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出す、出す。 ひとまず出してみる。


自分の思い、考え、本心。
嬉しかった感情、悲しかった感情。


それらを
遠慮して言えなかったあの時…

抑えつけていたあの時…

無いことにして知らないふりをしていたあの時…

何かに怯えて怖くて出せなかったあの時…

自分が間違っていると思い込み封じ込めていたあの時… 

人目や周りに流されて言わなかったあの時…


自分が感じていた本当の 'モノ' を表出できない。どう出していいかわからない。
ごまかしながらやり過ごし、一時は
何とか心を保たせたつもりでいても
巡り巡って出せなかった 'それ' が再び
自分を足止めさせる。
前に進めさせなくしてしまう。


'それ' が自分の課題、カルマでもあると
納得し、完全に腑に落ちるまで
私はものすごく長い時間がかかりました。
うまくいかない…と、藻掻いて足掻いて
それでも、その時なりにがむしゃらに生きてきた過程は、'それ' に気づかせるためのもの。


「あぁ…私あの時、本当はすごく寂しかったんだ」とか

「本当は、やめて欲しい。そんなことはして欲しくない。」とか


本当はそう思っていたし、本当にイヤだったのに私は、両親にそれらを言うことができませんでした。

いつも怖い顔をした父、いつも悲しい顔をした母を目の前に、自分の純粋に思っていた
本当の気持ちを言うことができませんでした。


生まれて初めて知る人間関係
自分の基盤である自分の家庭、家族。
そこからつまづいてスタートしているので
外の世界でも自分を抑えつけることが当たり前になりました。

そして、自分をどう表現したらいいか
全くわかりませんでした。
そうなると、そりゃ人生はまわっていかない。いくはずないのです。


何が自分を足止めさせていたのか。
自分の本当に思っていた
表出できなかったモノ。
それを突き止めて、出してみる。
出してしまう。

信頼できる誰かに話すもよし

専門の機関に相談するもよし

ノートに書き出すもよし

ひとりの空間で口に出して言ってもよし

一回、全部出してみるといい。


そうすると、自分の本当の気持ちを知り
認められる。認められると、頭も心も身体もふわ〜っと軽くなり抜けていくような感覚になります。


そして自分自身も含めて
その時に相対していた人に対しても
がむしゃらにその人なりに一生懸命生きていたんだな、と相手のことも冷静に見れるようになる。


私の足止めになっていた表出できなかった
モノは両親への気持ちでした。


でも今となっては、父と母が私を育てる為にがむしゃらに一生懸命、必死で生きていたこと。私が寂しさを抱いていたその時期に 
両親も辛いことに耐え、そう生きることしかできなかったんだとわかった時、これもふわ〜っと頭の心と身体の中から抜けていきました。


こうして気づきがあると
自分もマル◯、相手もマル◯と思えます。
お互い修行相手なんだと。

だから
自分も人も否定する必要はない。
肉親でも他人でも、人との関わり
人間関係はそれぞれが自分の責任であるということ。


例えば日常生活の中で
「あんにゃろー!」と怒りの感情を
誰かに対して思うことがあったとする。
それを出しちゃいけないんだ…と変に我慢してしまう。

だったら
誰もいない空間で、「あんにゃろー!」と
吐き出してみちゃえばいい。
でもそう出したら、一切引きずらず
もうそれで終わりにしてしまう。


私は以前
勤めていた職場のイヤな奴とのやりとりで
とても腹が立った事がありました。


その時、家で「あんにゃろー!」と
気持ちが悶々としながら
「ク◯〜!なんやねん、あいつ変な髪型しやがって!」と、小学生みたいなテンションで怒っていました(笑)

で、そんなことをたまたま洗面所で考えながら手を洗っていました。
そして顔を上げ、鏡にうつった自分の顔を見たらものすごい髪型になっていて、(休みの日だったので、いわゆるボザボサ状態)
「あ、私もか。変な髪型やわ…」とクスッとしてしまいました(笑)


そして
「しゃーないな、許したろ」ということになったわけです(笑)
自分の中でね。
いいのです、そうやって健全に出す。

ね、出してみると
結果的におもしろがって完結することもできちゃう。


思っちゃいけない、出しちゃいけない。
無理に変な方向に我慢してしまうと
それは恨み辛み憎しみとなり
やがて怒りの執着になってしまう。

健全に出せば、楽しくおもしろくなる。
健全にね、健全に!
ココ、ポイント↑
そうすれば、イヤな奴への対策や対処法も
閃いてきたりもする(笑)


健全に出せば
自然とおもしろい方に転がっていくのです♡






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