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院の御子 第四章 鎌倉編(前)

鎌倉編 登場人物

□鎌倉方
■源頼朝……河内源氏の源義朝の三男。平治の乱で義朝が敗れたが、清盛に処刑は許されて伊豆国へ配流され、さげすまれる立場として育つ。14歳の時に子を作るが、遠くへ出張中だった女性の父親が帰って来るや激怒して、すでに3歳になった子を簀巻きにして海に沈めた。それほど、流人は忌避された。後に、北条政子を正室とするが、側室や愛妾は多い。みな、政子にひどい目にあわされている。以仁王の令旨を受けて挙兵。鎌倉を本拠に関東制圧を果たす。平家滅亡を見るまでに、幕府を作りたい思惑から外れた行動をとる(つまり後白河院に褒賞される)義経を邪魔に思い、自害に追い込む。
諸国に守護・地頭を配して全国を掌握、結果それも功を奏して大軍を集めることに成功し、奥州合戦で奥州藤原氏を滅ぼす。後白河院が死んで、やっと征夷大将軍となることができる。

■源義経……非常な戦上手で、武士たちの憧れの的。また、英雄であったにもかかわらず非業の死を遂げたために、より一層人々の胸に残る人物となる。弱いものを応援してしまう日本人の気質「判官びいき」とは、「判官=義経を応援する」ということ。(すみません、若い人向けの解説です)
愛妾は多くいたが、中でも静御前は、頼朝につかまってしまい、そこで義経の子を出産する。生まれた子が女なら許されたが、男だったので、頼朝の命令により、簀巻きにして由比ガ浜に沈められた。

■和田義盛……頼朝の腹心の家臣ではあり、頼朝を崇敬しているが、義経のことは崇拝に近いほどその死を惜しんでいる。そのため、義経と縁のある御子をなんとか救いたいと考えている。

■鶴岡八幡宮の供僧……御子に大きな課題を突き付ける。出自ははっきりしないが、3歳の時に簀巻きにされて海に捨てられたところを、ある人物に救われて鶴岡八幡宮の鳥居の下に置かれる。一旦は武家の養子となるが、自ら志願して出家した。

■北条政子……頼朝の正室。女傑。

■周防……頼朝と政子から御子周辺を探るために送り込まれている間者。

□京
■後白河院……院の御子の父親。法皇となり、天皇も御在位であっても、王権を手放さない。古典籍の中で「大天狗」と言われるほどの人物。頼朝の力を利用はしたいが、その力の巨大化を防ぐために、再三求められても征夷大将軍の地位を与えない。

■九条兼実……藤原兼実。関白。現代に現存する『玉葉(ぎょくよう)』を記した人物。後白河院の側近中の側近。

□その他の地方
■長谷部信連……以仁王の一の家臣だったが、最初の乱のときに捕らえられ、その武士ぶりから命を奪うのは惜しいと、清盛に許されて、伯耆国に遠流となる。その後、清盛に謝意を持ち、伯耆の乱のときには流された先の土地の農民を守りぬいた。その人となりのすばらしさから、現地の人々にしたわれ、頼朝に認められて、一旦安芸国の検非違使所の役人になるが、その後、能登半島の能登六郡の地頭職に補され、さらに頼朝の御家人となる。

■村尾海太成国……御子の夫。

一、義盛の思惑

 翌日二十二日申の刻――、広大な平泉を焼いた炎は、ようやく収まった。
 頼朝が平泉に入った。藤原四代の居館群のある方へ向かう。が、京のようにきらびやかだと謳われた町に人はおらず、暴風は収まったものの依然強く打ち付ける雨の音とささやか風の音しかしない。
 門に入ってすぐのところに、すでに炭と化した館跡が見えた。
「こちらは伽羅御所でぇごぜぇます。あちらが柳之御所といわれる泰衡様の館、代々の主の住まいでぇごぜぇます」
 平泉に入る直前でとらえた平民を案内にたてて、頼朝は平泉の門だった場所を通り過ぎると馬から降りた。黒い兜に太刀、黒革縅の鎧を身にまとっている。いかにも総大将の装いだった。
「して、火をかけた泰衡の後は追っているのか」
「それが、つかみきれず、今はまだ捜索中でございます」
 和田義盛がそう答えると、頼朝は白目がちな目を一層白くして、鼻から息を吐いた。
「ひどい有様ですなぁ。金銀の類は灰の中に焼け残っておりますが、玉石は焼けてしまったようです」
 頼朝はそれには答えず、雨でけぶる平泉を一望した。山手の館が一つと西南の蔵が一つ、焼け残っているのが目についた。
「あの山手にある館は何だ」
「泰衡様の御爺様の衣川館でぇごぜぇます」
 案内の者がそういった。
「では、あちらの蔵はに何が入っておるのだ」

一、義盛の思惑

 翌日二十二日申の刻――、広大な平泉を焼いた炎は、ようやく収まった。
 頼朝が平泉に入った。藤原四代の居館群のある方へ向かう。が、京のようにきらびやかだと謳われた町に人はおらず、暴風は収まったものの依然強く打ち付ける雨の音とささやか風の音しかしない。
 門に入ってすぐのところに、すでに炭と化した館跡が見えた。
「こちらは伽羅御所でぇごぜぇます。あちらが柳之御所といわれる泰衡様の館、代々の主の住まいでぇごぜぇます」
 平泉に入る直前でとらえた平民を案内にたてて、頼朝は平泉の門だった場所を通り過ぎると馬から降りた。黒い兜に太刀、黒革縅の鎧を身にまとっている。いかにも総大将の装いだった。
「して、火をかけた泰衡の後は追っているのか」
「それが、つかみきれず、今はまだ捜索中でございます」
 和田義盛がそう答えると、頼朝は白目がちな目を一層白くして、鼻から息を吐いた。
「ひどい有様ですなぁ。金銀の類は灰の中に焼け残っておりますが、玉石は焼けてしまったようです」
 頼朝はそれには答えず、雨でけぶる平泉を一望した。山手の館が一つと西南の蔵が一つ、焼け残っているのが目についた。
「あの山手にある館は何だ」
「泰衡様の御爺様の衣川館でぇごぜぇます」
 案内の者がそういった。
「では、あちらの蔵はに何が入っておるのだ」
 急に案内の者が、戸惑うように腰を曲げて身を低くした。
「申し訳ごぜぇませんが、我ら平民は、藤原様の蔵の中までは知り申しませんです」
 頼朝は、はたと目を開くと、ふんと鼻で笑った。
「それはそうだな、もうよい、帰れ」
 平民が何度も頭を下げてから逃げていくのを気にも留めず、頼朝は蔵をじっと見つめていたが、葛西をはじめとする郎従に蔵の様子を見に行かせた。頼朝は、小山のような大きな岩の上に立ち、雨の平泉を一望すると、
「平泉というところは、黄金に輝く都のようなところと聞いておったが、墨色の煙臭い場所であったのだな」
 頼朝は、肩を揺らして笑った。
 義盛は、その背中をじっと見た。
 流人として育ったはずが卑屈にもならず、強い意志をつらぬく彼を、義盛は敬愛した。同年であるにもかかわらず、自分のごとくに控えめでなく慎重でありつつも時に強く出る源頼朝という男に、惚れたのだ。
 思い返せば、以仁王の令旨を戴き挙兵した折は不確かな行く末に不安はあったが、義盛にはそれまで感じたことのない、血が沸くような高揚感があった。この殿とともに、何かとんでもないことができると心を躍らせたものだった。
 ――そういえば、畠山重忠に出会ったのもその時だった。
 坂東八平氏のうちの一つであった畠山氏が、頼朝ら以仁王側の源氏を追討すべく挙兵したのだ。石橋山合戦での敗走した後、安房国で軍勢を立て直して大軍となり再び挙兵した頼朝の軍に、畠山重忠は降伏したのだ。
 それを家臣に加える懐の深さに、ますます義盛は感じ入っていた。が……。
 ――この頃の殿は、あの頃の殿とは、少々変わってしまわれた気がする。いや、もちろん、人は変わるもの。変わらぬ者などこの世にはいない。しかし、やはりどうしても、義経殿と比べてしまう。為政者としては大殿のお姿が正解であろう。が、わしの心は、義経殿を追い求めておる気がして、ならん。
 雨の中の焼け残った平泉を見渡す頼朝の背中から、義盛は眼差しを外した。

 その頃泰衡は、郎従たちと軍兵十数人を伴って、北へ北へと馬を走らせていた。以前、院の姫宮が義経に夷狄島《いてきじま》への逃亡を示したと聞いたことがあったのを思い出し、そこへの足掛かりとして、糠部郡の河田次郎を頼ることにしていた。
 山間を狙って進みはするものの、どうしても村の中を通らざるを得ない時もあった。農民らがわざわざ笠を上げてまでこちらを見ている時などは、いつ鎌倉方に知られるかと肝を冷やした。なにしろ今となっては従う兵も少ない。ここで頼朝に追いつかれては非常に危うい状況だった。
 夜、できるだけ火を使わぬようにしようとは思ったが、初秋の雨に降られて体が冷え切っていた。ついてきた郎従どもも、鼻をすすっている。いかようにもしようがなく、結局火を焚いて夜を過ごした。
 夜が明けて、郎従の一人が川から魚を捕まえてきた。それを焼いて口にした。胃の腑に染みるうまさであり、急に力がみなぎるような感覚を得た。焚火の跡を足で掻き消させ、さらに北へ進もうと準備をしていると、南の方から激しい馬蹄の音が響いてきた。
 泰衡はじめ一同は、慌てて山の中に身を隠した。木の間から見ていると、鎧甲冑姿の騎馬が、泰衡たちが暖を取った場所につき、焚火の後を確認した。
 ――鎌倉か。
 泰衡のこめかみから流れた汗は、首にまでつつーっと滑った。
「泰衡様、あれは、御味方ではありますまいか」
 郎等の一人に囁かれたが、にわかには信じられない。
「私が見てまいりましょう」
 煮え切らぬ泰衡に業を煮やして、家臣が一人山を下りた。
 山から突如現れた兵に、騎馬の武士たちはさっと身構えたが、ふいに互いを確認すると、馬から降りて肩をたたき合った。
 ――味方か!
 ほっと胸をなでおろし、泰衡は山を下りた。
「泰衡様、お探し申しました」
 追ってきた郎従は、嬉しそうに言った。
「うむ。よくぞ参った。さ、今から北を目指すぞ」
「お待ちください。もう少しすれば、さらに兵が追いついてくることになっております。泰衡様が北へ向かわれているという農民の噂で、散り散りになっていた平泉の兵が、競ってこちらへ集結することになっているのです」
 それを聞いて、泰衡の顔に自信が甦った。
 今まで次郎殿次郎殿と、取り合わなかった家子郎等どもが多かったが、ここへきてようやく認められたような気がした。
 国主の顔が引き締まったのを見て、郎従どもにも余裕が出てきた。数刻待っていると、確かに、軍兵がどっと集まってきて、立派な一軍になった。そして、口々に、打倒鎌倉と叫び、数千人が一斉に鬨の声を作った。
 その声は、奥羽の山間にこだました。

 雨は、まだ降っていた。蔵の屋根を叩く雨の音に耳を澄ませ、御子たちは息をひそめていた。平泉の女房どもも共に避難し、中には十数人ほどが身を寄せ合っていた。先ほど、馬の嘶きや馬蹄、武士の気合の声が聞こえた。蔵の中は静まり返っていた。
 御子の目の周りは、真っ赤になっていた。目が、中に入った煤を洗い流そうとしているのだろう、涙が後から後から出てくる。が、かえって涙が目に染みてひどい痛みだった。當子は、御子が目をこすらずに済むように、袖口から汚れなかった単衣の端を引っ張り出して、御子の目の下を幾度となく押さえる。
「當子の目は大丈夫なのか」
「はい、私、恐ろしくて目をつぶっていたものですから」
「そうか、よかった。仲影は大事ないか」
 つい、自分の口から出た言葉に、御子ははっとして口を閉じた。
 當子が、御子の肩に頬を載せて御子を抱きしめる。
 仲影がいて、あたりまえだった。いなくてはならぬのに、何故いないのだと、御子はやるせなくて、胸が詰まった。
「……婆様は?」
「案ぜずとも、私はここにいますよ」
 力ない手の平が、御子の背中をさすった。
 ふいに、蔵の外で声がした。
 女房達は、悲鳴を押し殺して、奥へ奥へと身を押しあった。
 御子の横に座っていた覚山坊が立ち上がろうとした気配に、御子はとっさに抑えた。
「吾ら女人ばかり、鎌倉も害することはないだろう。覚山坊は、中方《なかがた》へ身を隠し、折を見て逃げよ」
 覚山坊が反抗しようとしたその時、蔵の扉が、ごごごっと重い音を響かせて開いた。御子は、自身の後ろに覚山坊をかばうように立ち上がった。
 目は痛いが、ほの暗い蔵の中に光が入ってきたのは見えた。そしてその光の中に、数人の人影も、ぼんやりながら見える。影の形と色から、郎等らしいと感じた。
 その人影が、ずいっと入ってくる動きを見せた。
「誰かおるぞ!」
 入ってきた男が叫ぶと、太刀の柄に手をかけ、鍔を押さえる音が聞こえた。それを見て、女房どもが恐ろしさのあまり、悲鳴を上げた。
「なんだ、女人ばかりではないか。すべて外に出せ」
「おい、宝だ! すごい宝があるぞ!」
「本当だ、何という財宝だ。頼朝様がお喜びになる!」
「わしが知らせてくる」
 そういう声がして、一人が走っていった。
 ――頼朝。そうか、とうとう頼朝に会えるのだな。
 御子は、不敵に笑った。
 蔵の中はささめくような女たちの恐怖の声でざわついている。と、そこへ、一人の鎧甲冑を着た男の影が入ってきた。
 御子は、その男の前にぐっと進み出た。
「貴様が頼朝か。弟殺しの極悪人め! 我が兄様を返せ!」
 御子は、見えぬながらもその男の胸ぐらをつかみにかかる。男の影はさっと左によけた。御子は勢いづいて男の左手に一歩踏み込む、と同時に、左肘で、すれちがいざまに男の首の後ろを強か打った。
 兜が割れたような音がして、男は膝をついた。
「當子! 太刀を貸せ! 今ここで叩ききってやる!」
 と、御子が後ろに手を伸ばしたところを、ほかの男たちに抑え込まれ、後ろ手にされて捕まえられた。
「御子様!」
 覚山坊が立ち上がるも、御子の顎の下に太刀があてがわれ、次の一歩を出せずに、兵に捕縛されるよりほかなかった。
 御子の良く見えぬ目の前で、先ほどの鎧甲冑の男が、ふらふらと立ち上がった影が見えた。
「和田殿、大事ございませぬか。なんとも恐ろしきことよ。急所を狙うて不意打ちとは」
「いや、なに、大事ない」
 そう答えた男は、痛そうな息を鳴らした。
「和田……?」
 御子は、人違いに気づき、悔しそうに唇をかんだ。
「いかにも。私は、和田太郎義盛と申す者。そこもとは……」
 義盛は、御子の様子をまじまじと見、
「お前様は、女人でありながら、なんという格好を。こんな北の果てで、北政所様同様、直垂を着た女子に会うとは、いやはや」
 義盛は、打撃を受けた首の後ろを何度も撫でて、ちらりと御子の表情を伺う。
 ――目を傷めておるようだが、それでこの動きをするのか。それに、先程の言が気になる……。弟殺し、兄様と言ったな。
「和田殿、全員を外へ出しましょう。中は金銀玉石の極楽浄土ですぞ」
「ん? ああ……。そうせよ」
 義盛は興味なさそうに肯くと、今度は覚山坊と當子を見た。和田が観察するようにじっと見るので、當子は怯えを隠すように尼君の手をしっかり握った。
「この女人と、僧兵、この女房とご老女は、和田が預かる」
 郎従たちが不思議そうな顔をした。
「猛々しいので、大殿に害が及んではならぬのでな」
 
 蔵から出された女房達は、雨の中、外に並ばされた。義盛は、御子たちを一番後ろに立たせ、特に覚山坊は目立つので女たちの影に座らせておいた。
 頼朝は、女房達が隠れていたと知っても特に興味も示さず、彼女らの前を素通りして蔵の方へまっすぐ入って行った。女房達は、郎従が柳之御所まで引き連れていく。それに義盛がついてゆこうとしたところ、
「義盛!」
 蔵の中から頼朝が呼ぶ声が聞こえたので、義盛は、急いで走った。蔵の中に入ると、兵が一人松明を掲げている。ほの暗い蔵の中、松明が反射して、金で拵えた調度類がまばゆいほどに輝く。牛玉、犀角、象牙の笛、紺瑠璃の笏、金の沓、玉幡、金に玉で装飾した花鬘、金の鶴、銀の猫、金繍綾羅の数は知れず、沈、紫檀の唐木の逗子など、財貨珍宝数え切れない。
 それらの財宝を見回す頼朝の白目に輝きが映っている。
「東大寺への献金が多いのもうなずける。奥州は金の産地。しかし金以外の珍らかなるこれらを、いかようにして集めたのであろうか。見よ、このような珍しいものを今まで見たことがあるか。何とかして鎌倉に運ぶのだ。戦功のあった者への褒賞に使おう。それと、この蔵を開けた葛西たちにも分けてやれ」
「は……、手配いたします」
 義盛はそう言って、まずは財宝の目録を作成するよう言い置き、蔵から外へ出た。そして、急いで御子たちの後を追った。
 御子たちを含む女房どもは、すでに柳之御所の前にまで連れてこられていた。そこには、命からがら炎から逃れた泰衡国衡の郎従たちも捕縛されて並んでいた。
 義盛が、見まわして御子を探す。覚山坊が目立つので、すぐにわかった。と、そこへ捕縛された郎従の中から声が上がる。
「姫宮様! 姫宮様がそこに!」
「姫宮様に縄をかけるとは、何と無礼な! 不遜であろう!」
「朝廷《おおやけ》に刃を向けるも同じこと! 頼朝は、いずこだ!」
 義盛は、驚きのあまり、すぐには動けなかった。
 ――姫宮、とな。あの、煤けた女武者が?
「ほう、姫宮というたか」
 義盛の背後で、うれしそうな声がした。
 頼朝は義盛の背中の向こう側に見える、御子を、じいっと白目がちなまなざしで見つめ、唇の端をほんの少し上げた。
 義盛は、落胆の思いを少なからず持った。


二、鎌倉移送

 やむかと思っていた雨足が、再び強くなってきた。雨が御子の顔を流れてゆく。髪が頬、肩に絡みつく。
「ほう、姫宮というたか」
 その声は、御子にも届いた。
ふりむくと、先ほどの和田とかいう鎧兜の男の向こうに、全身黒づくめの人物が立っているのが見えた。兜は脱いでいるようだった。語調からして、今度こそ頼朝に違いない。御子は、自分でも、目がつりあがり肩がいかってくるのがわかった。その黒い影が、こちらに近づいてくる。
 ――来い……。
 御子は、黒い影をはっきりせぬ目でねめつけた。
 ――そうだ、こちらへ来い。貴様の目をえぐり、鼻を食いちぎってやる。
 後ろ手に縛られ、肘を動かせぬように肩から肘にかけて縄をかけられている御子の体は、自然、頼朝と思しき黒い影の方へ傾く姿勢となる。御子の脳裏に、義経と仲影の影がちらついた。
 あと、少し――。
 というところへきて、頼朝との間に、鎧甲冑の男が割って入った。
「なんだ、義盛」
「素性の知れぬ者に、お近づきめさるな、殿」
 頼朝は、ふんと小さく鼻から息を漏らし、義盛の肩を押しのけて、御子に近づいてゆく。が、義盛は、すぐに御子に駆け寄って、御子の膝の裏を蹴って跪かせ、両肩を捕らえた。
「御子様!」
「御子!」
 當子と覚山坊が思わず声を上げる。
「後白河院の姫宮なるぞ、控えよ!」
平泉の郎等らは非難の声を上げて騒いだ。
御子は、義盛の手を振り切ろうともがく。抑え込まれても、頼朝の方へ一歩でも近づこうと息を荒くした。
 ――義経殿が悲しまれますぞ。
 かすかに耳に届いた義盛の声に、御子ははっと目を見開き、自分を抑え込んでいる義盛の顔を間近に見つめた。
 そうしているうちに、頼朝は御子のすぐ目の前にきた。御子が頼朝の方を向くと、頼朝はじとっと御子の顔をまじまじと見下した。
 激しい雨の中、互いにものも言わず、睨み上げ、見下ろしている。
不意に頼朝は、ほんの刹那、目に笑みを浮かべた。が、すぐに真顔に戻ると両膝をついて畏まった。
黒地に金糸で刺繍された鎧直垂に、泥水がにじんだ。
「姫宮様とは存知参らせず、かような仕儀に至り申し開きもございませぬ」
 頼朝が畏まったのを見て、ざわついていた平泉の郎等たちは水を打ったように静まり返った。
 御子に頭を低くした頼朝は、雨が泥水をはね上げる地面を見ながら、唇の端をほんの少し上げた。

 頼朝は、平泉の町の一部を宿所とし、一旦虜囚を集めると、降人(こうにん)は自らの許に残し、歯向かうものは首をはねた。蔵に隠れていた女房達は、皆解放した。
 夜は更け、日はとうに改まっていた。単衣姿で脇息を抱えるようにして、左手の指先で顎を撫でている。
「八月八日、同十日の両日に合戦を終え、昨日二十二日に平泉に入りし候。しかしながら、泰衡は逃げおおせ、深山に潜んでいるという情報を得ること叶いましたので、さらに追走せんと存じおり候。以上だ」
「院の姫宮の件は……」
 祐筆がそう言いかけたが、頼朝の白光(しらびかり)する目を向けられると、口をつぐんだ。灯りの揺らめく炎を頼りに、祐筆が筆を走らせる。書き終えたものを受け取ると、頼朝は花押をさらりと書いて紙を巻き折り、
「飛脚を呼んで、京(みやこ)へ急ぎ参らせよ」
 そう言って、祐筆に預けて下がらせた。
 油が多いのか、灯りの炎は大きく揺らめく。柱や襖に、頼朝の影が闇のように広がっている。
 静かな夜だ。
 敗国の平泉は沈んだように音をひそめ、戦に一応の決着を見た兵たちはすでに休んでいる。
 頼朝の耳に聞こえているのは、自らの息の音だけだった。と、ふいに、我慢しきれぬように、頼朝は顔をゆがませると、肩を揺らして押し殺したような笑い声を漏らした。
 ――愉快なり。あの大天狗の娘が、手中に収まることになるとは、思いもよらなかった。
 頼朝は、つい数刻前の、涙におぼれたような眼で頼朝を睨みあげている御子を思い出した。
 あちこち焦げ付いた鎧直垂に、腰ほどの髪を後ろに束ね、目の周りを真っ赤にし、泥水にまみれた足首から下は、火傷をしているらしかった。後ろ手にされ、腕も縛られていたところを見ると、暴れたのだろう。
 あまりの汚さにいささか疑いを持った。
 残念ながら、大天狗に見(まみ)えたことがない。あの女が果たして後白河院の姫宮かどうか、頼朝には判じ難かった。顔だちは、高貴と言えばそう見えなくはない。が、何しろ形相が恐ろしい。歯を食いしばって、今にも頼朝にかみつきそうだった。
そんな姫を救おうと、平泉の郎等らが「姫宮、姫宮」と非常にうるさいのに辟易した。そこで、ひとつ、芝居を打ってやったのだった。
 おかげで、歯向かうものの数はひどく少なかった。今後は平泉も武士の国へと移行させていくつもりだ。貴族的な平泉の武士どもを黙らせるには、良い機会になった。
 ――それにしても、あの傷だらけの体は何だ。まるで、戦にでも出ていたようではないか。
 頼朝は、天井を見上げる。より一層白目がちになった。ふとまた唇の端を上げて、抑えきれぬ笑みをこぼした。
「どう使えばよいか。たのしみだ」
 つい、そう漏らしてから、大殿油の火を消した。

 御子は、平泉の町の頼朝の宿所からほど近い商家の一角に、御所を用意された。
 医師(くすし)が来て、御子と當子の火傷の手当てをした。御子の目は、やはり煙で傷んでしまっていたが、時間はかかるが必ず治るということだった。御子も當子も、足の裏にひどい火傷をしているので、当分はおとなしくしているよりほかなかった。覚山坊は、縁近くの柱に背中を預けて、うとうとしている。尼君は、畳の上に横になったまま、御子の袖を引っ張った。
「よいですか、御子、義経殿のことは、頼朝に知られてはなりませぬ。思えば最初に御子が襲い掛かったのが、かの者でなくてほんに良かった」
「けれど、尼君様、あの時、御子様は弟殺しと口になさいました。頼朝殿に知れるのも時間の問題かと」
 當子がそういうと、尼君は、困ったように小さく口を開いた。
「いかがいたそう、御子。あの人相を見たであろう。のっぺりと心の内を隠すような丸い顔で、何を胸に秘めているかわからぬ」
 御子は黙ったままだった。
 本心を言えば、いっそ、義経の仇を討ちたいと願った。あの時は、頭に血が上って襲い掛かったが、今は容易に動いていい時ではないことぐらいは分かっていた。頼朝に義経と幼き日を過ごしたことが、知れようが知れるまいが、どうでもよかった。そんなことより、この状況をいかに脱するか、尼君と當子をどうやってここから逃すか、そればかりを考えていた。
「少々疲れました。考えたいこともあります。隣の部屋で横になります」
 御子がそういうので、閨の支度を整えようと當子が立ち上がる。
「よい、宿の者がある程度としつらえている。當子はあまり足を使うでない」
 御子は、襖の奥へと姿を消した。
 陸奥の襖でしきる奥州の邸は、御子の心を静かにさせる。京にも襖がないではなかったが、貴人や主を守るという意味もあってか、はたまた気候によるものか、御簾や几帳で区切られていることの方が多かった。それでは、一人でものを考えることなど難しい。
 御子は、上畳の上に腰を下ろし、足を投げ出すと、横になって天井を見上げた。
 ――成国は今頃どうしているだろう。
 ふとそんな気持ちが起こって、自分でも不思議だった。いや、これは時折思うことではあった。育ての母九条院のことも、養父成親に対してもそうだった。
 亡くなってすぐは、なかなか受け入れられず、そこにいないことを哀しむ。後悔や感謝が胸に迫る。取り返せない大切な存在が哀しくて仕方がない。その哀しさがなくなるわけではないが、時がたつと、その哀しみに慣れてくるのか、哀しいながらも、まるで遠くの国で生きているような感覚に陥る。そのため、時折「母院様はお元気だろうか」「父様はいかにお過ごしだろう」などと不意に胸に浮かぶのだった。
 それが、とうとう成国のことにも及んだと思うと、御子はやりきれなかった。そのうち、義経や仲影のこともそう思うようになるのだろうか。
 胸に、急に痛いほどの哀しみが迫った。
 御子は顔をぎゅっと歪めると、声を出さぬように息を漏らした。涙だけは次から次へとあふれ、こめかみを通って褥を濡らした。目がひりひりと痛かったが、涙を止める術を知らなかった。
 どうせ目の周りは腫れているし、目の中も赤い。泣いた跡などごまかせる。
 そう考えて、涙を流れるままにしてやった。
 
 翌早朝は、鳥の声で目が覚めた。
 今朝は晴れのようだ。
 御子はそう直感すると、起き上がって自ら妻戸を開けた。足の裏は、砂利を踏むように痛かった。
 陸奥の、澄んだ空気が、雨で煙や塵芥が洗い流された澄んだ空気が、御子の胸に満ちて、御子は深く息を吐いた。秋の朝霧の立ち上る、そこへ朝日が細くさす美しさ。
 御子は、もう、当分は泣くまいと誓った。
 今せねばならぬことをし、悔恨を残さぬようにせねばならない。そう思った。
 朝の粥を口にするのもそこそこに、御子は、和田義盛を呼び、頼朝との対面を申し出た。

「私の母は九条院の女官で、私が琴を弾くことから母とともにその院中にて長く過ごしてきた。が、合戦のさなか、京が焼かれなどして思いがけないことが多く、難を逃れようとここ奥州に下向したのだ」
 御子の御所に参上した頼朝に、義経との縁を推測されぬよう、嘘を交えて身上を語った。頼朝は、黙って聞いていたが、
「母御前はともに参らず、その老女をつれて下向されたと」
「私は、姫宮の曾祖母にして肥後守藤原資隆入道の母です。たんなる老女ではございませぬ」
 尼君も口を挟む。
「資隆入道……。後白河院も一目置く八条院暲子(あきこ)様の判官代を勤めている資隆入道ですかな」
 尼君は、そうですと肯いた。何か考えでも巡らすように、頼朝の小さな黒目はぐるりと室内を巡った。と、その視線が、御子の手に留まった。
「その矢傷は、いかがなさいましたか」
 御子は、素知らぬ顔で、
「武家の真似事をして武士どもと混じって物の具を触っていたら、ふいに怪我をしたのだ」
 「ふむ」というような息を、頼朝は吐いた。すぐ横の義盛は、黙って控えている。
「まこと王胤なら」
「誠でございますよ。この婆が保証いたします」
 頼朝は言葉をさえぎられて、少々むっとしたようだった。
「我が孫隆子と後白河院の姫宮に間違いございませぬ。この平泉の藤原秀衡殿も、姫宮のご身分を慮り、たいそう愛玩なさって、姫宮が落飾を願い出てもお許しにならなかったほどじゃ。それほどまでに、高貴の血は尊ぶべきもの。いくら坂東武者といえども、王胤への敬意はわきまえねばなりませぬぞよ」
 ここぞとばかりに尼君がまくしたてるので、頼朝の眉根はほんの少ししわを作った。
「いずれにせよ、一旦鎌倉にお移り願おうと思いますが、その御御足(おみあし)ではすぐとはゆきますまい。当面、泰衡追捕を終えるまでは、このままここを御所にされるがよろしいでしょう」
 ――泰衡を追っているのか。
「国衡殿は、お逃がし下さるのか」
 御子が思わずそう聞くと、頼朝の横で義盛が何とも言えぬ苦々しい顔をした。頼朝は表情を全く崩すことなく、
「国衡の首はもう取ってあります。逃がしようがないですな」
 しれっとそう答えて、御子の顔をじっと見つめた。
 御子は、衝撃を抑えきれず、膝の上で直垂を握った。それを、頼朝はほんのり微笑んで確認すると、
「当面は、この義盛に御身周辺のことを任せておりますので、なんなりと」
 そういって、立ち上がると、礼もせずに背中を見せて襖に手をかけた。が、ふと振り向いて、
「九条院、といえば、常盤御前と縁をお持ちか」
 はっと顔を上げたのは御子だけではなかった。義盛も顔を上げ、不用意に反応してしまったことを悔やんでいるようだった。
「お会いしたことは、ない」
 そういう御子をちらりと見て、頼朝は襖の向こうに消えていった。

 自分の居室に戻った頼朝は、しばし四方の襖を締め切り、薄暗い中で立ち尽くしたままだった。
――あの姫宮が九条院で過ごしたと。時期によっては、あるいは九郎に縁のあるものかもしれぬ。
頼朝は下唇をかむ。
いくら排除しても、いくら拭い去ろうとも、九郎の影はずっと頼朝に付きまとった。
「いや、どうということはない。何の憂えがあろうか。気にするでない」
 自分にそう言い聞かせたが、常盤御前の名を出した時の義盛の顔が、頼朝の胸に突き刺さった。いまだ配下の胸の内には、おそらく九郎の雄姿が焼き付いているのだ。いくら首を落としても、まるで空気となって、武士の世界に息づいている。いや、首を落としたからこそ、そんな存在にしてしまったのかもしれぬ。
 あの姫宮の反応も気になった。まるで義盛と同じ反応だった。
 頼朝は、襖をあけて葛西清重に来るように従者に伝えた。葛西は、焼けた平泉の寺々を建て直したいらしく、平泉の職人たちに掛け合っていると聞く。その姿は、平泉の郎従たちにも好意的に映るはずだ。
葛西が来ると頼朝は、
「平泉の郎従だった者どもに、姫宮がここでどのように過ごしたかつぶさに聞いてまいれ。それと、京の間者に、九条院邸で育った姫宮がいたかどうかも捜査させよ」
 葛西が礼をして出てゆくと、それと入れ替わりに、藤原基成父子が降人になったという報告を受けた。さらに、依然泰衡の行方はつかめていないという報告も来た。
「引き続き、方々へ探索の者を派遣せよ」
 頼朝は、腰を下ろす暇もなく、基成父子が待っている庭へと降りていった。

 その翌朝。日の出ごろに、頼朝の宿所に不審の輩が入り込み、一通の書状を投げ入れて去っていった。御家人衆は騒いで不審がったが、頼朝はその書状を持ってこさせて御家人の一人に読み上げさせた。それは、泰衡からの投げ文であった。
そこには、平泉はすでに鎌倉殿の支配下であるのだから、これ以上自分を追うのはやめて御家人の列に加えてほしい。それがかなわぬなら、死罪を免じて遠流に処してほしいという旨の嘆願がかかれていた。さらに、慈恵を垂れてくださって返牒いただけるなら、その返牒は比内郡の辺りに置いておいてほしい。それを確認すればすぐに投降する、という指示まであった。
「これは、いかにも罠でございましょう」
義盛がそういった。が、畠山重忠や梶原景時らは、
「罠であろうがあるまいが、この比内郡の指定の場所に返牒を置き、取りに来た者を捕まえ、泰衡の居場所を吐かせればよいではないか」
御家人衆の意見は大枠で一致した。泰衡を捕縛する好機であろうというものであった。ところが、頼朝は首を縦に振らなかった。
「返牒は置かず、探索の兵士を派遣して、奴を探せ。それ以外のことはするでない。我らも探索に加わり、岩井郡厨河へむかうことにしよう」
 御家人衆は、主人の心中を測り兼ねた。が、義盛だけは腑に落ちた。
 厨河は、頼朝の祖鎮守府将軍源頼義が、朝敵安倍貞任の首を取った名誉ある土地であった。
 ――大殿は、祖先の功績を引き継いでいることを内外に知らしめたいのだ。策略でとらえるのではなく泰衡を戦で打ち負かし、できればそこで、泰衡の首を掲げて平泉平定を宣言したいのであろう。
 頼朝のこういう政治的戦略は、義盛をうならせる点ではあった。
義盛はひそかな苦悩を抱えた。義経と縁のあるであろう院の姫宮を、何とかお救い申し上げたい。しかしその気持ちは逆心となってしまう。この殿の目指すところへ、やはり自分も供をしてゆきたいという思いも強い。義経への崇敬と頼朝への尊敬とが拮抗して、義盛を苛んだ。

 泰衡は、確かに頼朝に文を投げた。罠と分かろうとも罠ではないと判じようとも、頼朝は兵を比内郡へ向かわせるはずであった。場所さえ指定すれば、自分を捕まえようとする鎌倉の軍兵は、もくろみ通りの場所に来るはずで、兵を配備して待ち受け、そこを迎撃すれば、敵を翻弄し、囲んだ兵士だけは少なくとも殲滅かなうはずである。
 そうして痛手を負わせておけば、後々自分が夷狄島へわたるまでは時間が稼げるはずだ。あるいは、万に一つかもしれぬが、反撃することで勢いがつき、平泉奪還にまで発展する可能性も、なくはない。
 そう考えて、泰衡は、比内郡の贄柵(にえさく)の、譜代の郎従である河田次郎を頼っていった。
 河田次郎は、仰々しく泰衡を迎え、城内に招き入れ、丁寧に挨拶した。
「よくぞ私を思い出してくださいました、御館様。この河田、重代の御恩に報いるべく、また平泉を守るべく、尽力いたし申し上げまする」
「うむ」
 泰衡は、ひどく感心した。ここへくるまでの軍勢たちの集まりにも、非常な自信を得て、国主たる自分を誇りに思いさえした。 
「どうした、面を上げよ、河田殿」
なかなか河田が動かぬので、泰衡は促す。すると、河田が思い切ったように顔を上げた。その、顔を上げるのを合図としたように、四方の襖があいて、泰衡の周りを河田の郎従らが囲んだ。
「河田! 貴様……」
 泰衡は、怒りをあらわに口を開いて罵ろうとした。が、後ろから口をふさがれ、すぐに首を斬りおとされた。
 河田は、郎従たちに首の処理をさせながら、じっと泰衡の首を見つめた。
「時勢というものには抗えぬ。すぐに、鎌倉殿に献上しよう」
 そうつぶやくと、櫃に首を入れさせた。
 その首は、三日後、頼朝の前に差し出された。
 場所は、志波郡陣岡の蜂杜で、頼朝が泰衡側の残党を追捕して陣を敷いていたところだった。
 目の前でうやうやしく首を献上する河田次郎を、頼朝は白けた眼差しで見た。
「汝の行いは、功があると思うか」
 思いもかけぬ言葉に、河田次郎は、はっと顔を上げ額に汗をにじませた。
「汝の手によらずとも、泰衡誅伐はすでに我が手中のことであった。それを恩着せがましくよくも譜代の主を討って、その首を敵方に差し出せたものよ」
 頼朝の言葉が進むにしたがって、河田次郎は蒼白になっていった。
「一も二もない。褒章などとおこがましい。すぐに首を切って落とせ」
 思いもよらぬ展開に、河田次郎は反論もできないままに、首を落とされた。
 泰衡の首は晒され、ここに平泉平定の決着を見た。その後、生き残った郎等たちが、地方地方で戦火を挙げるも、この時点で二十八万四千騎に膨れ上がっていた鎌倉方の敵ではなかった。

 すでに平泉陥落のことは京の後白河院の耳に届いていた。院宣も持たずして、勝手な戦を始めた頼朝に、後白河院の腸は煮えたぎったが、耐えねばならなかった。もはや、この日の本で、頂点に君臨する自分の臣下でありながら、自らを脅かすほどの軍勢と影響力を誇る頼朝を、罰することはもちろん放置することもできず、いまさらながら上下の関係を形整えるために院宣を出さぬわけにはいかなかった。
しかし、どうにも口惜しい。後白河院は文書には認めず、口宣(くぜん)という形で、頼朝の功績を認め、自らの命令を受けて平泉平定へと頼朝が舵を切ったことと世間に知らしめた。

 その後、一月ほどにわたって、平泉の寺の再建や保護、命令系統の整備などを施し、頼朝はようやく九月二八日、鎌倉への帰途に就いた。その長い軍列の中に、御子と尼君、當子そして、覚山坊も加わっていた。
 悪路が続くため、當子と尼君は牛車でゆるやかに鎌倉を目指し、御子と覚山坊は、義盛監視の許、馬で鎌倉に移送された。
 その年の十二月、伯耆国で一人の男が捕縛された。過去三年にわたり、播磨国、丹波、京で後白河院の召次(めしつぎ)に暴行を加えることが重なったため、検非違使が追捕に乗り出し、とうとう伯耆国へ逃げ込んだところを、一軍を用いて捕縛したのであった。


三、召次暴行

 時は、およそ三年前にさかのぼる。
 御子が平泉へと都落ちして半年後、一人の大男が上洛した。
 噂で聞いていたような煌びやかさや華やかさのない荒廃した京で、その男は、院の御所の門を叩いた。京に入るまでの途上で、方々へ派遣される院の召次に出会うごとに、京の状況や院の御所の場所を確認しようと声をかけたが、みなあやしの者に教えるわけもなく、慮外者と判じられて攻撃された。攻撃されればもちろん、身をかわすし反撃もし、半ば追われる者に成り下がって京へとやっとたどり着いた。
院の御所だと聞いた場所の門前に立った時には、衣は破れ、裸足であった。
突然見たこともない大男が現れ、門の護衛である吉上(きちじょう)らは、目を見張った。
男の破れて汚れた衣は鎧直垂である。しかし、太刀などの武具は身に着けておらず、まるでそこらの死人から衣だけ盗んで着ているかのように見えた。これほどにあやしく汚れた男を門内に通すことなどできるはずもなく、門前払いを幾度もした。が、男は諦めず、門の前で座り込む。時折食物を求めていなくはなるが、すぐにまた戻ってきて座り込むのでほとほと困り果て、近衛将曹が出てきて対応した。
「院は、この日の本で最も崇高な存在で、そうそうお会いしたいというてお会いできる御方ではない。一月にわたって座り込むとは、よほどの事情があるのだろうと推察するが、ならぬものはならぬのだ。なにか、院の御所に入ること以外で、助太刀できることがあるか」
と聞いた。すると男は、
「藤原資隆の邸を教えてほしい」
とすっかりしわがれた声で言った。
場所を教わった男は、すぐに資隆邸に赴き、門を叩いた。
あまりに汚らしい大男が門前に立っているので、家人は食べ物を持たせて追い払おうとした。が、男は、どうしても資隆に会わねばならぬと訴えた。
その声には切実な色があったが、家人はまさかこんな汚い男を主人に会わせるわけにはいかず、門を固く閉じた。男は門前から動かない。
そうこうしているうちに、折悪しく資隆が出仕から帰邸してきた。
男は、立ち上がると、牛車の前で両手を広げて立ちはだかった。
 何事かと、物見窓から覗く資隆を見つけると、男は駆け寄った。
「資隆殿か」
 そう問われても到底答える気になれぬ。資隆はぴしゃりと窓を閉めて牛車を進めさせた。すると、男は、牛飼い童の前に戻ってまた立ちふさがった。牛飼い童はあまりの大男に怯えながらも、門の内へはいれと主から再三促され、牛の尻を叩いた。
 が、男は、牛の角を両手で握って、牛が進むのを阻んだ。
「少しでよい、伺いたいことがあるのだ!」
 大男はそう叫ぶが、物見の窓は開かず、中から「牛をけしかけよ」という声がした。従者たちが、牛飼い童とともに、牛の尻をしきりに叩くので、牛は鼻息を荒くして前へ進む。しかし、大男が角を抑えて前に進ませぬ。
 牛車を引く牛と大男との相撲になって、押しつ押されつしてるうちに、大男が叫んだ。
「おのれ!」
 大男は、牛の角をねじって牛を傾けさせると、えいっと転がしてしまった。当然、牛車も恐ろしいほどの音を立てて横転する。従者たちは慌てて、牛車の中から資隆を救い出そうと駆け寄った。と、大男が従者たちをかき分けて資隆の腕を力強くつかみ、牛車から引っ張り出した。
資隆は恐怖に満ちた叫び声をあげて抵抗した。が、大男は腕をグイッと自分の方へ引き寄せて、資隆に鼻がぶつかるほどに顔を近づけた。
「院の御子は、いずれにいるのだ」
 その名を聞くと、資隆は、暴れるのをやめてまじまじと大男を見上げた。
「そなた、何者ぞ」
「故あって名乗ること叶わぬ。ただただ、院の御子に会いたい。資隆殿の御孫であろう。長谷部信連殿からこの血筋を聞いて来たのだ」
 資隆は信連と聞いて、より一層警戒した。以前、遠流になった長谷部信連に縁のある者にかかわるなど、ろくなことはない。
「院の御子とは、誰のことだ」
 大男は舌打ちをした。
「貴殿の娘が生んだ女であろうが!」
 御子が女であると知っているということが、より一層資隆を震え上がらせ、つい口をついて出たのは嘘だった。
「院の御子、は、確かにわしの孫ではあるが、昨年亡くなった。流産のあと長く療養を重ねていたが、治療の甲斐なく命が絶えてしもうたのだ」
 大男は、大きな目をより一層見開いて、資隆を見つめていたが、体の力が抜けたと見えて、その場にへたり込んだ。その隙に資隆は大急ぎで、従者に伴われて邸の内に入り、固く門を閉ざしたうえで、難を逃れたとほっと胸をなでおろした。

「なんと、そのような者が京に参っておったのか」
 院の御所に参上した資隆から大男の話を聞いて、後白河院は気味悪がったが、その場にいた九条兼実は、ふと思い当たった節を口にした。
「もしや、御子様の赤子(ややこ)の父親ではありますまいか。御子様が寝込んでいらっしゃった当時、女房の當子や仲影から伯耆国の村尾成国という名を何度か聞いたことがございますが」
「村尾? 滅びたはずではなかったか。小鴨が村尾を滅ぼし領主成国は斬首したと、わしはそちから聞いたのだぞ」
 後白河院は困惑したように、兼実を責める口調で言った。
「や、はあ、たしかに、私の元には、小鴨からそういう報告が届いておりましたが。しかし、院の御子を探している男で、御子様が女人であらせられることを知っているとなると……」
「まて、伯耆から都への道々で、院の御所の所在地をしきりに聞く慮外者がいて、我が召次どもが次々に怪我をさせられている。その男ではないか。そもそも、かの者を目当てに都へ上るなど、腹にいかような思惑があるのか、考えただけでもそら恐ろしい。またかの者の身分を使うて、政(まつりごと)に介入せんとする輩かもしれぬ。早急に、捕らえて牢にでも入れてしまえ」
 院の下命があり、検非違使たちが京中を探索した。
 しかし、その数日間、男の姿は見られなかった。諦めて国へ帰ったか。そう後白河院が気を許したある晩のことだった。
 その日は、近年には珍しく蒸した夏の夜だった。この数年、災害が多い代わりに、気温は下がり夏と言えども過ごしやすい気候であった。
 院の御所の築地塀を軽々と乗り越えたのは、例の大男だった。庭に降りると、篝火の前に立つ武官がはっと気づくと同時に、反撃の隙を与えず、鳩尾に一撃を入れて土の上に放った。男は、辺りを見回す。夜が更けているので、しんと静まり返っているが、一室だけほの暗い灯りが漏れている。男は、そちらへ向かって歩を進めた。近づくと、庭に面した簀子縁や孫廂の御簾も巻き上げていて、奥の間で、二人の男が座っているのが見える。一人はすでに老齢の僧服姿で、一人はまだ年若く、帯剣している。僧服の男が話す内容を、年若い男が書きとっている様子だ。僧服の男は、ぎょろりと大きな目と鷲鼻が特徴的であった。よく引き締まった形の良い口元をしている。よく似た口元をした女を、大男は知っていた。大男は、自分の目指す相手が僧服の男だと踏むと、何の躊躇もなしに、汚れた裸足で床上に上がった。足音を忍ばせることもなく近づく相手に、僧服の男は大きな眼で見上げ、年若い男は、腰の太刀に手をやった。
「きさまは……」
 僧服の男が、そうつぶやく。大男は、腰を下ろすこともせず、畏まることもせず、立ったまま、「後白河院か」と問うた。
 年若い男が、殺気立つ。それを手で制して、僧服の男は、
「いかにも。朕が法皇である」
 と答えた。
 大男が一歩前へ進む。と、年若い男が片膝を立てて、太刀を抜きかけた。
「ならぬ!」
 後白河院が、そう叫んだ。するとその声に反応して、周りから帯剣した四、五人の男たちが姿を現した。大男は全く動じる様子なく、後白河院の方へまた近づいた。
「院、抜刀のご下命を!」
 男たちがそう叫ぶが、後白河院は大男のつま先から頭のてっぺんまでをにらみあげると、
「蔵人たちは、隣室にて控えよ」
 といった。
「従えませぬ!」
 蔵人の一人が、院に逆らって太刀を抜き、大男に襲い掛かった。が、大男はまるで舞でも舞うかのように、軽々と身をかわすと同時に、蔵人の手首を押さえて太刀を取り上げ、さらに、取り上げざまに身をひねって、蔵人の首を後ろから斬りおとそうとした。
「待て!」
後白河院がそう叫ぶと、太刀は蔵人のうなじに当たったところで止まった。一筋の赤い血筋が蔵人の白い襟を汚した。それを見るや、後白河院はひどく不機嫌な顔をした。
「御所を血で汚すなど、不吉な! 蔵人は下がれと申した!」
 その剣幕に、蔵人たちは怯えるように身を縮めて、いっせいに隣室へと姿を消した。
 後白河院は、自分の前の床を扇で叩いて、「腰を下ろせ」と言ったが、大男は立ったまま動かない。
「院の御子のことを、貴様が知っているとは思えぬが、一応問う。貴様の娘はいずこだ。死んだなどとても信じられぬ」
 大男が、そういうと、後白河院は一層不機嫌そうに、眉根を寄せた。
 生まれてよりこの方、「貴様」などと呼ばれたことは、一度もない。非常に気分が悪かった。が、このような慮外者に身分の上下を説いても無駄であろうと考えた。
「村尾成国であるな」
 大男は、一瞬、表情を硬くした。
「残念ながら、かの者の命絶えたは、真実。かの者に取り入って王権を望もうとも、それはもうできぬ。諦めて国へ帰るが良い」
「王権……だと?」
 大男の目は吊り上がった。唇を引き結び、太刀を持ったままの手がぶるぶると力強く震える。
「ふん、村尾は滅んだと聞いたが、いったいどのようないきさつで生きさらばえておるのじゃ。いや、まあよい。さっさと去(い)ね」
 大男は、震える手で太刀を上に構えた。そのまま振り下ろせば、後白河院の脳天は真っ二つに割れる。後白河院は、動じる様子なく、鷹のような力強い眼差しで見上げ、大男は、殺気をみなぎらせて底光りするような眼差しで見下す。が、ふと、その眼光を消すと、腹立たし気に太刀を庭の方へ投げ飛ばした。庭石に当たって、鋭い音とともに太刀が折れた。
「貴様に親子の情など説いても無益。国子が哀れでならぬ」
 そういうと、さっと身をひるがえし、院の御所から姿を消した。
 後白河院は、大きく息を吐いて、
「なんとも恐ろしい男がいた者よ。あのような者を自由にさせては、国が滅んでしまう」
 ぐったりと脇息に倒れ込んだ。
 その後、京で大男追捕に出た検非違使が返り討ちにあうという事件が発生した。また時折、九条兼実の留守に、邸の周りをうろつく者があり、それはやはり大男だった。
九条兼実は、御子のことを思い、なんとかしてその大男と会って話そうと、大男が出たという噂を聞けば、急いでそこへ駆けつけたりもしたが、結果会うことはかなわないまま、ある時を境に、大男の気配は京からぱったりとなくなってしまった。
ところが、文治五年九月。伯耆国で大男が院の召次を襲った事件が再び発生し、小鴨に命じて捕縛を試みた。三ヶ月にわたる逃亡の末、軍兵百人を投入してとうとう捕縛したのだった。
大男はそのまま、京へ移送されることとなった。

 御子は鎌倉に到着した。大倉御所と呼ばれる頼朝の邸を通り過ぎて義盛の館への道々、右に広がる海を護送の馬上から遠く見ることができた。もっと海に近づきたいと思ったが自由はきかず、鼻腔の奥で塩の匂いを探した。御子の身柄預かりの和田義盛の広大な館は三浦にあり、義盛が罪人を預かる職掌を担っていることから、邸の一角には牢があった。御子は当然牢に入れられるものと思っていたが、義盛は御子に一室を与え、當子の到着までの間、侍女をつけて手厚く遇した。
 ――義経殿が悲しまれますぞ。
 あの、義盛の言葉を、御子は何度も胸の中で繰り返していた。一度、話してみなければならぬと考えていたが、義盛はいつも頼朝に付き従って、その多忙を分け合っていたので、御子にはじっくり話をする機会などなかった。
 が、鎌倉に到着して二週間ほどたった頃、義盛の方から、御子のもとに先触れが送られてきた。
「折り入って伺いたきことがあると、我が主和田義盛が申しております。姫宮様のご都合を伺いとうございます」
 都合も何も、御子がすることといえば、医師に目と足の裏を診てもらうこと以外にはない。
義盛は、昼過ぎに御子の一室を訪れた。侍女が間に御簾を垂らしてから、義盛は居室に入った。よく晴れた気持ちの良い日であった。
「なにをお聞きになりたいのか」
 御子がそういうと、義盛は縁に控えている覚山坊をちらりと見て、
「姫宮様、お許しいただけるなら、お人払いを願い申し上げます」
「人払い、というより、覚山坊に周りを見張っていてもらおう」
 御子がそういうと、義盛の覚山坊を見る目が変わった。覚山坊が、庭に出て、人を寄せ付けないようにしている中で、義盛は声を潜めた。
「私は、西国での戦で九郎殿……源義経様を補佐しておりました。いまや、鎌倉では、義経様のお名前を出すこともはばかられる。しかし、義経様亡きあとも、私の心には、かの御方が住み着いて離れぬのです。かといって、今の大殿に二心を抱くようなものでもございませぬ。が、義経様最期のご様子を伺っておきたいと、そう思ったのです」
 御子は、うなずくと、つぶさに最期の時の義経を語った。そして、郷御前と姫君の墓が平泉にあることも伝えた。両目から涙がこぼれるのを義盛は袖で何度もぬぐった。
「姫宮様は、九郎殿を兄様とお呼びになった。これは、いかようなご縁からでしょう」
 御子は、伝えることに躊躇はしたものの、この和田義盛の人柄を疑うこともないと思って話すことにした。初めて頼朝に見(まみ)えたときに、自分の膝を折って跪かせた真意も、御子にはわかっていた。そのため、幼き日々の思い出を語って聞かせた。
「では、姫宮様は本当に九条院のご養育をお受けなさったのですね。失礼ながら、大殿への表向きのお話かと存じておりましたが……」
 そう言って、義盛は申し訳なさそうに笑った。
「もしや、姫宮様は、阿津賀志山合戦に加わっておられたのではございませぬか」
 御子は、眉を開いた。
「次々と展開される策に、正直申しまして鎌倉方は翻弄されたのでございます。まるで、九郎殿と戦しているような気が致しました」
 御子は、懐かしさが胸に迫った。ともに、兵法書を読んで育った義経が自分の中にいるような気がした。
「姫宮様、無理を承知で申し上げますが、大殿をお許しくださいませぬか。いまや、大殿は後白河院と同じほどに、いやもしかすれば恐れ多いことながら、院以上に力を持っております。ここで、義経様の仇討ちなどへ走られては、おそらく姫宮様の行く末、危ういことこの上なきことと存じます。さすがに院の姫宮を、我が大殿も弑し奉ることはできかねるとは思いますが、あるいは、このまま院への奏上せぬままだとすれば、御命さえ危ういのは必定」
「……では、父院にはまだ、私のことは伝わっていないと」
 義盛がうなずくのを見て、御子は納得した。
 ――やはり、頼朝は、父院と反目している。私を使って何か策を講じるつもりか、あるいは、父院との友好関係を築くために私を使うのかもしれぬ。いずれにせよ、頼朝にとって、私は大事な駒となった、ということだ。あちらがこちらを利用するということは、こちらも利用できる、ということにほかならぬだろう。
「さて、頼朝を、私が許すか許さぬかということであるが、今の気持ちとしては到底許すことなどできぬ。そもそも、頼朝がここまで力を得たのは、我が兄宮以仁王の令旨あったればこそ。しかし、その令旨の真意は、われらが父院を平家の呪縛からお救い奉らんがためであった。それも、相当のお悩みとお覚悟があって、兄宮様は令旨をお下しになったのだ。その令旨を掲げて挙兵したはずの頼朝が、わが父院に従うと見せかけて従わず、院宣も持たずして平泉に刃を向けたは、これ全くの私闘ではないか。そしてその私闘は、私が兄と慕う者の命を奪う、あるいは、平泉殲滅が目論見であったと思えば、到底許せるものではない」
 御子の言を聞くにつれて、義盛は次第に姿勢を低くした。全く、御子の言う通りで、義盛はぐうの音も出ない。
「が……」
 御子は、つづけた。
「今や捕らわれの身。すべては頼朝の手に握られておる。私が許す許さぬを口にするのは、益のないことであろうと思う」
 義盛は、恥じ入るように額づいた。が、床に鼻を押し付けながら、ふと思い至った。
 ――この姫宮は、以仁王が令旨を御出しになるその場にもいらっしゃったのだ。ということは、もうずっと戦に身を投じられてきたということではないか。
 顔を上げて、御簾の下から見える、御子の膝の上に乗った、傷のある手をじっと見つめた。
 
 義盛は、ある日、頼朝の前に畏まった。
「なんだ、改まって」
 頼朝は、人払いまで要求した義盛を、珍しそうに見た。
「姫宮のことでございますが、ひとつ、案がございます」
 頼朝は眉を開いて、ふむ、と答え、耳を傾ける。
「阿津賀志山の抵抗は、姫宮の策でございました」
 頼朝の顔つきが、急に険しくなった。義盛は、真剣なまなざしを頼朝に向けた。

四、赤子沈め
 

 當子がいまだ鎌倉到着をなさないために、御子の身の回りの世話は義盛の館の女房どもがしていた。なかなか鎌倉入りしない當子を案ずる気持ちが随分胸に積み重なって、御子は落ち着かない。
「姫宮様、お召し替えを」
 夜着の単衣になるために、當子なら御子の動きに合わせてゆっくりと一枚ずつ衣をはいでいく。ところが、ここの女房どもは忙しいのか、数枚をいっぺんにはぎ取るように脱がせる。と、御子の衣の内から、仲影の残した巻紙が落ちた。
「触れるでない!」
周防という女房がそれを拾う前に、御子は大急ぎで拾い上げると、懐にしまった。
 御子はあれからずっとこの巻紙を懐に入れていた。仲影が最期に託したものである。判読は難しくともおいそれと人の目に触れさせたくはない。それどころか、仲影の血がついているのだ、触らせるのは嫌だった。
 周防は、恐れ入って畏まり、
「申し訳ございませぬ。お許しを」
 と指をついた。
 御子は、つい荒々しい声を上げたことを恥じたが、それを言葉にする気にもならなかった。「よい。今後は不用意に触れるでない」とだけ言った。

 頼朝の館では、義盛が頼朝に御子の処遇について話していた。
「以仁王の令旨が書かれた場にも、ともにいらっしゃったご様子。阿津賀志山の防戦を拝見するに、戦上手の御方とお見受けいたします。今後の鎌倉のために、伏して願い申し上げます。姫宮を策士としてお加えくださいませ」
 このままでは、姫宮は頼朝の駒の一つに成り下がるか、後白河院への人質として使われるか、危うい行く末が
見え隠れしている。あの義経の妹分である姫宮の命だけは、義盛は救いたいと願ったのだ。さらに、もし姫宮が本当に策士として頼朝に従ってくれれば、鎌倉としては大きな力を得ることとなる。人質ではなく、頼朝の与力として院の姫宮が加わることになれば、貴族の下に位置する武家という構図は打ち壊すことができるし、逆転とはいかないまでも対等に存在できるのではないか。義盛はそう考えて進言したのだった。 
 頼朝は、険しくこめかみを引きつらせて聞いていたが、返事をしなかった。
「あの、覚山坊という僧兵は、何者なのかわかったのか」
 義盛は首を横に振って、
「全く掴めませぬ。しかし、姫宮はずいぶん信頼を寄せていらっしゃるご様子でした」
 ううむ、と頼朝は唸る。
「いくら考えても異様な姫宮だ。後白河院の姫宮といえば幾人もいるが、どの姫宮も目に入れてもいたくないほどにかわいがっていると聞く。それが、なんだあの者は。地の果て平泉で、すっかり日に焼けて男の形をし、あの手を見たか、太刀をふるい弓矢を使う手であろう。あの、大事そうに佩いている太刀も、姫宮が使うような代物ではない。警護のために一度取り上げて検分したが、伯耆の産ではないかと、鍛師が申しておった」
「では、大殿は、あのお方は偽の姫宮だと」
「いや……そうではない。そうとは思えぬ何かがある」
 例えば、鎌倉に戻る道々の、食事の仕方、立ち居振る舞い。そのどれをとっても決して武家のふるまいではなく、公家のふるまいだった。さらにあの気位の高さ、そう、持ち物だ。乳母子の當子なる女房が大事そうに抱えていた錦の袋に、衵扇と数珠が二つ、そして手鏡が入ってあったが、どの品もおいそれと手に入れられる代物ではない最上級品であった。
「おそらく、大天狗の姫宮であるのは間違いなかろう。そう考えれば平泉への侵攻を院が渋ったのも頷ける。しかし、そうであればなぜ……」
 頼朝は白目がちに天井を見上げる。
 ――何故大天狗は、姫宮の消息を問うてこぬのだ。
「頼朝様……」
「まあ、今はまだいかんともしがたい。ほかに火急の仕事もあるし、姫宮の目と足があの様子なら、当分はおとなしくしておろう。それでも、そちの手に余るというなら、御台(みだい)に任せてもよい」
「御台様に、でございますか」
 義盛は変な顔をした。頼朝の正室は、非常に悋気もちで側室は次々と痛い目にあっている。敵方とはいえ姫宮を御台所預かりにしては、いらぬ憶測を呼び、姫宮にどのような害が及ぶかわからぬ。
「御台様の御手を煩わせるのは、申し訳なく存じます。もう、数日後には、姫宮の女房も鎌倉に入るとの知らせもありますので」
「うむ」
 と、頼朝はしかし、何か考えを巡らせるように、黒目をぐるりと回した。

 ある日の早朝、覚山坊が義盛の館から人目を忍びながら出ると、旅の者が通り過ぎた。と、肩がぶつかる。その瞬時に、旅人は、覚山坊の懐に文を忍ばせた。
「や、これは失礼を」
 互いに会釈するとそのまま離れる。が、覚山坊は、そのまま進んで物陰に身を隠すと、懐から文を出し、急いで読む。読み終えるとすぐに義盛の館に入り、焚火の火に手紙を燃した。
御子は居室で自らの足の裏を見た。目はずいぶんよく見えるようになった。まだ、時折ひりひりと染みるときもあるが、今まで潤んで歪んでしか見えなかった景色が、以前と同じく見えるようにはなっていた。
しかし、足の裏がどうもすんなりとは治らない。奥州から鎌倉までは馬にまたがっていた。鐙が足の裏に食い込んではこすれ、足の裏の水ぶくれが破れること幾回にも重なり、いまだ漿が染み出ている。歩かずじっとしていればよいのだろうが、そいうわけにもいかず、治癒が遅れているらしい。
 おもうように歩けないので、どうにも御子は暇を持て余していた。
「姫宮様」
 義盛の邸の女房周防が、御簾の外で御子を伺うように声をかけた。
「御台所様がお見えです。お通ししてもよろしいでしょうか」
「御台所、とは何だ」
 初めて聞く呼び名に、御子は首をひねった。
「二品様の正室のことでございます」
 頼朝の正室……。一体何の用があるというのだ。と思いつつも、御子は御台所なる女を、居室に通すことを許した。御台所は、恭しく御簾の向こうで両手をついて額づいた。が、その格好は、御子と同じく直垂姿である。興味惹かれて御子が見つめていると、御簾ごしにも見られていると分かったのだろう、少し笑い声を漏らした。
「院の姫宮様におかれましては、ご機嫌麗しゅう存じます。頼朝の室政子でございます。以後、お見知りおき願い申し上げます」
 涼やかなまなじりを下げて、やさし気に微笑む。
「ふむ、さようか……」
 御子がそう答えたが、互いに次の言葉が出ず、時のたつ音が聞こえるほどに静かであった。
「姫宮様」
 口を開いたのは、政子の方であった。
「御馬にも乗られ、奥州では流鏑馬もなさったと、頼朝から聞いております。御御足に火傷をなさっているとはいえこちらにお籠りではお寂しいかと存じまして。つれづれの慰みに外へお出ましになりませぬか」
 平泉の郎従や平民から聞いたのか、どうもすっかり調べられているようだ。当然と言えば当然であろうが……。
「足に火傷を負って動けぬというに、そとへ連れ出そうというのか」
「牛車をご用意いたしましょう」
「いずれへ参ると?」
「さようですわね、ぜひご案内したい場所というのは、いくつもございますけれど、さしあたっては温泉に行きませぬか。御御足にも良いと存じます。頼朝は信心深い男なので寺も建てておりますし、美しい浜辺などもご覧に入れとうございますわ」
「浜辺……海が見られるのか」
 御子の胸に、寂しいぬくもりが沸き上がった。
「海を見たい」
「畏まりました」
 政子は微笑んだ。

「なに、御台所が姫宮をおつれしたと」
 義盛が詮議から帰ってくると、女房の一人がそう告げた。
「覚山坊はともに参られているか」
「いえ、御台所が怪しく汚らしい男は連れてゆかぬと。かわりに、周防がお供申し上げています」
「周防とは」
「先月からこの御館に上がっている女房でございます。頼朝様のご紹介ということで、殿さまが奥州より戻られる前にこの御館に入りましたが」
 義盛は、嫌な予感がした。

 御子はまず、湯に入った。
 温泉なるものに入ったことがなく、野外で湯につかるという行為があまりにも下賤に思えたが、足の傷を治すためならばと足だけつけようとした。しかし、政子が、古い傷にも良いと強く勧めるので、御子は女房達に守られながら、単衣のみを身に着け、湯に入ったのだった。
 御子の衣に、女房の一人がひそかに手を伸ばし、その中から一巻きの血の付いた紙を抜き出すと、その場を静かに離れた。
「周防、こちらじゃ」
湯冷ましの小屋にひそむ政子に手招きされると、周防と呼ばれた女房は、巻紙を手渡した。
「血まみれではないか。ほんとうにこれか、そなたが言っていた姫の大事のものというは」
「間違いございません」
「写せ」
 政子は、そばに控えていた男に巻紙を渡す。受け取った男は、急いで手紙の内容を書き写すと、またもとのごとくに巻いて政子に戻した。
 かくして巻紙は、御子の衣の中に元通り収まった。
 温泉での湯浴みを終えて館へ帰る途中、牛車に揺られていると潮の匂いがした。
御子はたまらず物見窓を開けて外を見る。
 まばゆい日の光を乱反射して、長い砂浜を波が洗っている。
 御子は、少々落胆した。やはり、伯耆で見た海とは全く違う。確かに美しく広々として気持ちが晴れ晴れするような海だが、御子は、伯耆で見た、心を遠くへ持っていかれるような、ずっと遠くへ自分の道を追い求めて進んでいくような気持ちにさせる、深く寒い色の海が見たいと思った。
「外へお出ましになりませぬか」
 物見に近づく馬上の政子に言われ、御子は恐る恐る砂浜に足を下ろした。足の裏の痛みを感じながら、砂の上を歩く。冬の海とはいえ、まばゆい煌めきに、御子は目にも痛みを感じて、瞼を閉じた。
「こちらは、由比ガ浜ともうします。絶景でございましょう」
 横で政子が言うのを聞く。が、政子の従者が、そわそわと落ち着かないそぶりを見せ、
「御台様、早くここから離れましょう」
 といった。御子はまだ瞼を閉じたままその声を聴いていた。
「情けないことを申すでない」
「しかし、どうもここは……九郎様に申し訳なく」
 従者がそういったので、御子は思わず目を開けた。
「九郎……? なにが申し訳ないと」
 政子は何も答えず、困ったように微笑んでいるが、その陰から従者が御子を見て、
「九郎殿の赤子が、こちらに沈められたので……」
すべて言い切る前に、政子が従者の頬を思い切り叩いた。
「いらぬことを!」
 御子は、訳の分からぬままにもあまりに不吉な言葉に、胸が悪かった。
「九郎……赤子……? 九郎判官義経の、赤子、と言ったか」
 政子は、焦って従者にあっちへ行けと手で払う。
 御子は、つい、政子の襟元を両手でつかんだ。
「いったい何のことだ」
 御子の目が恐ろしく光る。政子は、のど元の御子の手を払おうともがくが、御子の力が強くて払えず、尻もちをついてしまった。それでも御子の手は離れない。
「お、お放しくださいませ」
「赤子とはいかようなることだ。申せ! 沈められたとは、いったい何のことだ!」
 御子の恐ろしい剣幕に、政子は予想だにしなかったようで、焦燥を隠しきれない。
「お話します、話す! だから、この、手を……!」
「御子様! なりませぬ」
 後ろから御子は抱え上げられた。
 留守をしていたはずの覚山坊だった。覚山坊は、御子をそっと砂浜におろすと、「お気持ちを御静め下さい」とつぶやいた。政子は、砂浜の上で咳き込みながら、呼吸を整えると、今度は敵意のある眼差しで御子を見上げた。
「なんという荒々しい女子じゃ」
「話すのではないのか」
 御子の顔色がより険しくなるのを見て、政子は、悔しそうに歯噛みをして、
「数年前、義経殿の愛妾静殿が、義経殿の男児を御産みになったのです。私は止めたのです、嘆願いたしましたとも。しかし、頼朝は、生まれてすぐの赤子を布で巻き付けてこの海に沈めたのです」
 両手が震えるのを感じ、御子はかみしめる歯の間から息を漏らした。
「御台所、そなた、よくそのような男を夫にしたな」
 政子の顔に刹那、怒りが見えた。が、ふいに、目をそらし、海のかなたを見やった。
「我が夫のことながら、あまりにひどい仕打ちであることは、存じおります。しかし、これは、戦なのですから、しようのないことだったのでしょう」
 御子は、不意に口をつぐんだ。そして、黙ったまま牛車に向かって歩く。牛車に乗りかけたが、ふと躊躇した。この遠出に少なからぬ疑念を持ったのだ。その様子を見て、覚山坊は、御子の前に背中を見せてかがんだ。
「すまぬ」
 御子は、覚山坊の背におぶられる。
 二人は政子と牛車をそこに残して、義盛の邸までの道を歩き始めた。
 政子は、しばらく覚山坊におぶられて帰ってゆく御子の後姿を見送っていたが、唇を固く結ぶと馬にまたがり、御子たちを追い抜いて帰って行った。
「ついてきていたのか」
「鎌倉方の中にお一人で向かわせられませぬ故」
 御子は、覚山坊の短い頭髪を見る。白いものがちらほらと出始めていた。
「どこかで馬を借りよう。そこまではたのむ」
「なに、この覚山坊、御子様程度の軽さなら、三浦まで軽々と歩けますぞ。……御御足が治ったら、京に上げ参らせます。この覚山坊が、命に代えてもここから御子様をお逃し奉ります」
「命に代えても、とは、言うな」
 覚山坊は押し黙った。
「いかが思う、この海を通ったは、わざとのような気がするのだ。頼朝の、兄様への執着には病的な面がある。私と兄様の縁を、九条院という場所だけで疑いを持ったのだ。用心せねばならぬ。覚山坊、面倒であろうが、先ほどの、兄様の赤子の話が真実かどうか、後で調べてくれぬか。それと、頼朝と政子の仲がいまどうなのかも。わかる範囲でよい」
覚山坊は「はい」というと、黙々と道を進んだ。
夕暮れ時に、義盛の館に帰ってすぐ、覚山坊は調べに出たらしい。
夜になって帰ってきた覚山坊は、赤子の話は本当で、政子はひどく抗議したらしいということを告げた。しかし、頼朝と政子の仲は、今でも強い絆を保っているということも告げた。
 御子の困惑はひととおりではない。兄様の子が生まれてすぐに殺されたという衝撃もさることながら、それを平気でしてしまえる頼朝の恐ろしさも改めて実感した。そういう男であれば、弟殺しなど蚊を殺すのと同じ程度のことであろう。そう思えば、この鎌倉にこのままいては危ういという気がしてならなかった。

「頼朝殿、もう二度と私に姫宮の相手をさせなさいますな」
 政子はひどく憤慨した様子で、首元を撫でた。布でこすれた赤みが、瘡蓋になり始めていた。
「で、どうであった」
「義経殿への思い入れは、非常に強かろうと存じます。これが証拠ぞ、ほれ」
 政子は自分の赤くなった首を指さす。
「おお、これは恐ろしい目に合わせてしまった」
 さしてそう思っている風もなく、頼朝は笑いながら慰める。
 ――そうか、ではやはり、京での調べは誤りではないということだな。よくも嘘八百を並べ立てたものよ。
「そうそう、これじゃ、今日はこれを手に入れるためにいったのだから」
 政子は懐から、仲影の巻紙の写しを取り出した。
「随分血で汚れておっての、気味の悪い代物であった。上の半分ほどは斬られてなくなっておった」
 政子が横でそう言うのを聞きながら、頼朝は巻紙を広げる。と、最後の署名に目を見開いた。
「なんと、長谷部信連とな」
「誰じゃ」
「以仁王一の家臣で、御乱の折に、清盛によって伯耆は日野に遠流された名の知れた武士だ。小鴨が村尾を滅ぼした際には日野の民を守り、小鴨もさすがに手が出せなかったと。その功績をもって、わしが一旦安芸国検非違使所に補したが、先年、能登六郡の地頭職に任じ、今は御家人になっている。一体いかような縁があって、信連の文を姫宮が持っているのだ」
 ふと、御子の持つ太刀が伯耆の産であったことを思い出す。
「ううむ。どういうことか信連に聞くよりほかないな」
 ――やはり、あの姫宮は、義盛の言う通り以仁王とともに戦したということか。信連と懇意であるからこそのこの文と考えると、合点はゆく。音に聞く宇治川の合戦を共に戦ったのだ。もしかすれば、南都焼き討ちにも居合わせたのか……。
「これは、一筋縄ではゆかぬぞ」
 つい、こぼした頼朝を、政子は怪訝そうに見た。

五、来し方因果

 尼君と當子が無事に鎌倉入りをしてから、数か月たち、年が明けての二月末のことだった。
 すっかり小さくなった尼君に、御子は申し訳が立たぬような気がした。お体を整えられたら、一日も早く京へお帰り頂かねばならぬ。このような鄙で野蛮な地に長居するのは、尼君にはよくないと思った。
 鎌倉は、京や平泉のような華のような美しさがない。尼君の心の慰みになるようなものは、なかった。ただ、一つだけ、寺院だけはいくつも立てられてあり、意外なことに頼朝が非常に信心しているためだということだった。
「折り入ってのお話とはいかようなることでしょう」
 義盛が、御子の居室に来た。
「尼君が、いずれでもよいので参詣したいと申されているのだが、お連れしてもよいものか」
 義盛の一存では決めかねるので、頼朝に伺いを立てると、頼朝自身がが鶴岡八幡宮へお連れするという返事が来た。
 ――大殿が御一緒とは、少々不安もあるが。
 義盛は、牛車を乗りやすく整えて、尼君と當子を乗せた。御子は、足の裏も治ったので馬にまたがり、すぐそばに覚山坊を控えさせていた。
 鶴岡八幡宮の長い長い階段を上がると、頼朝と政子はすでに本宮に入って待っていた。政子はこの日は袿を着て美しく化粧をしていた。御子と目が合うとむっとした顔を一瞬見せたものの、すぐににこやかな顔をつくって頭を下げた。御子は、頼朝と政子に目礼だけして、ご神体に向かって腰を下ろした。宮司の祝詞を聞きながら畏まる。約半時ほどの儀式を終えて、頼朝と政子は、宮司とともに奥へ姿を消した。
「頼朝は、何をしに行ったのか」
 御子がつぶやくと、すぐ近くで声がした。
「放生会を今年も行うかどうか、会談なさるのでしょう」
驚いて振り向くとすぐ近くに供僧が立っていた。足元のおぼつかない尼君の手を支えた、ひどく美しい僧だ。
「御坊、御手を煩わせ申す」
 御子は、その供僧から尼君の手を受け取って、本宮の外に出た。境内には桜が咲き、青い空に晴れ晴れしい枝ぶりを誇る。その間からは遠くにつやつやとした海のきらめきが垣間見える。尼君はその景色を見ながら少しくつろぎたいといった。
 近くの岩に腰かける尼君を、當子と覚山坊に任せて、御子は所在なげに少し歩いた。整然と掃き清められた境内は、いかにも武家の影響を受けているようだ。
「ふん、放生会とな。おかしすぎて涙が出るわ」
 誰もおらぬと思って、ついつぶやくと、すぐ後ろで、
「おかしいでしょうか」
 と声がした。飛び上がらんばかりに驚いて振り向くと、先ほどの供僧がついて歩いてきていた。
「おかしかろう。奥州合戦でいかほどの武士が命を落としたと思う。あのような無意味な戦をして弟まで殺し、何が放生会だ」
「……義経様のことですね」
 僧は、境内の桜の花を見上げてそうつぶやく。
「それだけではないわ。その赤子まで海に沈めたというではないか。あれほどの大罪人がいようか」
「大罪人……罪、ですか」
 僧は桜から視線を御子に移した。
御子より少し年かさに見えた。齢二十七、八か。あまりにも美しいが、美しさを通り越して、人外のもののような気配がある。
「姫宮様には、頼朝様を責める資格があると」
「当然であろう!」
 御子は思わずかっとなった。
「頼朝さえ尋常であれば、兄様も仲影も今でも生きておるわ!」
「兄様? 仲影、とは?」
「義経殿と、我が乳母子のことだ。仲影は奥州合戦で落命したのだ」
僧はしばし考えを巡らせているように、桜の幹に這うように咲く小さな蕾に指先を添わせた。
「姫宮様は、何人(なんびと)の命も、奪われていないと……」
 そういってふいに、振り向きざまに御子の右手を握った。しっとりと冷たい手だ。
 王胤の体に無遠慮に触れるなどもってのほか、と思う間もなく、御子の胸がどきりと痛んだ。
 右手の甲を、僧はもう一方の手で傷を確認するかのようにそっとなでる。
「仕方、なかろう……このようにしか、生きられなかったのだ」
「仕方なかったのですね。戦の道をお選びになったのは、仕方のないこと……」
 この僧は、恐ろしい。そう直感しているのに、その場から立ち去ることもできずに、御子は反論してしまう。
「……父い……父が、私をお認めにさえなってくださっていたら……」
 ふと、御子の気持ちは変なところに落ち着いた気がした。
「そうだ、私を子として認めてくださっていたら、このような道を選ばずに済んだものを」
「そうですか。何故認めて戴かねばならなかったのですか」
「子であるものが、父に認めてもらうのに理由などあろうか! ……いや、それだけではない、九条院様が、父子仲良うしてほしいと」
「九条院……。その御方は?」
「私を育ててくださった方だ。その方が亡くなる前に、私と父と、仲良うしてほしいと。だから、だから私は!」
 僧は、じっと御子の目を見つめた。
「なにゆえ、お父君は、あなた様をお認め下さらなかったのでしょう」
「それは……」
 御子は、言葉を飲み込んだ。この僧は、もしかすれば、頼朝の間者かもしれぬ、ふとそこに思い至った。そして、胸を苦しくしながら、今この僧に話したことで、聞かれてはならぬことがあったかどうかを振り返った。
 御子が、黙ってしまったので、僧は、ふふっと笑って見せた。
「姫宮様でありながら、戦にお出ましになり、男の格好をなさっていると聞いて、いかほどの信念をお持ちの方かと思いましたが、随分、悩みぶかき御方でした」
「何……?」
「拙僧からすれば、姫宮様は、やれ九条院が、やれ父君が、頼朝がと、自分の行いの元凶はすべてほかの御方にあるとお考えのご様子。果たしてそうでしょうか」
 御子は、この僧が何を言い出すのか、恐ろしくてならなかった。
「九条院という御方が御望みであろうと、姫宮様の御思いのままになさればよろしかったのです」
「恩のある御方の、ご遺言ともいえる言葉に違えることができようか。それもあの時は、私はまだ分別もつかぬ子供だったのだ」
「さようでございますか、では、裳着を済ませられたころはいかがでしょう」
 裳着は済ませておらぬが、大人になってから、というなら、以仁王とともに戦に身を投じたころだ……。
「父君様に認められようとしてこの道を進むよりほかなかったと、本当にお思いですか。ほかに道はなかったのでしょうか。なにも、父に認められずとも、ご自身の好きな道を歩まれればよかったのではございませぬか」
「好きな……」
 あの当時、好きだったこと。仲影たちとともに兵法書を読んだり、そうだ、琴を奏でることが好きだったように思う……。しかし、心底好きだったろうか。あの頃の自分の心を動かしていたのは、以仁王……兄宮とともにいた自分自身だ。何かができる自分に希望を持っていた。兄宮となら……と。
「戦の道を歩まずとも、心の通じる方と縁をお持ちになり、穏やかな日々を過ごすこともできたのではありませぬか? そうすれば、その、乳母子の仲影様も、ご存命だったのでは」
 御子は、頬を強か張られたような強い衝撃を受けた。雪の降りしきる中、自分を見送る成国の姿が、目の前にちらついた。死の間際、刹那に微笑んだ仲影が甦った。思わず、僧から右手を取り戻すと、その美しい顔を見据えながら、後ずさりをした。
「姫宮様が、義経様やその仲影様を大事にお思いのように、姫宮様が直接手をお下しになった武士たちを、大事に思う人がいたでしょうね」
「な……」
 御子は、身が震えた。御子の足元で砂利がしきりに鳴る。御子が怯えるのを、僧はまるで憐れむかのように微笑んで見つめる。その哀れみのまなざしに身を斬り裂かれるような気がして。御子は思わず、腰を抜かすようにしりもちをついた。
僧は微笑んだまま、御子の顔を覗き込んだ。
「悩むことも、惑うことも、必要でしょう。今のあなた様には」
「なれば、……なれば御坊に問う」
 尻もちをついた体を支えようと地面についた御子の両手が、砂利を掴んだ。
「御坊は、自身には、罪はないと言い切れるのか」
「さて……いかがでしょう。わかりませぬが、少なくとも、自身で選び取ってきた道のりを、他人のせいには致しませぬ。はっきり申し上げますが、あなたの道は、あなたが選んで参られたもの。罪があろうがなかろうが、そのすべてを受け入れて、生きてゆかれるよう進言申し上げます」
 僧は、恭しく合唱して深々と頭を下げると、御子の横を、砂利の音も涼やかに歩いて去っていった。
 ――なんだ、あの僧は……。いったい何者なのだ。間者なのか? 間者にしては堂々たる態度……。
 心配そうに駆け寄ってきた覚山坊に助け起こされて、力の入らぬ足で立ち上がりながら、御子は僧を見送った。
 僧は、そのまま何事もなかったような涼しい顔で本宮に向かってゆく。年かさの僧とすれ違って会釈し、そのまま本宮の中に入ってしまった。
 僧と会釈をした年かさの僧が、御子を見つけて近づき、丁寧に頭を下げたので、御子はつい、聞いた。
「今すれ違われた僧は、何者です」
 聞かれた僧は、一瞬きょとんとしたが、次に苦笑を浮かべて、
「姫宮様に失礼がございましたでしょうか。どうにも言葉が過ぎる若輩者でして。三歳の頃にここの鳥居の下に捨て置かれていたのを、一旦は宮司様が御武家の御養子に出されたものの、つい五年ほど前に戻って参りまして。かの者がこの神宮寺に来てからは、僧の間でもいさかいが絶えぬので、こまっているのです」
「なんと、鳥居の下にか」
「ええ、簀巻きにされてずぶ濡れで、かろうじて意識があったものを宮司様が懇ろに介抱して回復したのです。どのようないきさつがあったのか存じませぬが、わずか三つの幼子にひどいことをする輩がいるものですなぁ」
 ――簀巻きで濡れていた……どこかで聞いた話だが、齢が合わぬ。
「武家の養子といったな……まさか、頼朝の養子か」
「いいえ、名もない御武家様でした。しかし、本人がどうしても武家にはなりとうないと、そう言って戻ってきたのです」
 ――なんとも奇怪な僧だ。
かの僧の言葉は深く突き刺さって、御子の胸をえぐり、心に重く何かを植え付けたのだった。

 鶴岡八幡宮での僧とのやり取り以降、御子の心が晴れることはなかった。これほど過酷な道を、自分が選んできた道だなどと言われて、気分がわるい。あの僧のように考えれば、仲影は死ななかったのだ。仲影を殺したのは、自分自身だと……。
 そこへ考えが逢着すると、御子の世界はぐるりと回転した。
 ――これは……!
「當子、清筥(しのはこ)を……」
そう言いかけて、抑えるいとまもなく、胃の腑のものが外へ噴き出た。
「御子様!」
 當子が血相を変えて、前へ倒れ込む御子に駆け寄る。覚山坊も、庭から草履のまま駆け上がる。
「毒を召されたか!」
 ――毒? ある意味、毒かもしれぬ。ああ、ひどく疲れた。もう、疲れたのだ……。すべて終わらせてしまいたい。いっそ、毒であればよいのに……。
 目の前で、當子が義盛の館の女房に医師を呼ぶよう、狂ったような叫び声をあげている。両手を震わせて悲壮な表情で近寄ってくる尼君の顔も見える。
 ――いいや、ならぬ。まだ死ねぬ。京へ、大和へ連れ帰らねば……。
 あまりに世界が回るので瞼を閉じた。が、瞼の中でも一天四海がぐるぐると大きく回っている感覚が御子を襲う。ふいに、仲影の最期が脳裏によぎる。
 ――そうだ、死ぬことは許されぬ。仲影が救ってくれたのだ。死んではならぬ。
 そう思って、意を決して目を開けた。
 途端にまた、ひどく吐いた。
 が、すべて吐き出してしまえば、あとは落ち着いてきて、御子はそのまま眠りに落ちた。

「御心配には及びませぬ。毒ではないでしょう」
 聞きなれぬ老人の声が聞こえて、御子は眠りから意識を覚ました。しかし、目を開けることが怖くて、そのまま瞼は閉じていた。周りの人々の安堵のため息が聞こえる。
「それは、何より。しかし……それでは、何故このようになられたのだ」
 義盛の声だ。駆け付けてくれたらしい。
「御疲れが出たのでしょうな。なに、二、三日もすれば、お元気になられよう」
 老人は帰って行ったようだ。當子の足音がついて出ていく。
「まあ、驚きましたよ。このようなことは初めてで。御子は達者なものとばかり思っていましたが」
 尼君の声が震えている。遠くから足音が戻ってきて、
「御薬などは不要とか。当面は、塩味のものは口にせず、酢をかけて何でも召しあがるようにと言われましたわ」
「薬もいらぬのなら、本当に大事ないのでしょう。ああ、安堵いたしました。大殿よりお預かりの、天下の後白河院の姫宮をこの鎌倉の地で害してしまえば、また争いを招きかねませぬから」
 義盛がそういったところへ、男らしい力強い足音がやってきた。
「和田殿、大殿が、姫宮のご様子を気にかけておいでです。大倉御所の医師をお連れしましたが」
「いや、大事ないとのこと。すでにわが邸の医師に見立てさせた。大殿に重々お礼申し上げておいてくれ。また夜にでもご報告に参ると」
「はっ」
 男の足音は、力強く戻って行った。
 ――あの僧から、頼朝はまだ何も聞いていないらしい。父院という言葉は避けたつもりだったが、よく考えれば、自分の身分は知れていたのだから、後白河院に認めてもらえぬ姫宮だということは、あの僧には分かったはずだ。もしあの僧がすでに話していれば、使い道のない自分に頼朝が医師まで差し向けてくるほど、懇ろに対処はするまい。
 しかし、不思議な僧だった。恐ろしさに逃げたくなるのに、反論せざるを得ず、いらぬことまでまるで芋づるのように引き出されてしまう。つるつると、九条院のことまで話してしまった。
 もし、自分が後白河院に認められていない子だと知れてしまったら、頼朝が自分をどう扱うか。當子や尼君など、ひとたまりもなく殺されてしまうのではないか。
御子はいまだ瞼を開けることもできず、真っ暗な世界の中で思惑を巡らせた。
どうも頼朝と父院の仲は、表面上はうまく行って見えるが水面下では攻防を繰り返しているとようだ。その証拠に、奥州攻めの院宣は戦が終わるまで下されなかったし、幾度となく頼朝が求めている征夷大将軍という地位を、父院はずっと与えずにいる。頼朝の様子を見るに、征夷大将軍の名は喉から手が出るほどにほしいはずだ。祖先源義家も鎮守府将軍の任を負っていたうえに、鎮守府将軍であった奥州藤原氏を倒した以上は、それと同等、あるいはそれ以上の大将軍の名はほしいだろう。冷静に見れば、頼朝という単なる流人が御家人を取りまとめて私闘を行ったにすぎぬ。それでもあれだけの軍勢が集まったのは、新たに作った守護・地頭を各地に置いて御家人としての地方地方の武士とつながりを作ったからだ。彼らに褒賞を与えた手前、より高い職名を望まねば、格好がつかないではないか。
御子はまだ瞼を開けずにいた。
とにかく今の気がかりは、尼君と當子だ。何とかせねば……。あの僧が、父院との関係を頼朝に話してしまう前に、手を打たねばならぬ。
御子は、真っ暗な世界の中に、一点の光を見た気がした。そして、早々に都に上るべく、頼朝と対峙することに決めた。 

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