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小説を書くため会社を辞めるって無謀じゃね?

小説を書こうと決心したとき、まず始めたのが貯蓄。
会社に退職を申し出て、本当に辞めたのはその2年後だった。
会社を辞めなくても小説は書けるのではないかと思う。でも、私の場合、10時出勤で10時退社が当たり前。深夜の最終電車も珍しくなく、徹夜もありで、土日も頻繁に出勤していた。だから、このペースを落とすということは、退職するしかなかったのである。今でいうブラックだが、当時は当たり前だった。
仕事が遅いから業務が長くなるという批判があるかもしれない。全否定はしない。その時の私は中間管理職で、日中は社内業務の営業管理や人事やクライアント対応など様々な雑務に臨機応変に対応しなくてはならず、レポートを落ち着いて書けるのは夜か土日だった。電話やメールが来なくなる夕方6時からが、一人のコンサルタントとしてプロジェクトに向き合える時間だった。レポートを書いていると、あっという間に夜10時を回ってしまう。年俸制だったので残業はし放題だった。
体力的にはしんどかったが、プロジェクトの仕事事態は遣り甲斐があり面白かった。関わったプロジェクトは、農村開発、電力、道路、水、医療など多様で、対象国はアジアや中東、アフリカと多岐にわたった。私の担当は社会経済分析や流通改善で、現場を歩きまわって情報を集め、それをまとめた。相手国の担当者や住民と一緒に活動する開発プロジェクトは国際協力の醍醐味で、大変であっても、それが相手国のためになると思えば苦にならなかった。
結局、私は正社員を辞めて、プロジェクト・ベースで契約する嘱託社員として再雇用された。会社の管理職業務などはせず、日本にいるときは自宅勤務というスタイルである。会社を辞める理由は誰にも話さなかった。言っても「バカじゃないの?」と思われるだけだ。当時の社長は「小説が書きたいんだろ」と見抜いていたようだが……。
嘱託社員になってからも、年間半年の海外業務は変わらなかったが、日本にいるときは比較的時間が自由になったので、それを小説の執筆に充てるようになった。

会社の正社員を辞める理由は時間の確保だけではなかった。
会社員がモノを書くということが容認されるようになったのは、たぶん、ここ10年だと思う。特に国際開発コンサルタントには「守秘義務」という倫理規定があり、業界に入ったときに厳しく指導された。私はブログを書いていたが、細心の注意を払い、国名は明かしたもののプロジェクトの内容がわからないように気を配っていた。何かあったとき、会社に迷惑が掛かるようなことは避けたかった。
個人の身分で書く。
それが礼儀だと思った。
現在、私はほとんど国際協力の仕事をしていない。母の高齢化が一番の理由だが、2013年に成立した「秘密保護法」が心理的にストレスとなり、徐々に仕事を減らしていった。何が秘密かもわからないのに、たまたま知ってしまって誰かに話したら罰せられる可能性がある。秘密保護法の内容は「~等」などの表現があり、明確に抵触をどうすれば避けられるかわからない。当時ツイッターが盛んだったら「#秘密保護法に反対します」と言いたかった。

書くことが怖かった。それでも、私は小説を書きたかったし、書くべきだと思っていた。日本のODAは内部からの情報がほとんど外に出ない。全てを礼賛する政府広報と体温の感じられない報告書か、全てを否定するマスメディアばかりだ。このままでは、両極端の情報しか歴史に残らないのではないか。でも守秘義務があって事実は書けない。ならば、様々な情報を織り混ぜながらフィクション小説として描こう、と思った。

「小説家失格」を言い渡されてからの書かなかった数年間で、私の書きたいテーマも変わっていった。以前はODAを書くなどタブーだった。でも、時代は流れ、ODAに携わってきた者として書ける人が書かなくてはいけないと思うようになった。書ける自信があった。国際協力業界で書けるのは私しかいないと思った。

こうして再び小説に立ち向かうのだが、道はそんなに甘くない。
続きはまた明日。

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