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小説「ユナイタマの島」ー7

 人魚の謎も事件の真相も解き明かされないまま、大型連休は幕を下ろした。体験ダイビングのブログは読者に好評だったが、残念ながら予約に直結することはなかった。
学校にいる間、大海は波音の様子をさり気なく観察していたが、特に大きな変化は見られなかった。普段通り無言で学校生活を送り、渚や真珠と手話で楽しそうにお喋りをしている。
 しかし、気を抜くことはできない。一月から四月まで、満月の夜に事件は必ず起きているのだ。五月も間違いなく、ネットで誘われた自殺願望者が来島して殺されるに違いない――そう信じて大海と美桜、そして篤志は毎晩SNSを確認していたが、それらしきやり取りは何一つ見つけることができなかった。
「どうしよう、満月の日まであと一週間くらいしかないのに……」
 疲れ果てた大海は、自室のベッドで仰向けになりながら篤志と電話をしていた。網戸の向こうには、上弦の月が浮かんでいる。
「なぁ、大海。今更だが、犯人はもう同じ手口を使わないんじゃないのか?」
「えっ……!?」
 驚きのあまり、思わずガバリと起き上がる。
「三月までは謎の行方不明事件のままで済んだのに、四月の岩田さんは遺体が見つかってしまったせいで、毒が盛られていたことがわかっただろう。警察は自殺だと断定してしまったが、他殺を疑っている人間が俺たちの他にもいるかもしれない」
「そ、そうだよね……」
 そういえば、入水自殺で毒が検出されるのは不自然だと美桜も言っていた。
「例えば、今までの犠牲者の遺族たちだ。岩田さんの母親が県警に再捜査を何度も頼み込んでるっていうネットニュースがあっただろう? それに感化されて、他の犠牲者の遺族も訴えかけてるっていう話だ」
「えっ、そうなの!?」
「なんだ、知らなかったのか。まぁ、島にまだ刑事は来ていないから、県警は再捜査に乗り気ではないんだろう。だが、また同じ方法で誰かを誘き寄せて同じ毒を飲ませて殺し、その遺体が再び発見されれば、流石に動き出すんじゃないのか?」
「全く関係ないはずの自殺者たちが同じ毒で死んでたら、やっぱり不自然だもんね」
「違う毒でも、五回連続で満月の夜に行方不明者が出れば、これは何かあるんじゃないかと誰だって考えるだろう」
「じゃあ、次は満月の日じゃないかもしれないってこと?」
 寝返りを打ち、月から目を逸らす。
「いや、それはないと思う。そのルールには何かしらの意味がある可能性が高いから、犯人が自ら破るということはないはずだ」
「うーん……何で満月じゃないとダメなんだろ?」
「それはわからないが、勉強会の日はとにかく波音の潔白の証明を最優先にすべきだ。あいつが人殺しかもしれないなんて、いつまでも疑いたくないからな」
「だよね……一応、SNSの監視も続けようかな。寸前に動きがあるかもしれないし」
 大海が独り言のように呟くと、玄関の呼び鈴が鳴った。お届け物です、という声が外から響く。
「大海、ちょっと出てくれない!?」
 台所から、聡美が叫んだ。どうやら手が離せないらしい。
「ごめんアツシ、宅急便来ちゃったから切るね!」
「ああ。また明日な」
 階段を駆け下り、子機を戻してからドアを開ける。届いたのは、バーベキューコンロと大量の木炭だった。
「お母さん、どうしたのこれ?」
「ああ、それね。夏になったら庭でバーベキューしようかなと思って、宿用に買っておいたの。いいでしょ?」
 まだ予約台帳は真っ白なのに悠長なことを言っているなと大海は思ったが、口には出さないでおいた。
「そうそう、今度みんなでお泊り勉強会するんでしょ? その時に使ってもいいわよ」
「えっ、本当!?」
 その一言で、大海の表情は瞬時に明るくなった。テレビでしか見たことのない憧れのバーベキューを、クラスメイトと楽しむことができる。想像しただけで、大海の胸は躍った。
「……良かった。やっと笑顔になったわね」
「え……」
 息子の頬を指で突いて、聡美は微笑んだ。
「最近、ずっと暗い顔してたのよ。気づいてなかった?」
 どうやらこの注文は宿のためではなく、大海を元気づけるためのものだったようだ。
「そりゃそうよね。気味の悪い事件がたくさん起きれば、誰だって不安になるわ」
「お母さん……」
「せっかくの機会なんだし、事件のことは忘れて思いっきり楽しみなさいよ。準備はしておいてあげるけど、片付けはみんなでちゃんとやりなさいね」
「うん。ありがとう!」
「さて、そろそろご飯にしましょ。悪いけど、それ倉庫にしまってからおじいちゃんと一喜さん呼んできてくれる?」
 わかった、と言って段ボールを抱え、裏口にある倉庫へ向かう。台所からは、食欲のそそられるゴーヤーチャンプルーの匂いが漂っていた。

                   *

「ヒロミーっ、来たぜー!!」
 遼平の上機嫌な声が響いたのは、三時過ぎのことであった。慌てて玄関を飛び出し、門まで迎えに行く大海。
「みんな、いらっしゃい!」
「おじゃまします! 見て見てヒロミちゃん、お野菜いっぱい持って来たよー!」
「オレは肉持って来た!」
「私はパイナップル。獲れたてだよ」
「俺は飲み物を一通り……」
 抱えてきた段ボールや袋の中身を見せ合う彼らは既に楽しそうで、バーベキューが待ち切れないようだ。最後に波音が差し出したのは、タッパーの中に所狭しと詰められている大量のおにぎりだった。醤油で味付けがされてあるので、他の具材と共に焼くつもりらしい。
「わぁ、凄い! ありがとうみんな、重かったよねぇ。初めまして、ジャン・ミシェル美桜です」
 遼平たちの来訪に気づいた美桜が、大海の背後から現れて名乗った。
「わっ、本物!? 画面で見るよりイケメンじゃーん!!」
 真珠が興奮気味に食いつき、何故か荷物を置いて握手を求める。それに快く応えながら、爽やかな笑顔で挨拶する美桜。
「みんな、今日はボクも仲間に入っていいかな?」
「ええ、もちろんです。こちらこそよろしくお願いします」
 渚に倣って、篤志と波音も会釈した。
「ありがとう、よろしくね。因みに、サトミさんから今日のお泊り勉強会の責任者になるように言われてるから、火元の管理だけじゃなくて、ちゃんと勉強してるかどうかもチェックするよ。頑張ってね?」
「げぇーっ、マジかよー!!」
「そんなぁー!!」
「遼平、真珠。本来の目的を忘れるな、現実を見ろ」
「そうだよ、今日こそちゃんとやらなくちゃ」
 勉強が苦手な彼らに苦言を呈するのは、いつも篤志の役割である。その傍らで、渚が微笑みながら追い打ちをかけるのもクラスの日常だ。
「まぁ、とりあえず上がって! お肉とパイナップルは冷やしておこうか」
 大海が促し、全員が与那覇家に入った。台所に食材を置き、宿の居間に集まって教材を広げる。
「ねぇ、ヒロミくん」
 皆がお喋りをしながら準備をしている最中に、美桜がさり気なく大海に話しかけた。
「なに? ミオウさん」
「いや、ちょっと気になったことがあってね。ヒロミくんたちが学校に行っている間、コンプレッサーが動いてたんだよ。今日は誰も潜らなかったからタンクは全部充填されてるはずなのに、何でだろう?」
「うーん……しばらく使われてなかったから、空気を入れ替えてたんじゃないかな? 今夜ナイトダイビングするし、何か月も前の古い空気をわざわざ吸いたくないでしょ?」
「ああ、なるほど。それもそうだねぇ」
 美桜が納得すると、タイミングを見計らっていたのか、真珠が大海に尋ねてきた。
「ねぇねぇヒロミちゃん、今日ってもしかして貸し切りなのー?」
「あ、そうだ、みんな聞いて。申し訳ないんだけど、今日は一人だけお客さんが泊まりに来るから、十時には絶対寝るようにお母さんから言われてるんだ。ごめんね」
「なぁんだ、つまんねぇの!」
 ぼやく遼平に、隣の篤志が拳骨で頭を叩いた。
「仕方ないだろう、ここは民宿なんだぞ」
「そうだよ、遼平くん。でも珍しいね、平日に来るなんて」
「ああ、それはね……」
 やって来るのは、てぃだぬかじの常連で水中カメラマンの須崎義彦である。目的は、珊瑚の産卵だ。五月の満月の夜が狙い目で、大量のピンク色の粒が真っ暗な海に放たれるその幻想的な光景から、サマースノーという別名もつけられている。
「さぁ、そろそろ始めようか。今から六時まで、私語は厳禁。ただし、わからないところを聞くのはOKです。ボクはここで楽譜書いてるけど、気にしないでね」
 美桜が号令を出すと、彼らは一斉に勉強に取りかかった。筆記用具とノートが擦れる音、ページを捲る音、そして扇風機の音だけが居間に響く。しかし、十分もしないうちにその静寂は途絶えた。
「っあーもう、できねぇよこんなの!!」
「あたしもムリー、全然わかんなーい!!」
 苦虫を噛み潰したような顔で教科書とノートを睨みつけていた遼平と真珠が、二人同時に音を上げた。それに動じず、篤志と渚が横から指導に入る。どうやら、初めからこうなることを見越した上で隣の席についたようだ。大海と波音はそんな彼らを横目に、ひたすら問題を解き続ける。
 ふと時計を見ると、既に一時間が経過していた。さんぴん茶の補充でもしようと思い、立ち上がる大海。すると、外から車のエンジン音が聞こえた。聡美が空港から戻って来たようだ。
「はぁー、疲れた! 長い道のりだったなぁ!」
 続いて、久しぶりに聞く須崎の大きな声も耳に入った。クラスメイトたちも、視線を思わず縁側の向こうの車に向ける。半袖のシャツと半ズボンからは、剛毛の短い手足が飛び出していた。
「誰だよ、あの太ったハゲのオッサン」
「遼平!!」
 大海は彼を黙らせてから、縁側でサンダルを履いて須崎のもとへ駆け寄った。
「お久しぶりです、須崎さん」
「よぉ、大海くん! 今日はお友達と勉強会なんだって!?」
「はい、すみません。でも、ご迷惑にならないようにしますので」
「当たり前でしょ、僕はお客様なんだから! 頼むよ、ホントに!」
 サングラスを外し、釘を刺すように言う。直後、噛んでいたガムを大海の足元に吐き出した。
「何ボーっとしてんの? 運んでよ、僕の荷物」
「あ、はい。すみません」
 玄関には既にスーツケースとダイビング器材の入ったメッシュバッグ、そして水中カメラが置かれていた。いずれも、高級なブランド品である。
「気をつけてよね。僕の器材は、君たち家族じゃ弁償できないくらい高価なんだから」
「……はい。もちろん」
「須崎さん、お待たせしました! お部屋にご案内しますね」
 バンを駐車場に停めていた聡美が戻り、須崎を玄関に入れる。
「ねぇ、奥さん。最近、この島で人魚の歌が聞こえるっていうのはホントなの?」
「ああ、はい。時々海の方から不思議な歌声が響いてきて、そうなんじゃないかって噂されてますね」
「ほらね、やっぱり僕が撮ったのは人魚だったんだよ! 合成だ何だって言われて腹立ったからさ、今度こそちゃんと捕まえて証明してやりたいんだよねぇ!!」
 二人の会話を小耳に挟みながら、器材とカメラをショップの倉庫に運ぶ。ついでに吐かれたガムを処理してから居間に戻ると、早速遼平が大海の心の声を代弁してくれた。
「んだよ、あの偉そうなちょび髭ハゲジジイは!!」
「ホント、人を見下すなんてサイテー! ちょー気分悪いんだけど!!」
 続いて真珠も、舌を突き出して不快感を訴える。篤志と渚が保護者のように彼らを黙らせようとしたが、大海は少し嫌な気分が解れ、二人に感謝した。
「ヒロミくん、お疲れ様。よく頑張ったね」
「……うん。ありがとう」
 美桜に頭を撫でられ、ようやく怒りが静まる。しかし、彼はどこか不安げな表情を浮かべていた。
「でも、ちょっと心配だね。あの人、本気で人魚を捕まえるつもりなのかな」
「わからない。でも一週間泊まるみたいだから、本当に何かするかもしれないよ」
「おいおい、あんな奴と一週間も一緒なのかよ!? オレんち来るか、ヒロミ!」
「ありがとう、リョウヘイ。でもまずは、テストを乗り切らないとね?」
 お前までアツシみてぇなこと言うんじゃねえよ、と遼平が嘆く。そんな彼を見て、皆笑い合う。さぁ気を取り直して、と美桜が号令をかけ勉強会が再開されると、瞬く間に庭はオレンジに染まっていった。
「よし、勉強はここまで! お待ちかねのバーベキュータイムだよ!!」
「よっしゃあ! 待ってたぜこの時を!!」
「あたしもうお腹ペコペコー!」
 ガッツポーズをした遼平、座椅子にもたれ天井を仰ぐ真珠。大海は勉強道具を片付けながら、美桜と篤志にさり気なく目配せをした。合図を受け取り、二人も頷く。
 三人は、波音の動向を監視するための作戦を事前に打ち合わせていた。大海と篤志は彼女の行動を常に観察し、美桜は時折スマートフォンでSNSを見張るという役割分担をしている。しかし、バーベキューの最中に抜け出したりターゲットと連絡を取り合ったりする可能性は極めて低い。警戒すべきは、就寝時間を過ぎた後である。
 楽しい時間はあっという間に過ぎ、リュウキュウコノハズクが鳴き始めた頃、彼らは男子と女子に別れてそれぞれの部屋で床に就いた。美桜は自室で休む振りをして、音を立てないよう気をつけながら居間に戻る。そこでなら、誰かが玄関から出入りすればすぐにわかるからだ。もし波音が宿を抜け出したら、大海と篤志を起こして三人で御嶽へ向かう手筈になっている。
 しかし、日付が変わっても波音が姿を現すことはなかった。代わりにヘリコプターの轟音が突如夜の静寂を破り、美桜は慌てて庭に飛び出し空を見上げた。どうやら、島の北側の海へ向かっているようだ。
「ミオウさん! これ、ヘリの音だよね!?」
 異変に気付いた大海と篤志が、駆け足で美桜の傍へやって来た。
「うん、そうみたい。海で何かあったのかな……」
「……なぁ、二人とも。聞こえないか、人魚の歌」
 篤志に言われて口を噤むと、確かにそのメロディーが聞こえてきた。ヘリコプターが向かった方角からだった。
「大海、もしかして……伯父さんの船で、何かあったんじゃないのか」
「…………」
 胸騒ぎがした。
 珊瑚の産卵が見られるポイントも、同じく北側にある。そして夜中にヘリが来るとすれば、それは海上保安庁による海難事故への出動である可能性が高い。
「カズキさん……どうして……」
 声を震わせ、泣き崩れる大海。
 事の全貌が明らかになったのは、翌朝のことだった。須崎義彦が、ビーチに戻る途中で海に落下したそうだ。器材は船に残されており、彼が身に着けていたのはウェットスーツのみであった。一喜による通報で捜索はすぐに行われたが、結局彼が見つかることはなかった。一喜は警察の任意同行を受け、取り調べのため石垣島にある八重山警察署へ連行された。
 警察はそれを海難事故と見做したが、大海にだけはそれが意図的な殺人であることがわかっていた。つまり、岩田が葬られた夜に大海の意識を失わせたのは一喜だったということだ。だが、証拠は何一つない。殺人事件であることを立証するためには、少なくともその手段を暴く必要がある。
 しかし、真相を突き止めたところで何になるというのだろう。須崎がこのまま見つからなければ、戸籍法八十九条によって三か月ほどで死亡認定がなされ、一喜は業務上過失致死傷罪に問われる運命だ。その前に、てぃだぬかじの廃業を余儀なくされるのは火を見るよりも明らかである。わざわざ一喜を殺人犯に仕立て上げたところで、家族にとっては何の利益もない。
 ショックのあまり、大海はその日から学校へ行けなくなった。一日中部屋に閉じ籠り、美桜やクラスメイトたちが見舞いに来ても顔を出そうとしなかった。
「大海。ちょっといい? 大事な話があるの」
 一週間後の夜、聡美が遠慮がちに彼の部屋のドアを叩いた。
「島を出ましょう。てぃだぬかじは閉めて、夏休み中に私の実家に引っ越すことにしたわ。本当のおじいちゃんとおばあちゃんが、あなたに会いたがってるのよ。だから、そのうちみんなと、ちゃんとお別れしなさいね」
「…………」
 大海は、ベッドに蹲りながら黙ってそれを聞いていた。
 下弦の月が、淡く夜空を照らしていた。


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