服している一喜、懸命に復興に取り組んでいる母の流した涙を想うと、どうしても言うことができなかった。
 だから、せめて環境破壊やそれによって引き起こされる自然災害で苦しむ人々を救うために力を尽くそう、と彼は自らに誓ったのだ。
「そっか。じゃあ、甲子園が終わってもボクはキミを応援することができるんだね」
 歩を進めながら、大海の顔を見てウインクする美桜。
「ありがとう。ミオウさんも頑張ってね」
 うん、ありがとうと返すと、予約したホテルの看板が目に入った。
「じゃあね、ヒロミくん。今度はキミの二十歳の誕生日に来るよ。その時は、じんべえざめで一緒に風車祭(カジマヤー)を飲もうね」
「うん! でも、もう介抱してあげないからね?」
 そう言いながら握手をして、二人は笑い合って別れた。

 開会の挨拶が終わると、昨年の優勝校から優勝旗が返還された。それを持っていたのは、一年前に決勝戦で敗れた相手校の主将だった。その姿を見つめ、今年こそはと意気込む。
 スコアボードの日章旗が、東風(ひがしかぜ)に吹かれていた。


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