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小説「ニライカナイ」ー3

「ダイバーズナイフなんか、持ってきてるわけないじゃないですか!!」
 ホテルのロビーで刑事から取り調べを受けていたのは、山内友和だった。その隣には、口を噤んだままの友弥が座っている。
「私と息子のものは器材と一緒に船の上に置きっぱなしですよ、疑わしいなら島の駐在に調べさせてください!! 第一、私たちは八丈島から飛行機で来たんですよ!? 飛行機に刃物なんか持ち込めるわけないじゃないですか!! それに、私たちは一歩も部屋から外に出てないんだからそんな凶器買えやしないんですよ、なぁ、友弥!!」
 傍らの息子に聞いても、彼はコクコクと頷くだけだった。
「しかし、あなた方には動機が……」
 刑事がたじろぎながら反論すると、友和は更に語気を強めて言った。
「娘が殺された恨みから殺したとでも言うのですか、まだ事件なのか事故なのかもわからないのに!? もう我々の心をいたずらに傷つけるのはやめてください、刑事さん! まだ家族を喪った痛みも癒えていないんですよ!?」
 静かに泣き出した友弥を、強く抱きしめる友和。とうとう、刑事は何も言えなくなってしまった。
 ホテルのスタッフに監視カメラを調べさせると、確かに山内親子は部屋の外へ出ていないようだった。チェックイン前に被害者の部屋に入ったのは清掃スタッフの喜(き)友名(ゆな)朝(あさ)美(み)、チェックイン後に入ったのは被害者とその部下である新垣(あらがき)武(たけし)、そしてルームサービスのために訪れたホテルのスタッフである高橋(たかはし)慎(しん)吾(ご)だった。
「喜友名さん。清掃の時、不審なものは確かに何もなかったのですね?」
「はい、もちろんです。いつも隈なく清掃しておりますから」
 突然自宅から呼び出された小柄で気弱な中年女性は、足元を見つめながらコクコクと小刻みに頷いていた。
「喜友名さんの掃除は完璧だって評判がいいんですよ。ですから、間違いありません」
 そう言ったのは、ルームサービスを担当している高橋慎吾という長身の青年だった。
「高橋さん。あなた、金城辰成さんのスイートルームに行く前に、507号室にも行っていますね。しかも、金城さんの部屋を訪れた後も再びその部屋を訪問している。これは一体どういうことですか?」
 刑事が問うと、代わりに雅貴が答えた。
「僕が追加をお願いしたんですよ。ただそれだけです」
「はぁ……その割には、あなたは酔っぱらっていないように見えますが」
「その時はまだ、後輩の赤郷くんがお風呂に入ってましたからね。お互い入浴を済ませてから、乾杯しようと思ってたんです。僕の好きな日本酒しか頼んでないことに気づいて、慌ててノンアルのビールも注文したってわけですよ、刑事さん」
「はぁ……気楽なものですね、明日は記者会見だというのに」
 溜め息をつき、あからさまに嫌味な眼差しを向ける刑事。しかし、雅貴は一切動じなかった。
「だって、僕らは何も悪いことなんてしていませんから。ね、大海くん」
「は、はい……」
 急に名を呼ばれて、少し間を作ってしまった大海。
「それに、僕だって部屋から一回も出ていませんし、犯行時刻前後に僕がその場にいたことは高橋さんが証明してくれます。ね、高橋さん?」
 雅貴が見遣ると、高橋は黙って頷いた。
 当然、最も疑わしいのは辰成の部屋に出入りしていた彼だったが、彼の制服から被害者の血痕は検出されなかった。
「わたくしも、お風呂に入っていたのでその時間帯は部屋から出ていませんわ。監視カメラの記録を見ればわかることですが」
 眼鏡の位置を直しながら、聞かれてもいないのに無実を主張する聡子。
「そして、新垣武さん。あなたが入浴している最中に、被害者が殺されたということですね?」
「はい、その通りです。床に大量の血が流れていて、既に脈がなかったので、刑事さんたちをお呼びしました……」
 第一発見者である彼は、青ざめた顔で答えた。
「じゃあ、あなたのバスローブにも被害者の血がついているのは?」
「念のため、上司の口元に耳を近づけて、まだ息があるかどうかを確かめた時についたものです」
「なるほど。しかし、不可解なのはやはりこのダイイングメッセージのような数字ですね。一見、奇数と偶数に分かれているだけで何の意味もなさそうですが、被害者自身が刺された後に起き上がって書いたにしては筆跡が綺麗すぎる。まさかとは思いますが、これは加害者が書き残したメッセージなのかもしれませんね……」
 例の数字の羅列は、被害者の右手の人差し指によって書かれたように見せかけられている。なぜなら、指先に彼の血が付着しているからだ。しかし、刑事の言う通り、最期の力を振り絞って書いたにしては鮮明過ぎる。だが、犯人自身がそれを書き残すことに、一体何の意味があるのだろうか。
 参加者の一人が死亡してしまったため、当然、翌日の記者会見は中止となった。そして、ホテルには大勢のマスコミ関係者たちが押しかけてきた。ホテルにいる客が、SNSで広めてしまったらしい。
 経済産業省エネルギー庁幹部・金城辰成氏死去――翌日発行された各社の新聞記事の一面には、大きくそのように書かれていた。殺害の動機は息子の死によるものか、それともメタンハイドレート発掘か……見出しにはそのように記されており、世間を騒がせている。その記事には、大海たちと同じ船に乗っていた入江教授の姿もあった。彼は、このようにコメントしていた。
 あの海底遺跡は常世の国であり、そしてニライカナイである。沖縄では、複数のユタがそうであると確信しているらしい。ユタとは、沖縄の神々と通じているシャーマンである。彼らがそうだと言うのなら、きっと間違いないのだろう――と。

「総理!! 従姉妹島近海のメタンハイドレートの発掘を中止するというご意向にお変わりはないのでしょうか!?」
「やはり、先日経済産業省エネルギー庁の幹部が殺害されたことに関係があるのでしょうか!?」
 国会を終えた内閣総理大臣に、容赦なくマイクを向けて問い詰める報道陣。総理は煩わしそうな顔をして、黙ったままその場を去った。
 金城辰成氏殺害事件によって、世論は一層激しさを増した。貴重な史跡を残すべき、我が国のエネルギー輸入依存問題を解決すべく発掘を続けるべき――それぞれの考えを支持する団体が結成され、毎日のように国会議事堂の前でデモが繰り広げられるようになった。遂に睨み合いだけでは収まり切らず、互いに暴力沙汰を起こすようになり、警察が呼ばれる事態にまで発展してしまった。
 総理は、これ以上国民を混乱させないためだの一言以外何も発言していない。そして海底遺跡近海は、海上保安庁によって完全に封鎖されることになった。
 一方、辰巳と友花の二人は行方不明者として登録され、その件は事故として処理されることになった。辰巳の器材をセッティングした大海の過失を十分に証明するものが何も見つからなかったからだ。
また、船長である山内友和は業務上過失致死の罪に問われた。しかし行方不明になる寸前の彼らの様子を見ていたダイバーたちにより、彼の操船と実施されたダイビングは極めて安全なものだったこと、そして彼の娘こそ事故に巻き込まれた被害者なのだという主張が通り、情状酌量の余地を得た結果、書類送検だけで済んだのだった。
結局、金城辰成氏を殺したのが誰だったのかはわからずじまいになってしまい、そちらの捜査も打ち切りとなった。ようやく警察から解放された大海たちは、八月の中旬になってから、やっと那覇へ戻ることができた。事件が立て続けに起こったせいで夏休みの半分ほどが失われてしまったことに、遼平はスーツケースを転がしながら頬を膨らませていた。
「ったくよー、冗談じゃねーよなぁ! オレたちの夏休みを返せって感じだぜ!!」
「いいじゃないか、そんなことより大海が逮捕されなかったことを喜べよ。なぁ、大海」
「えっ……あ、うん、そうだね……」
 篤志に話しかけられたが、心ここにあらずといった様子で返す大海。
「どうしたの、ヒロミちゃん。浮かない顔しちゃって」
 顔を覗き込み、心配する真珠。その隣で歩いている渚も大海を不安げに見つめている。
「そうだ。ねぇ、みんな。気晴らしに、今度石垣へ潜りに行かない?」
 渚が提案すると、一同は一斉に彼女の方を見た。
「ほら、秋はマンタの繁殖期だし、きっとたくさん見れると思うの。だから、どうかなと思って……」
「いいな、それ! オレ賛成!!」
 真っ先に手を挙げて賛同したのは、遼平だった。続いて、真珠も名乗り出る。
「あたしも行きたーい!!」
「じゃ、二人は決まりね。篤志くんと大海くんと、波音はどうする?」
 それぞれに目配せして、渚は尋ねた。
「まぁ、どうせ暇だからな。せっかくの機会だし、行ってみるか」
「本当? じゃあ、大海くんは?」
「……うん、おれも行こうかな!」
 波音もそれに続いて頷き、じゃあ皆で九月に行こうね、と渚は笑顔で言った。
 しかし、大海はまだ悩ましい表情をしていた。あれは本当に事故だったのだろうか、金城辰成を殺したのは結局誰だったのか、そしてあの数字の羅列には何の意味があったのだろうか――そんなことばかり考えて、一人堂々巡りをしていた。
 順当に考えると、辰成を殺害できる人物はルームサービス担当の高橋慎吾と辰成の部下だった新垣武だ。しかし、後者はともかく、前者には被害者を殺害する動機がない。だが、仮に別の人間が犯人だとしても、新垣武に目撃される可能性の高い部屋の中で殺しをするのは、あまりにもリスクが高い。
それに、刃物で突き刺してしまえば衣服に返り血がつき、動かぬ証拠となってしまう。あまりにも愚かな行為だ。第一、凶器をダイビングナイフにしたところで山内親子に疑いの目を向けさせるには不十分過ぎる。それに、最近買ったものなら、都内のダイビング器材屋を調べればすぐ入手ルートがわかってしまうはずなのに――いくつもの疑念が浮かんでは消え、大海の脳を混乱の渦に陥れる。
 そんな彼を他所に、夏休みの真っただ中の那覇空港は、楽しげな声を上げる観光客で溢れ返っていた。


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