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静かさと騒がしさ

先週日曜日Ed Sheeran(エド・シーラン)が、イギリスではライブを観るときに歌の最中にも、声を張り上げて叫んだりするし好きなように踊ったりするということを話していた。

私は、✖️のDVDを持ってるんだけど確かに激しい動きの人達が写っていた。叫びも多いし、静寂でしっとり聴かせる曲の最中にも自由に声を出す人もいた記憶が。

乗ってくると、殆どの人が遠慮とか無縁になる感じ。そういうのと比べると随分日本は静かなライブに感じるだろうというのは納得した。

最初は、自分のパフォーマンス嫌いなのかな?と少し思ってしまったらしいけど今は日本の雰囲気も好きになったようだ。

この話から、私が豪州で異文化の人達といる時に感じた事を思い出した。

大多数の人が、誰か喋っていても自分が言いたい事があれば何とかし話そうとする。

場が盛り上がってくると、我先に声を出そうとするからその場が白熱するのだ…

演奏でもライブでもなくてもこんな感じなのだから、気持ちが昂りやすい音楽では余計にそうなるだろう。

最初はこういう状況にかなり戸惑った。

なんなのだ!?ここは!?
相手の話を聞かない人達ばかりだ!
酷い有様だ!! 

もしかしたら、皆んな互いの話に対する尊重とかは1mmもないのか!? とか。

要は、私はEd の逆側だった 笑

けど、英語の話し方と文化の違いだと途中から理解してどちらにも良さがあるなと思った。同時に欠点もある。

なので、非常に分かる共感した話だった

じゃあ、どうして静かさと騒がしさがこんなにも変わるのだろう。

英語は、前から言いたいことを言う文の組み立て方をする。だから、考えがまとまっていなくても話しながら結論を導き出すみたいなことは日本語よりもかなり起こりやすくなる。

その場の空気を読み軌道修正しながら組み立てていく会話スタイル。

間も少ないので静けさも慣れない人が日本より多いから、静寂があれば埋めようとしがちにどうしてもなるのだろう。

けれど、どちらかと言えば、お互いに歩み寄りながら話をまとめて折り合いをつけるみたいな時は、互いを尊重しながら耳を傾けあった方が良い。

静かに相手に耳を傾ける良さである。

そこで頭を上手に使う事ができれば、日本人の傾向的特性はかなり活かされると思うし、強い部分だ。

けれど、英語圏の人は考えながら前から話す言語の特性と間の少ない文化的傾向によりこれはすごく苦手分野。

けど、それもそれなりに強みがある。

大枠で捉えるので即効性が活かされやすい。
しかも、時としてごちゃっとした所から新たな視点がパッと生まれる事がある。

“自分が”言いたいこと伝えたいことを整理しないととっ散らかる言語だからこそ、聞くことが下手になりやすい。その一方で、それぞれの伝えたい部分が大きくなるので大きな力が産まれやすいのかなという感じもする。

日本も英語圏も文化的傾向による思考と嗜好の癖がやっぱりあるので、それぞれ得意分野と不得意分野があるなあと。

静かさと騒がしさも良い所も悪い所もあるけど、どちらも産み出すものは多いから否定できないなあとちょっと思った。

エド・シーランは英語圏のイギリス生まれなので大盛り上がりするライブカルチャーが盛んで好きである。とても騒がしい場所だ。

そんな場所だから、あの即興性があり会場を巻き込む演奏技術が育ちやすかったのだろう。そう思わないでもない。

騒がしさも時には良いのだ。
一方で静けさも時には良いのだ。

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