DoとCanを区別していない翻訳
日本語字幕をつけた状態で映画を観ると、よく見かけるんですよね。
Do とCanを区別していない翻訳を……。
なんだかモヤモヤしてしまう。DoとCanって大きく違う意味なんですよね。字数もそんなに違わないのにもしかして間違えてる??とかいろいろ考えちゃいます。
例えば、
Do you play the piano?
Can you play the piano?
では全然文脈が変わってくる。
Do は、日常的にピアノを弾いてるかたずねている。
だから、
Do you play the piano?
は、「あなた、ピアノ弾いたりするの?」とか「あなたってピアノ弾く人なの?」みたいに訳すべき。
一方で、Can はピアノを弾く事ができるかどうか聞いてるんだから、
Can you play the piano?
は、「あなたって、ピアノ弾けるの?」みたいに訳す必要がある。
それなのに、Doを使ってるのにCanの意味で訳してあるものが結構目につく。なんでこんなものがまかり通ってしまうのか理解に苦しむ。
例えばですけど、ピアノが登場人物の支えであったり思い出の曲をかなでる楽器であった場合。Can の訳をしてしまったら背景や文脈とずれてしまうでしょう。
こないだ観た酷いものは、ある主人公が富豪の家に泊めてもらう事になった。そこには、大きなピアノがあった。老婦人が、“Do you play the piano?”とたずね、主人公が“Yes.” と答えたら老婦人が、「いつでも好きに弾いていいわよ。」と言って蓋を開けておいた。
そんなシチュエーションなのに、”Can you play the piano?”のように、「あなたって、ピアノ弾けるの?」と訳されていた。さすがにおかしいだろと思わざるおえない。
文脈はどうなってるのか?
しかもこの後、その老婦人が「私も弾くの」とdo を使って言い何度も若かりし頃好きだった映画音楽を弾いて聞かせる。そのあと、その主人公も真似て弾くというシーンがあるにも関わらず。
弾くことができるとか、弾けるとか出てくる。
は!?何考えてんだよ!?
と思わずしてどう思うだろうか…。
Do とCan の違いなんて、別に上級者レベルの話でもない。ちょっと英語かじったレベルの人でも自然と違いがわかっていなければおかしいはずなんだけどな…。
DoとCanを区別していない翻訳を見かけるたびに、めちゃくちゃ変な気持ちになる。
もし、この違いをちゃんと認識していない学習者がいるとしたらこういう誤訳も原因である可能性があるんじゃないかなとちょっと思ってしまった…。
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翻訳についていろいろ!
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