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自分の出来る部分を探そう

日本に帰国してすごく思う事は、オーストラリアに比べて自信がなさげの人が本当に多いなって事。

でもこれってすごく変な事。

誰だって良いところは、必ずあるはずなんですよ。良いところが一つもない人なんて存在しません。

現に私には特技があります。私は他人を心から嫌いになった事が今までないんですよ。

人は誰でも悪い部分があったり、どうしても嫌いな部分が探せばあります。だけど、良く考えるとそれさえ利点の時だってある。それにどうしても嫌な部分があったとしても、それ以外に目を向けると必ず好きな部分が出てきます。

それ全部個性だから、嫌いになる事は必ずないし、誰でも良い部分を見つける自信があります。

じゃ、どうして好みの人がいるの?みんな、嫌な部分あるんでしょ?と思うかもしれない。

だけど考えてみてください。例えば、好きな食べ物はどうして好きか。。

チョコレートは甘い、そしてちょっと苦味がある。わたしはそういう部分が好き。コーヒーとも合う、適度な甘さが好きです。

だけど、人によってはそれが嫌な場合だってあるんですね。

言葉があるから、それが好きだと伝えたいからコミュニケーションしたいから言葉を一生懸命当てはめて説明しているのではと考えた事ありますか?

私は他人と自分は分からないといつも思っているので、伝えたいからなんとか言語化しようとします。

でも好きって本来は理由はないのかもしれません。ただ好きだから、そう感じるから。

それ以外ないし、誰がなんと言おうが好きなんですよ。ただそれでは伝わらない場合があるジレンマがあるから説明する努力をしています。

やっぱ美味しいものは美味しいって言いたい。好きなものは好きって言いたい。それがなんやかんや言って気持ちいいんだよ。ただそれだけ。

一体、何が言いたいのか?そう思われたのかもしれない。

私が好きの感覚を説明して伝えたかったのは、

悪い部分ばかりを見たって仕方がないという事。

もちろん、自分の悪い部分を改善する事はとても良い事ですよ。だけど、その基準っていったいなんだろうっていう事。

他人の評価を気にしすぎる。他人から好かれたいと思う。そんな事ばかりしていたら、キリがない

そんなものは無視すればいいじゃないか。

好きという評価は、結局人によって全く違うし一定の基準はないものだから。

ここでは英語について書いているので、英語のことを例にあげます。

英語を上達させたくたって、急にサッと出来る様になんかなる訳ないんですよ。

その間に言い間違えたり、間違った発音したり、スペル間違えたりする訳。それって、すごくこなしている人からしたらダメな部分ですよ。改善したほうがそりゃあ良くなりますよ。

だけど、

ダメな部分見つけて改善されてもまた新たに問題点は必ず出ます。

昨日書いたとおり、学びは“一生”続くので、、

それで、もちろん間違いを指摘されたり、点数が出なかったりする事もあります。自分の理想と違い嫌になる事もあるでしょう。

そんな時に、中には面白がって指摘してくる頭の悪い人もいます。残念ながら、そういう人はいなくなる事はありません。

特に日本は自信のない人が多いと同時に、相対的価値観で安心感を持たせる変な固定観念が蔓延している。自分の不安や恐れや劣等感を誤魔化すには他人を面白がったりしがちな土壌があるんです。

これは全ての人が認識すべきだ。

それで、指摘されればその間違った部分ばかり気にする、他人からの評価や良く見られる事を気にしだすと、自分の出来る様になったことよりもマイナス面の方が目立ちがちになってしまいます。

必ず何か進歩した部分はあるはずなのに、取り組んだ事だけでも素敵なはずなのにそれさえ忘れマイナス面が膨れ上がります。

人は残念ながら、ネガティブな感情や忘れたい事に限って衝撃が大きくなるので覚えていやすい生き物です。

だから重症になれば、自分の出来る部分を認識できなくなり、どんどん自信がなくなってきて自分がダメな人間にさえ思えてしまう事さえ起こります。

日本人はとても真面目な人が多いので、こうなりやすい人が多い。

それに減点主義だから褒め合う土壌が少な過ぎて悪循環なんです。

気付いたらどんどん暗くなり、不安になる。それで自信が持てないせいで何かに逃げ込みたくなります。せっかくの今までのその人オリジナルの軌跡みたいなものの素晴らしさを忘れがち。

自分の良い部分を探そう!

そして、正しく自分を自分自身で評価出来る様になるのが理想です。

他人から言われた事で右往左往して自信を無くしているようでは、先程書いたような負のスパイラルに入り上達するものまで上達しません。

それどころか、後退する事さえあるでしょう。

自分の良い部分は忘れてはいけない。保っていかなければおかしいんです。

悪い部分ばかり見ればそれさえ不可能になる。

誰でも自分は好き。他人と比較し自信を持てなければ、相手の細かいどうでもいい間違い探しをする事で安心する人さえ出てきます。こういう人間が日本は多い。仕方がないとも思えます。

しかしそれは、現代の病であり決して肯定すべきではない。私は、こういう事は嫌いです。

自分が最初に取り組んだ時に出来なかった事が出来る様になっている事は必ずある。どんな些細なことでもいい。

自分の出来る部分を正当に探し、自分で自分を褒めてみる。

それさえ出来ないなら、あなたは自分の人生を歩んでいない。そう言わざるを得ません。

もっと自分を見て、良い部分を見てあげよう。ただでさえ、自信がなさげな人が多く批判ばかりしがちな人が多い中それを見失ったらダメだ。

勘違いしてはいけないので繰り返し書いておきたいが、決して悪い部分を無視すれば良いとは言っていない。自信さえ持てないという事は、自分の評価に偏りが出ていると思ってちょうどいいという事だ。

ネガティブな感情ばかりでは、向上するものもしにくくなるし、良いあなた自身の特技や個性さえ無くしかねない。

自分の出来る部分をもっと探そう。
そうすれば、なんて面白い可能性がある人達ばかりなんだろう…

解き放って欲しいとよく思っている。

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