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ゆたかさって何だろう #1

ずっとずっと、このことを考えながら生きてきた。

経済について初めて意識したのは「人食い波」と記憶している1973年のオイルショック。
食卓からおかずか消えて、漬物だけになった。
食材の変化は子供だった私の脳裏に刻まれた。
母は呑気で、トイレットペーパーの買いだめに走ることもなく、淡々と食事を用意していたが、父は得意先が倒産したことと、頭を下げてカセットテープレコーダーを支払いの代わりに置いていったことを話してくれた。

経済危機で食卓が変わり、取引がバーターになったという光景が、小学生の私の気づきにつながり、当時女性が少なかった経済学部へ進学したきっかけになった。
しかし、大学2年の時に父が急逝して、再び私は経済について考えさせられる。

それまで貧しくて不幸だと思ったことはなかった。父は子供に経済的苦労を見せたくなかったのだと思う。「英語を習いたい」と言う私に「英語なんて話す機会がない」と答えていた父。母は「お金がなかったのよ」と父の死後教えてくれた。出来の悪い次女までが4年制大学に進学したいと言い出して、さぞ父は神経をすり減らしたことだろう。母から「次女を大学に入れる自信がない」と言っていたことを聞かされ愕然とした。
でも、そんな父が病床で必死に伝えた最後の指文字は「カンシャ」だった。

お金の大切さを実感した私は、貧困に目を向けるようになった。食べるのに困らない日本より、発展途上国に興味がわいた。青年海外協力隊を皮切りに国際開発コンサルタントになり、農村開発、道路建設、電源開発、給水、医療などに関わった。アジア、中東、アフリカで、貧困撲滅を考え続けた。
貧しくても幸せな人も多い。子供たちは元気がよくて、笑顔も明るい。ささやかな幸せを大切にしている。でも、貧しさから抜け出したいという思いはゼロではない。
開発は伝統的な生活を破壊すると文化人類学者に指摘され、様々な批判も受けた。でも、水や食料や電気のない暮らしは、やはり大変である。病院につながる道路だって欲しい。道路建設のせいで交通事故が増えたという指摘は間違いではないが、だから道路は要らないということにはならない。どうすれば事故を減らせるかを考えながら、次の手を打つ。未開発の美しさが消えていく切なさを、心に深く鎮めていく。これでよかったのか、と常に自問する。

インフラを整え、衣食住が満ちていれば幸福か……。
これも、残念ながら、ノーだと思う。
動物の中で人間だけが未来を長く認識できる。一瞬の満腹や温かい服、雨風をしのげる住居があるだけでは豊かだと思えない。電気が通って喜ぶのは一瞬だ。道路の便利さも、すぐに当たり前になっていく。人は未来、未来を追い続け、より便利さを求める。
そして、時代に乗って利益を手にした人々と、取り残された人々の貧富の格差が広がっていく。揃って貧しかった時代から、格差社会へ突入すると、人々はまた不幸になる。

人生は、縦走登山のようなものだと思っている。
色とりどりの花畑を歩くときは楽しいが、時々来るハチやブヨに不愉快な思いをする。
一方で、厳しい岩山の登りが続く中で、小さな花を見つけると幸福を感じる。
人間は、厄介な生き物である。

私は今も、ゆたかさとは何だろう、と問い続けている。
それが経済小説を書くことにつながっているとも言っていい。
「老後マネー戦略家族!」は、老後資金3000万円を貯めようとするはなしだが財テクの話と言うよりは豊かに生きるとはどういうことかを問う物語である。

しばらくこのテーマを追いかけてみよう。

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