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小説「ユナイタマの島」ー9

 ランタンを掲げながら、二人で暗い山道を歩いた。ハブに咬まれないよう用心しながら登っていたが、幸いそれに遭遇することはなかった。
 山頂に辿り着いた時、満天の夜空に一筋の閃光が走った。天の川も見える。
「凄い……」
 まるで宇宙にいるかのような光景に圧倒されていると、東の方角から、地響きのように何者かの声が聞こえてきた。咄嗟に跪く波音。
「ヒロミ、私と同じ姿勢になって! 東(あがり)方(かた)大(うふ)主(ぬし)よ!!」
 やはりここも御嶽だったのか、と一人納得しながら彼女に倣う大海。

――来たか、ティダヌファ。そして赤間のユタよ。

「……初めまして。お話ししたいことがあって参りました、東方大主様」
 こんな言葉遣いでいいのだろうか、そもそも本当にこれは自分と神との対話なのだろうか。緊張と困惑で手が震える。しかし、頬を抓ると確かに痛むので、やはり夢ではないようだ。
「彼女と、ユナイタマから聞きました。島を守るために、おれの祖父が生贄を捧げていることを」

――ああ、そうだ。それがどうした?

「……何故、この島なのでしょうか? あなた様が、人間による傲慢な行いによってお怒りになっていることはわかります。けど、環境破壊が進んでいるのはこの島だけではないはずです。それなのに、どうしてこの島に天罰を下すのでしょうか」

――貴様がいるからだ、ティダヌファ。

「おれが……!?」

――ああ、そうだ。貴様が邪魔なのだ、ティダヌファ。貴様はティダから特別な力を与えられ、そして守られている。我々が下す罰から、次々と人間を救い出してしまう。それでは罰を与える意味がない。人間を悔い改めさせることができなくなってしまう。だからこそ貴様が目覚める前に津波を起こし、この世から消し去ってしまいたかったのだ。それなのにティダが余計なことをして、ユナイタマを通して貴様の祖父に津波を食い止める術を教えてしまったのだ。ああ、なんと忌々しい。

「……でも、真実を知ってしまった以上、おれはおじいを止めなくちゃいけない。そして、津波も引き起こして欲しくないんです。東方大主様、何か方法はありませんか。人身御供をせず、津波も発生させない方法は本当にないのでしょうか!?」

――愚か者めが。言っただろう、人間に罰を与えるのが我々の役目なのだ。生贄を差し出さぬのならば、容赦なく貴様らの島を壊滅させる。

「そんな……」

――何もかもが手遅れなのだ。人間は文明を発展させ過ぎた。そして、奴らの暴走はこれからも続いていくことだろう。奴らが我々を忘れても、我々は奴らの罪を全て見ている。奴らは森を壊し、海と空を穢し、生き物たちの命を無情にも奪っていった。我々は、その罪を見過ごしてはならない。我々の創り上げた楽園を守るために、奴らに罰を下さねばならぬのだ。

「……どうしても、ダメなんですね」

――当然だろう。むしろ、感謝して欲しいくらいだ。このまま自然を蝕み続ければ、貴様ら自身もいずれ生きていけなくなるのだぞ。我々だけではなく、世界中の神々がこれからも貴様らに罰を与え続けることだろう。

「…………」

――もう、話すことなどない。時間の無駄だ、去れ!!

 最後に怒号が轟くと、夜に静寂が戻った。波音が立ち上がり、膝に付いた土を払う。
「……無駄足だったわね、ヒロミ」
「うん……」
 俯き、何もない足元を見つめる。そんな彼の背中に、波音が優しく触れた。
「東方大主が私たちに怒っていることはよくわかったわ。でも私、ティダは人間のことが好きなんじゃないかと思う。あなたを使者としてこの世界に誕生させたり、人魚に島を守る方法を教えたりしたのが何よりの証拠じゃない?」
「ハノン……」
「こうなったら、せめて島の人たちの命だけでも守りましょう。どんなに大きな津波でも、ここに来ればきっと助かるわ」
「……うん。そうだね……」
 力なく答える大海を励ますように、波音はその肩を抱いた。
「考えましょう。これから、どうすべきかを」
 東の水平線を見つめながら、黙って頷く。空は、既に白み始めていた。

                   *

「そうか……そうだったのか」
「大変だったね、ヒロミくん。話してくれてありがとう」
 美桜に肩を叩かれ、大海はこくりと頷いた。篤志も、美桜に倣って彼を慰める。
「ところで、頭痛はもう大丈夫なのか?」
「うん、ありがとう。心配かけてごめんね」
 波音から全てを明かされた夜以来、カミダーリは起こらなくなった。つまり、ティダヌファとして完全に覚醒したということだ。しかし、どうやらカミダーリが終わるとティダの声も聞こえなくなってしまうようで、あれから大海がそれを聞くことはなくなった。
 三人は篤志の自室に集い、四角いローテーブルを囲んで座っていた。作戦会議を自宅や宿でやらない方がいいと考えてのことだった。西日に照らされながら、カーテンがはためいている。
「あのさ、二人とも……今更だけど、こんな話、本当に信じてくれる?」
「馬鹿、当たり前だろう。島民の命がかかってるんだぞ」
「ヒロミくんこそ、よく受け入れられたね。キイチさんに罪を認めさせるなんて、そんな辛いこと本当にできるの?」
「……いや、やらなきゃダメなんだ。どうしても、絶対に」
 思わず目を逸らし俯いてしまったが、顔を上げ、己に言い聞かせるように答える。
「しかし、勝算はあるのか? 証拠がなければ、事故だったという事実を覆せないじゃないか」
「そう。だからね、二人の考えを聞きたいんだ」
 三人寄れば文殊の知恵って言うからね、と少しはにかみながら付け足すと、美桜と篤志も表情を和らげた。
「そうだね。頑張ろう!」
「ああ。……ところで、あそこまで探して見つからないとなると、結局須崎の体はどこへ行ったんだ? まさか、海じゃなくてどこかに埋めたとかじゃないだろうな」
「いや、それはないと思う。そんな時間はなかったし、海の方が絶対に見つかりにくい。おれは、そもそもあの辺りで落ちたんじゃないと思ってる」
 須崎ほどの経験豊富なダイバーなら、余程のことがない限り船から落ちるということはないだろう。その上、彼がウェットスーツを着たままだったことを踏まえると、殺すつもりで突き落としたという説は考えられない。何故ならウェットスーツには浮力があり、それさえ着ていれば即座に溺れ死ぬことはないからだ。つまり、通報した地点で落下したという自供そのものが嘘である可能性が高いということになる。
「じゃあ、潜ってる最中に殺して、そのまま海の底に沈めたってことかな。そうなると、話は根本から変わってくるね」
「有り得る話だな。周囲に誰もいないなら、殺しには持って来いのシチュエーションになる」
 美桜は立てた右膝に手を添えながら、篤志は右手で頬杖をつきながら言った。
「目撃者がいないのはいいんだけど、問題は殺し方だよ。須崎さんのレベルは相当高かったはずだから、マスクが取れるとかタンクのバルブを閉められて息ができなくなるとか、その程度のことでパニックにはならないと思うんだよね」
 バルブとは、言わばタンクにおける蛇口のようなものである。バルブが開いていればタンクの中の空気を吸えるが、途中で閉められたら当然呼吸はできなくなる。しかし、経験豊富なダイバーなら落ち着いてBCDを脱ぎ、自らの手でバルブを開けることができる。もしくは、咄嗟に一喜の予備の呼吸器を奪うことも可能だっただろう。仮にマスクが取られても、視力が悪くなければそのまま辺りは見渡せる。
「じゃあ、ダイビングナイフで襲いかかったとか?」
 美桜が言うと、大海は即座に否定した。
「それも考えにくいよ。抵抗されたら危ないし、下手すれば自分の体に刺さるかもしれない。マンタを助けた時のおれみたいに」
「血を出せばサメが寄ってくるしな」
 そっか、と呟き、美桜は小さく溜め息を吐いた。床を見つめて、そのまま思案する。
「だからさ、須崎さんに気づかれなくて、かつ確実に死なせる方法で殺したと思うんだよね。例えば岩田さんたちみたいに、無味無臭の毒が入った水を飲ませるみたいな」
「やはり須崎も毒で殺されたのか……」
「でもアツシ、ダイビング前にそれを飲んでくれるとは限らないよね? 岩田さんたちの時は、魂を浄化させるための聖水だって言って飲ませたみたいだけど」
「潜る寸前でなければ都合よく海で死んではくれないから、タイミングが厄介だな」
「…………」
「……どうしたの、ミオウさん。ちょっと顔色悪いよ?」
 しばらく黙り込んでいた美桜は、何か恐ろしいことに気づいてしまったような表情で固まっていた。
「ヒロミくん……世の中の毒っていうのはね、何も液体や固体だけじゃないんだよ」
「えっ……」
「……まさか、毒ガスをタンクに!?」
 瞬きを忘れて、篤志が美桜を凝視した。唇を少し震わせながら、美桜は続ける。
「覚えてる? 勉強会の日に、タンクを充填してる音がしたっていう話」
「じゃあ、それって……!!」
「つまり、その時に毒ガスを仕込んだのか!」
 コンプレッサーを作動させると激しい音が出るので、敷地内のみならず、近隣の家にも響いていたはずだ。美桜だけではなく、近所の住人たちからも証言が得られるかもしれない。
「ヒロミくん。サトミさんがバーベキューの用意をしてくれたのって、もしかしてサトミさん自身が言い出したからなの?」
「うん、そうだけど……」
 バーベキューセットと木炭が届いた日に、準備はするけれど片付けは自分たちでしろと言われたことを大海は鮮明に記憶していた。しかし改めて考えると、勉強会の日は須崎を迎えるための準備で忙しかったはずなのに、何故大海にも美桜にも頼まず率先してやったのだろうか。
「ここからはボクの推測だけど……もしかして、もう既に木炭をいくつか使っていたことに気づかれたくなかったからじゃないかな」
「なるほどな。まだ開けられていないはずの段ボールが開いていたら、誰だって不審に思うだろう」
「えっ、ごめん、つまりどういうこと!?」
「……つまり、あの木炭は凶器だったんだよ。一酸化炭素を作るための」
 事故や自殺のニュースでよく聞かれる一酸化炭素中毒は、大気中に占める割合が僅か〇・〇二%に達しただけで発症する。水圧によって空気も圧縮される海中では、一息で吸う空気の量は地上よりも多くなる。そんなタンクの空気を小一時間も吸い続ければ、潜水中に死に至ることは容易に想像できる。しかも一酸化炭素は無味無臭なので、途中で気づかれることもなかったはずだ。
「そんな……お母さん、おれを元気づけるために買ったって言ってたのに……!!」
「ヒロミくん、とても言い難いけど……サトミさんもきっと、共犯者だよ」
 実の母も共犯者。その事実に、大海は絶望の淵へと突き落とされた。しかし今思えば、頑なにスマートフォンを貸そうとしなかったのも、パスワードまで設定していたのも、SNSで自殺願望者を誘っている形跡を目撃されたくなかったからではないか。恐ろしい疑惑が浮上し、身震いが止まらなくなる。
「だが、一酸化炭素入りのタンクを見つけない限り、この説も水の泡になってしまうな……」
「そう。だから、まずはタンクの本数を確認した方がいいと思うんだ。ボク、ショップの大掃除をしてた時にタンクの管理ファイルを見たことがある。だから今日の深夜に、ボクとヒロミくんで所持しているタンクが全部揃っているかどうか確認しよう。もし一本少なくなっていれば、それは遺体と共に海に捨てられた一酸化炭素入りタンクで間違いないと思う」
「それが確認できたら、きっと警察や海上保安庁がタンクを探してくれるはずだ。俺が夜中に家を抜け出すのは難しいし、その上不法侵入になってしまうからな……頼んだぞ、大海。美桜さんも、よろしくお願いします」
「うん。任せて」
 差し出された篤志の手を取り、強く握り返す美桜。大海も我に返り、二人の手の上に自分のものを重ねた。

 その日の晩、大海と美桜は寝床を抜け出し、ダイビングショップに侵入した。島人たちに施錠の習慣がないことを、この時ばかりは感謝した。
 ガラス戸を開けてショップの正面から入ると、左手には受付兼事務作業場となっているスペースがあり、机にはパソコンとコピー機、そしてラミネーターが置かれている。右手にはゲストと談話するためのスペースが設けられていて、そこには壁掛けテレビとダイニングテーブル、そして椅子があった。
 右手奥には器材置き場のドアがあり、その横には物置きのドアがある。美桜は後者を開け、懐中電灯で本棚を照らし、タンクの管理ファイルを持ち出した。そしてコンプレッサー小屋へ向かい、そこで一つずつタンクの刻印を確認し、一覧表と照らし合わせていく。
「……ない。やっぱり一本足りないよ、ミオウさん」
「そっか。つまり、予想通りだったってことだね……」
 取り敢えず、証拠写真を撮っておこうか。そう言って、美桜は一覧表とそれぞれの刻印をスマートフォンで撮影していく。
 次の問題は、喜一とどこで話し、そしてどのように説得するかだ。そして、津波から島民を守るための手段も具体的に考えなければならない。
「でもさ、結局のところ、一酸化炭素入りのタンクが見つからなければキイチさんを問い詰めることはできないってことだよね。決定的な証拠がない限り、いくらでも言い逃れはできるわけだし……」
 確かに、彼の言う通りだった。タンクが一本少ないという事実は、一酸化炭素中毒による意図的な殺人説を支える根拠には成り得るものの、実物がなければ犯行の証明はできない。
「そっか……これだけじゃ、何にもならないってことだね」
「でも、前の時とは違って今度は犯人が誰なのかはわかってる。だから、他にもできることはあるよ」
「できること?」
「具体的に言えば、現行犯逮捕……かな」
 一瞬、息が止まった。いつもより低いトーンで話す真剣な表情の美桜が、暗闇のせいで余計恐ろしく見える。
「現行犯って……」
「宿のカレンダーに書いてあったじゃない、来週エルシオンリゾートジャパンの社長がここに来るって」
 ほら、ここにも。美桜がダイビングショップの壁掛けカレンダーを照らすと、それにも同じ予定が記されていた。
「満月の日より一週間早いけど、島民は後回しにするだろうし……可能性は、高いと思う」
「う、うん……」
 冷静に語る美桜とは反対に、大海の心拍数は上がる一方だった。呼吸は早く浅くなり、視線はどんどん下がっていく。
「……ヒロミくん、そんな顔しなくて大丈夫だよ。ボクたちがついてるじゃない」
 不安そうな表情をしていた大海の肩に手を乗せ、ウインクをする美桜。
「ありがとう。ミオウさんがいてくれて良かった」
「おっ、嬉しいこと言ってくれるねぇ!」
 わしゃわしゃ、と犬とじゃれ合うように赤い髪を掻き回す。兄がいたらこんな感じなのかな、と思いながら大海は彼の温もりを感じていた。


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