見出し画像

お金がなくても、土地がなくても、できるのだと思いたかった

こんばんは。ミサキです。二週間ぶりくらいに記事を書きます。


9月ももう下旬に入りましたね。修了論文の締切まであと3か月を切ったようで、もう毎日がガクブルです。毎日おなかいたい。(ストレスなのか何かの病気なのかわかんないので、来週胃カメラ検査を受けることになりました。ドキドキだー。)


修了論文の締切が迫ってきているということで、論文を執筆するためにも、ミジュツカの今までを振り返ってみようと思い、noteをこうして開いています。なんか数週間前にも「今までを振り返って今後を考える」みたいな記事を書いてましたね。私はいったい何度振り返るつもりなんだろう。


「作品を作るために必要なもの」と「作品を作り続けるために必要なもの」

昨年12月頃の私は、制作するために必要なものってなんだろうって考えていたようです。しかもなんかね、「作品を作るために必要なもの」と「作品を作り続けるために必要なもの」っていうのを分けて考えてたみたい・・・。どうしてその思考に至ったのかはわかんないけど、昨年度の私は非常に脳がさえていて素晴らしいなと思いました。一応、何が必要だと考えていたのかを書いておきましょう。

「作品を作るために必要なもの」(2020年度のミサキ主張)

アイデア、材料、道具、時間、制作費、(一時的な)制作環境

「作品を作り続けるために必要なもの」(2020年度のミサキ主張)

アイデア、制作費、まとまって安定的にとることができる制作のための時間、生活費、長期的に使える制作環境、(熱狂的な)ファン、人間関係


「制作費」の定義がわかんないのが物足りない感じですけど、「まぁ確かにそうだよな」って資料を読み返して納得してます。「作品を作るために必要なもの」であれば、一時的に講座やワークショップに参加することで得られます。けれども、「作品を作り続けるために必要なもの」となると、それらを得て維持していくことに相当の努力が必要になります。で、その努力が必要な部分を支えてくれる人がいたのなら、もっと創作活動をしやすくなるんじゃないのかなぁとか思ってたんですね。もしお金持ちではない私が支援者側になるとしたら、創作活動を続けようとしている人々が必要としているものを、どうすれば提供できるのか、と色々調べながら考えていました。それが今の活動につながってきます。

「ミジュツカ」の意図

さて、今年度のはじめというか昨年度の終わりごろに構想ができて始まったミジュツカ(その時は名前がなかったけど)ですが、5月22日のゼミの発表資料を見てみると、私はこんなことを書いていました。

画像1

画像2

画像3

画像5

こうしてみてみると、昨年度の私が考えていたのとはだいぶ異なったアプローチをしているような気が・・・いや、気のせいじゃなさそう。

しいて言うなら、制作費の回収と人間関係くらいかなぁ。昨年度の私の考えと共通しているのは。

制作場所に関しては、みんな学生だから学校に来れば制作できるしね。私の出る幕はございませんよ。制作時間に関しても、学費生活費をすべて自分で稼いで払っている人でもない限りは、自分で調整すれば得られるわけで。道具も先生から借りられるし。おそらく、昨年度の私が考えていたようなことは、この大学界隈ではあまり用のないものかな、と今思いました。

ただ、これらって大学を出たとたんに一気に失われてしまうものでもある。参加してくれている学生が、そのことに気づいているかどうかはわからないけれど。卒業後も活動を続けたいなら、今のうちから準備をしておくことが大切だと思います。それは単にお金を貯めるとかだけではなくて、協力してくれる方々とつながっておくこと、熱心なファンを獲得しておくような、そういう人間関係を余裕ある今のうちに築いておくことが、後々の自分を救ってくれるはずと私は信じています。というか現に、ミジュツカの活動は周囲の人々のご厚意によって成立していますからね。学生のうちから準備をしておこうよ、という思いがあってミジュツカって始まったんだな・・・(作った本人が忘れてた)。


お金がなくても、土地がなくても、できるのだと思いたかった

ミジュツカの活動は、もう本当にこれにつきます。美術って、どうしても金持ちの道楽みたいなところがある。それは、制作にも鑑賞にも言えること。

だからこそ、お金がなくても土地がなくても、「周囲の人々の協力があれば」制作も発表も販売もできるんだ!っていうことを証明したくて、いま私は「ミジュツカ」という活動をしています。

ただ、やってきて分かったのですが、どうしても「周囲の人々の協力」を前提とする活動は不安定になってしまいます。協力してくださる方の事情で、それ以上の協力を受けることは難しくなることがあります。あるいは、協力していただいているからこその、意見や価値観、方向性が合わずに身動きが取れなくなることもあります。協力してくださっている方には本当に申し訳ないのですが、当初やりたいと思っていたことから活動や目標がずれていって、期待に応えられないこともあります(そもそも期待してねぇよ、という率直なご意見もあるでしょうが)。これについては本当に申し訳なく思ってます(ちゃんと説明していればよかったのかな)。

で、最近思ったのは、「やりたいようにやるんなら、金は必要だ!」です。

見出しとめちゃめちゃ矛盾しよる。

最近新しい夢ができたんですが、それを実現するにはお金が必要です。クラウドファンディングも考えたけど、それは私のやりたいことの自由度を狭めてしまう気がするので、今のところはやるつもりはありません。自分で働いて制作して稼いで貯めたお金で実現したい。自分のお金で、アーティストランスペース的なものをつくりたい。誰からも期待されず、誰にも失望されず、自分(たち)のやりたいようにやりたい。誰かの事情によって右往左往せずにやりたい。わあ~~~~~~!!!!!!!

ってここ数週間なってんたんですが、でもこの考え方って、すごい分断的なんですよね。今まで協力してくださってた方々をないがしろにしているように思う。自立・独立と孤立は違うんだってことを理解できていない。作家には社会とのかかわりがなければならないことを忘れてしまっている。自ら、その制作と発表の場をつぶしにいっている。


mmmむーーーずかしぃよなぁ。

今のこの、周囲の協力に依存している状況は改善しなければならないことは明白です。だって、ふとした時にその場所は失われてしまうから(特に今は社会状況的にそう)。でも、こうして協力していただかないとできない活動だからこそ、人間関係が広がっていること、興味をいくばくかは抱いていただきやすいということも、この数か月を通して実感してきました。町にいきなり新しい店をぽつんと構えるよりも、こうしていくつかの店舗に協力していただいて、作品を置かせていただいた方が、人とのつながりができやすかったです。人生24年目のワタクシはお店を持ったことがないから推測の域を出ないのですけれども。


なんというか、協力してくださる方々に「依存している」ように感じるのは、こちらが「協力してもらってる」「相手に何一つ返せていない」と意識的にしろ無意識的にしろ、思ってしまっているからなのでしょうね。「ミジュツカ」の活動と関わることが、程度の差こそあれ、誰にとってもプラスになるようにしていかないといけないのだな、とやっと考えるようになりました。前は勝手に引け目を感じてそれで終わってた。具体的にどうすればプラスになるのか、全く見当がつきませんが、時間をかけて考えたいと思います。あるいは、この活動を強引にでも続けていくことで何かを共有することにつながるのかもしれません。

「お金がなくても、土地がなくても、できるのだと思いたかった」と書きましたが、今後は「お金があってもなくても、土地があってもなくても、店があってもなくても、できるのだ」と断言できるようにしてきたいです(蚊の鳴くような声)。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?