見出し画像

「ぼちぼち」の精神

この間、何気なくドラマを観ていたとき。思いがけず、小学校5年生のときに配られていた学級通信のタイトルを思い出した。

観ていたドラマは、門脇麦さん主演の『厨房のありす』。確か、主人公のありすが人から何かを聞かれるシーン。質問に対して、ありすは「ぼちぼちでんな」と答えた。

「ぼちぼち」というワードは、大阪で育った自分としてはとても懐かしい。確か、人生で最初にこの言葉に出会ったのは、小学5年生のときだと思う。

小学5年生というと、私が大阪に引っ越してきて1年半くらい経った時期だ。5年生の担任の先生は、別の学校から新しく赴任してきたベテランの女性の先生だった。

『ぼちぼちいこか!』

始業式で配られた学級通信のタイトルを見た瞬間、強烈な「大阪感」を感じたことをよく覚えている。私が持ち帰った学級通信を見た母親も「なんか、THE 関西人って感じだね」的なことを言っていた。

「『ぼちぼち』なんて言う人、本当にいるのかな」と思っていた小5の私。以前も似たようなことを書いたけれども、10年ほど経てば「ほな、ぼちぼち帰ろか〜」「まあ、ぼちぼちって感じやな」とか、普通に言うようになったりするから人生はわからない。

そうはいっても、福岡にきてもう8ヶ月以上経つ。「懐かしい」と思ってしまうくらいには「ぼちぼち」との距離ができてしまったらしい。あらためて調べてみると「ぼちぼち」は、けっこう深い言葉だった。

標準語では「ぼつぼつ」となります。特別良い状況でもなければ非常に悪いわけでもない。中間の状態を表す言葉。鼻息荒くしゃかりきになっても良い事があるとは限らない。テイク・イット・イージーが一番。といったような大阪人の陽気さ、のほほんとした性格が滲み出る言葉です。

大阪公式観光情報より引用

子どもの頃『ぼちぼちいこか!』を見たときに抱いた、強烈な「大阪感」。それは別の言葉に置き換えると多分「とりあえずなんかクセが強い」みたいな、ただただ漠然としたイメージだったんだろうと思う。

でも、関西弁に秘められたニュアンスはただの「クセ」だけではない。「テイク・イット・イージーが一番」「大阪人の陽気さ、のほほんとした性格」……そう、そうなんよ。大阪育ちだからかもしれないけれど「ま、ぼちぼちやってったらええやろ」とか関西弁で言ってみると、なんだかちょっと落ち着く自分がいる。

そうして、久しぶりに頭に浮かんだ「ぼちぼち」のおかげで気がついた。最近の私は、ちょっと気負いすぎていたかもしれない。自分の踏み出す一歩一歩をなんか大袈裟にとらえがちで、何をするにもちょっと怖いなと思ってしまう。今の私には「ぼちぼち」の精神が必要なのかもしれない。

もしも、小5のときの担任の先生にまた会えるなら「そない気負わんと!ぼちぼちいこか!」と背中を叩いてほしいような気分だけれど、そういうわけにはいかない。「ぼちぼちで大丈夫や」と、いつも自分で自分に言ってやるしかないなと思う。

この記事が参加している募集

忘れられない先生

最後まで読んでいただきありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願いいたします。いただきましたサポートは、自己研鑽やライター活動費として使用させていただきます。