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救急車に2回乗った2023年

2022年に続き、怒涛の一年だった2023年。

今年はいったい何回病院に行ったのだろう...
兄の付き添いに加え、自身の病気もあり色んな病院にお世話になったのは間違いない。

少々長くなりますが今年の記録を残そうと思います。
メインはやはり病気の話です。

兄の検診と白内障


1月は年明けから15才年上の兄(67才同居)の難病の定期受診からスタート。
1月はその兄の右眼の白内障手術もあった。

定期検診の結果は全て良好。
変わりなし。

兄は2022年に発症した自己免疫疾患系の難病でステロイドを毎日服用している。
その影響で両眼ともに白内障になってしまった。

右眼は1月に、左眼は5月に手術をした。
両眼ともに4泊の入院だった。

ユーカリの影かわいい

母、二度目の急性腎盂炎に


そして3月に91才の母が急性腎盂炎に。

一年前にも同じ病気になっていて、年齢もあってその度に覚悟してほしいと医師から伝えらる。

だけど母は肺炎にもならずに完全復活。
本当に生命力がすごいと思う。

病院の医療院で胃ろうで寝たきりだけど私たちのことも分かるようで、今は変わりなく居てくれてます。

神棚の位置

そして4月。

家の神棚の位置がおかしな事になっていることが発覚。

なんと家の神棚、西向きでした(汗)
いったいいつからなのか.....
母が嫁いで来る前に建てたこの家なのでその辺は不明です。

なので急きょ、南向きの場所へ移動するために兄と二人で悪戦苦闘(爆汗)

だけど無事、新しい場所に移動していただくことができました。
これで神様に居心地悪い思いをさせずに済みます(ホッ)

白内障手術の予後

そして5月。

兄の左眼の白内障手術。
手術は無事終わりましたが予後が思わしくなく、2週間ぐらいしたらまた白内障の症状が現れていました。

これは術後、数パーセントの人に再び現れる症状だと術前に医師から説明を受けていました。

兄はそれのようでしたが、薬の影響もあり症状も変化していくのでレーザー治療はすぐにはおこなわず経過観察となりました。
(結局、レーザー治療は8月となる)

母の尿路感染症

そして6月。

今度は母が発熱したと病院から連絡あり。
尿路感染症によるもので、やはり医師から覚悟せいと説明あり。

だけど母、酷くならずに快方に向かい10日ぐらいで治癒。
ホッとひと安心でした。

この夏、救急車に2回

そして7月。
ここから怒涛の後半戦がはじまる。

7月前半は兄の難病点滴治療で隣県の病院へ一泊入院。
車で行くために私も付き添って近くにホテルをとって一泊した。

退院した翌日はいつもの総合病院へ難病の定期検診とハードだったー。

この頃から私の体調がすこぶる悪くなり、目眩に悩まされ今まで拒絶していた病院通いが始まる。

病院に行くということが私にとって青天の霹靂ぐらいの驚きだったので投稿にも書きました。

まずは耳鼻咽喉科通いがはじまるのです。

お盆前後の時期がすごく酷くて、たまらず救急車を呼んだこともありました(2回)

1回目は目眩を止める点滴をしてもらって数時間で帰宅。
話もちゃんとできるし歩けるから特別な検査もありませんでした。

2回目はめちゃくちゃ暑い時期で、救急車に乗ったはいいけど熱中症患者で病院がパンクしていてどうしようもないと言われ、私の症状が軽症だからという理由で近所の内科に連れていかれました。

そこでなんと....点滴など何もせず医師の話を聞いただけで帰宅しました。
気分悪いのに何もしなかったんです。

先生になんかしてくれ!とお願いしたけど、なんやかんや理由をつけて何もしてくれませんでした。

だけど、それから目眩は治まっていき体調は良くなっていったのです。

ただ、耳鼻咽喉科には通っていました。

2件目の耳鼻咽喉科で、目眩はメニエール病ではなく自律神経と言われやっぱり更年期の影響が大きいのかもと思い街の婦人科クリニックに行くことを決めました。

気軽に行った婦人科でまさかの診断

8月のお盆明けに街の婦人科クリニックに行きました。

この時は血液検査でホルモンの数値をみてもらって薬を処方してもらうだけだと思っていて気楽に構えてたのを覚えています。

だけど医師の「内診します」の一言でドン底に落ちる私.....

内診とかしたらなんか見つかるかも!
と思ったけど、もう逃げるわけにもいかず
ガクブルで内診台に乗りました。

で、右側の卵巣が大きくなっているのが分かり総合病院送りになったのです。
この頃は現実が受け止められずかなり情緒不安定になってた。

死んでも嫌だと思ってたMRI

9月になってすぐに紹介された総合病院へ。
兄も通っているいつものところです。

そこでMRIの予約を翌週に取り、死んでも嫌だと思っていたMRI検査をすることになりました。

死ぬ気で挑みました。

その結果、不可解な行動をとることになった私。
そのときの模様はこの投稿で。

絶対死ぬと思ってたMRIが終わり、大きな山場を超え、ここから手術までの2ヶ月はすごく元気に過ごしました(謎に)

MRIの結果、右側の卵巣はなんと17cmにも巨大化していて子宮の上に覆いかぶさっていたのです。

人生ニ度目の手術へ

10月30日に入院して31日に手術、11月6日に退院しました。

右側卵巣腫瘍でした。

30年前に左側の卵巣を摘出しているので、これで私の体から卵巣が無くなり子宮だけとなりました。

入院の記録はこちらにあります。

摘出手術をしてから年末まではなんだかバタバタと過ぎ去っていった感じです。

退院後、炎症値がなかなか下がらずしんどかったけど、抗生物質が終わって一ヶ月経った頃から体はかなり楽になり体力が徐々に戻ってきた感覚がありました。

ただ、更年期の症状が再び感じられるようになり、街の婦人科クリニック通いが始まりました。

今は漢方23番の当帰芍薬散を飲んでいます。


兄の再検査

今月、12月は兄の難病の定期検診でした。
今回は肺のCTも。

難病の方の血液検診はなにごともなく終わったのですが、肺の検診の方に少し不安な部分があり年明けに再検査となりました。

と言っても兄の肺はそこまで心配しておらず、念のためのものなので再検査後はふたたび経過観察になると思います。

ということで2024年も年明け早々病院通いです!

総じるとやっぱり感謝

病気..病院...といろいろありましたが、その中でも前を向いて希望を感じながら生きた年だったと思います。

そりゃあ、下向きになって落ち込むときもありました。
どうしたらいいかわからず、迷子になりそうになり、自暴自棄になりかけました。

だけどいつも、家族や信頼する人たちが精神的にも肉体的にも助けてくださって私は倒れずに来れたんです。

だから、感謝しかないです( ´-` )
ありがたいです。

今年の振り返り終わり!

今日の夕飯です。
食欲はもりもりあります.....体重計乗るのが怖い

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