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全てのSNSが繋がっていてしまうことを恐れている

「勝手に選別される世界」怖い。まだ未読。
FacebookのInstagram繋がらせるのとか、Twitterを電話帳と繋がらせるのとか、上手く言えないけど嫌なんだよね。SNS全てが互換性を持ってしまうのが嫌というより困る。
Facebookは本名で、学生時代の友人や前の職場の知人が[友達]にいる。一種のリアルな繋がり。本音はアカウント削除したいんだけれど、何か人脈が必要な時に、とか仲良くしていたい人がいる、との理由で削除に至らない。人脈が、なんて考えて利己的になって狡猾な理由でFacebookを削除出来ないなんて、なんて自己中心的な自分勝手な人間なのだろうとも思う。まぁ、いまだかつて人脈で仕事が上手くいったりなんとかなったことはあまりないが。

Instagramも知人数人は知ってるけどわざわざ人に教えない。やってないって言う。事実あまり投稿せず観賞用。
TwitterもアメブロもTumblrもnoteもコテハンやニックネームで 知人や知り合いには教えてない、教えたくない。
私主観の見解や出来事や感情を多少露にしているので、もし知人が知って、自分のことだと感じて嫌な思いをさせてしまうかもしれないと懸念することもある。どこまでが言論や思想の自由かの境界線が曖昧で、自分でも曖昧にしか理解出来ていない。前の職場の事などは秘密保持の書類に印を押させられてしまっているので深い内容や勤務体制などは漏らすと訴えられかねないので、話さないようにしているが曝してやりたいことはいくつもある。知り得た個人情報は勿論語らない。きちんと守るべきところは守っていることもあるけれど、日常を綴り、感情も思考も綴りたい、何かを文字にしていると落ち着く。

勝手に選別される世界――ネットの「評判」がリアルを支配するとき、あなたの人生はどう変わるのか https://www.amazon.co.jp/dp/4478023093/ref=cm_sw_r_other_apa_i_7hevCbTEYS4PB

学生時代はmixi全盛期で、mixiで現実の友人とも繋がっていて、でも酔って本音のメンヘラ日記とか書いちゃって友人から距離置かれたりした。説教して怒ってくれる友人もいた。酔って本音をSNSに書くなんて、まるで今話題の某市の職員みたいだ。
その後は、Twitter流行り出して、これまた親友と繋がっていたんだけど、私の呟いた言葉(「空リプ」だと思われた)で反感を買ってしまったようで、疎遠になってしまった。親友の事を指しての言葉ではなくて、特に考えずに呟いた言葉だったのに。親友は自分のことを呟かれているように感じてしまったみたいだ。残念だ、まだあの親友がいてくれたら…と寂しくなる時もある。


好きなことを思ったままに呟きたい。例え一時の感情でも仕方ない。何かに吐き出したい。それを知人以外の人達に共感されたい、理解されたい、そんなエゴイストな感情で呟いていたりする。その感情や思考がずっと続く価値観になって私を作っていくのかどうかは神のみぞ知る、と思いながら今日も知人に見つかりませんようにと願いながら言葉を綴り、呟く。
とはいえ、人、他人に嫌な思いはさせないように気を付けている。好きなものをディスられるのは誰だって嫌だと思うので、他人の好きなものはディスらない。「嫌い」ではなくて「苦手」と言うようにしたりと多少は気を使っている。そもそも、そんなに言わないのだけれど。

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