2022/09/30(fri)

朝、反芻思考が止まらず、気持ちが重くて身体を動かせないという気持ちになりつつ、yuuの朝ご飯を準備。

果物もパンも牛乳も無くて、磯辺焼きを出していつものように食べる。

私は、めずらしくお水だけ飲んで、着替えてyuuと一緒に出発。
快晴。17℃。爽やかな風。

自転車で、ぐるりと大公園から県道沿いの道を走って、Fへ。
ここ1週間ほどは身体を動くので外に出ることもできた。

反芻思考には、とにかく身体を動かすこと、ということを再確認。
外に出て、10分ほどでも歩いたり自転車を漕ぐだけで、頭の中にこびり付いた思考を少し手放す事ができる。

この反芻思考は手放す事が出来ないものだと思っていたが、まずとにかく外に出て身体を動かす、というのが覿面に効く。

もちろん、それでもふとした拍子にまた長い時間反芻してしまったりもするのだけど。

yの関係の人間関係で、ある種執着されている人がいて、そのことにより、私自身も過敏に反応してしまい、苦しんでいるのだけど。

相手の悪意的な行為に敏感に反応しているようで、自分に向けられている攻撃というものにひどく鈍感でもあることに気づく。

彼女の一挙手一投足に、ひどく拒絶反応を起こしていたのだけど、その理由を言語化できていなかった。

昨日yの父から「その人変だよ。それっていじめじゃない。」と言われる。

露骨に無視されたり、業務連絡的なことを話してものらりくらり交わされたり、言動がダブルスタンダードで、私以外のチーム内での認識と食い違っている。

話を聞かない態度や、見下した態度。

どこかで「私はそういう扱いをされるのが当然なんだ」という固定観念があったのだと思う。

なので、「変な人」と思わず、「(仕事なんだから、ビジネスライクに接するべきだし)見下さないで欲しい」と、彼女に対して心の底では懇願している状態だったのだ。

常にどう思われるか。また、こちらの私的な事情を暴露されてしまうのではないかという恐怖に怯え(そうすれば、他の人達も私を人間扱いしなくなるだろう)、毎日の生活も必要以上に後ろめたさと、何か引け目を感じるようにビクビクしていたし、そのことによって、より自分の行動に制限をかけていたと思う。

考えてみれば、何も後ろめたい事などないし、怯える必要もなかったのだ。

ただ、私自身がそう思い込んでいた、というだけではなく、周囲の様々な人達からそのようなスティグマをこれでもかと押し付けられてきたし、侵害行為もあったからというのもあるのだけど。

こちらに選択権のない状況で、薄笑いの仮面をつけて、どこまでも抑圧をしていこうとしてくる人達や、尊厳をズタズタに傷つけようとする人達に対して、何が起こっているか理解できないまま、適応しようともがき苦しんでいたのだ。

彼らの行為に対して、「自分は嫌だ」「自分はこんな扱いされる謂れはない」という気持ちが、(心の底にはあるはずなのだが)自分自身で気づくのが恐ろしく遅い、むしろ気づかなかったりする。

なので、訳の分からない不快感を抱えながらも、「自分の正当性」を主張しなければならない。という強迫観念に囚われていた。

人との関わりも、まるで連続殺人事件の第一容疑者のような振る舞いで、心拍数が上がり、冷や汗をかきながら、事細かなアリバイのような報告を自ら事細かに説明しなければ気が済まなくなるのだ。

ただ生きているだけで、何か重大な罪に問われるのではないかという、恐怖心が行動原理になっているんだなあ。

その原因はやはりあの人間から受け続けた**の長い繰り返しが身体に刻み込まれているからで。

その瞬間は理屈や状況も飛び越え、白い「もや」で目隠しをされた状況で、存在しない罪が白日の元に晒されることを、死や狂気などよりもっと酷い恐怖として、避けなければならないと、ぎくしゃくとした木の枝で出来た手足で作られた人形に、ただの物体としての脳みそが括り付けられて、奇妙にぎくしゃくし続けることしかできなくなる。

自分の理性や感情もすり抜けて、何をしているかもわからないまま、出来損ないの人形は何もないのにぎくしゃく奇妙な動きを止めることが出来ないでいた。

「止めたい」「動かしたい」という意思すら範疇になく、ただ不規則に壊れたようにぎくしゃく動かし続けている、気味の悪い人形とも呼べない奇妙な脳みそを括り付けた、木の棒。

それが、微風が吹いただけで表れる私の「本質」だったのだ。






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