自分にとって耳が痛いことをきちんと言ってくれる人のことを強い人とか正しい人とか、そういうふうに片付けるのはなんか違うなあと思うのだ。

その人はその人で葛藤があり、勇気やエネルギーを費やしてくれてる場合もあるし、発することで、心が傷ついてることだってあると思うのだ。それでもなお、関わろうとすることは簡単ではないのだ。

あらゆる出来事はあらゆる可能性があり、ベクトルがあり、もちろん悪意があることだってあるかもしれないし、自分本位、自己満足とかで言う人だっているだろう。

全てが善意に基づいてるなんてことは思っていないが、その言葉を発した人が、自分にとってどういう人かとか、時系列とかそういうことで判断するしかないのだが、きちんと判断できる自分軸を持つのはほんとに必要だと思う。

なんかもうあまり楽しくない内容でごめんなさい、なのだが、読んでくれてる方たちを友人と思って吐き出しています。

友人の弱音としてあたたかく読んでいただければ幸い。

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